第6章 遭難者の真実
海は静かだった。
だがその静けさの奥底に、何かが蠢いているような不穏な気配を、ナギは肌で感じていた。
「おい、ナギ!」
港で網を修理していたナギのもとへ、漁師仲間が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「沖で煙が上がってる! 人がいるかもしれねぇ!」
「煙?」
ナギは顔を上げ、海の向こうを睨む。
確かに、南西の空に黒煙が立ち上っていた。
「あれは…禁漁区の手前あたりだな……」
「ナギ、先に向かってくれ! 俺は船を手配してあとから行く!」
返事もそこそこに、ナギは海へと飛び込んだ。
――救える命があるなら、救わなきゃならない。
波を裂き、海を切り進む。
そこは、自分だけの領域だ。
力を解き放ったナギの泳ぎは、まるで海そのもののようだった。
やがて視界に、波間を漂う残骸と、ひしゃげた見慣れない機体が映った。
(船じゃない……なんだ? 乗り物か?)
炎上した機体。
砕けたガラスの向こうに、作業服姿の女性がひとり、意識を失って倒れていた。
赤い髪が垂れて顔を隠し顔色が見えない。
ボンッ! 部品のひとつが破裂し、小さな爆発が起こる。煙とともに炎が上がる。
ナギは乗り物に飛び込み、女性の頬を軽く叩く。
「おい! あんた、大丈夫か!」
「う、うう……」 彼女のまぶたが開く。
「はっ!? あ、あなたは……?」
「救助に来た者だ。まずはここから出よう」
ナギの言葉に、女性の顔がこわばる。
「救助隊……? どこかに連れて行くの?」
「違う。俺はフリーの潜水士だ。勝手に助けに来ただけだ」
数秒の沈黙の後、彼女は突然声を張り上げた。
「……お願い! このままどこかに連れてって! 救助隊に見つかったら、私は……!」
ナギの表情が険しくなる。
「な…お前、何者なんだ」
「お願い……!」
その瞳には、嘘のない切実さが宿っていた。
ナギは、一瞬だけ心の奥に生じた直感に賭けてみることにした。
「……わかった。だが犯罪者だったら、すぐに突き出すからな」
女性を抱え、水面に飛び込む。
現場を離れるため、海流の先、近くの岩壁の奥にある小さな洞窟へと向かった。
たどり着いた2人。
洞窟の入り口に身を寄せ、遠く、燃え上がる機体へと視線を向ける。
黒煙の向こう、救助船がゆっくりと近づいていくのが見えた。
「やれやれ、またドルフィに怒鳴られるな」
咳き込みながら女性が顔をしかめる。
「げっほぉお! あんた、何者よ! 泳ぐ速度早すぎて、顔がめくれるかと思ったじゃない!」
「えっ、いや……ゆっくり泳いだつもりだったんだけど」
「どこがよ!? 時速5~60キロは出てたわよ!? 水圧で首もげるわ!」
「ご……キロ……?」
ナギは混乱した。
これまで自分の泳ぐ速度を“数字”で例えた人間など、出会ったことがない。
「……俺は海の能力者なんだ。本気で泳げば、こんなもんじゃ――」
言い終わる前に、女が鋭く声をかぶせた。
「その“本気”ね、絶対に一人のときだけにしなさい。二度と、不幸な人間を生み出さないで!」
……この女は、いったい何にそんなに怒っているのだろうか。
あのまま機体に取り残されていたら、命なんてなかったはずだ。
「……水圧、ね……」
ナギはため息まじりに視線をそらす。
この女は、相手に呼吸を合わせる気が一切ないらしい。
「私の名前は――エイル。元・技術局の研究員。今はただの……要注意人物よ」
ナギは、わずかに表情を引き締めた。
「技術……カガクシャってやつか」
「“黒色燃料”って知ってる? 黒くて、粘る液体。私が発見したの」
「……燃料?」
ナギの反応を見て、エイルが身を乗り出す。
「興味あるの!?」
その姿勢は、祈る者のように両手を組んでいた。
「あ…ああ。もし魔法がなくなってしまったら…って思うことはあるよ。」
エイルがさらにぐいぐいと距離を詰めてくる。
「いいわ! 教えてあげる! 私ね、昔、家族で小さな山を持ってたの。
そこに泉があってね、ある日それが真っ黒になってたのよ。
で、黒いだけでただの水だと思って焚火にかけたら――
ドカーン!って大爆発!」
エイルは両手を広げ、嬉々としてとんでもないことを言う
(ん?山で爆発?)
「……ああ!? 五年前の山火事!? お前だったのか!」
急にエイルの表情が曇る。
「ねえ、ちゃんと聞いて。そんなこと、どうでもいいでしょ」
「……」
なんなんだ、この女……怒る基準が見えない……
「とにかく!その黒い液体を調べたら、とんでもないエネルギーを秘めていたの」
「世紀の大発見よ。なのに……」
ナギは悟った。
「もしかして……グリナス…陛下に止められたのか」
エイルは静かに頷き、涙を流す。
ナギは理解した。きっと燃料そのものだけではない。
おそらく、それを使った技術や発明すべてが封じられていたのだ。
先ほどの乗り物……あれも彼女が密かに造ったものに違いない。
冷たい波が、ナギの胸に入り込む。
もしエイルの言葉が真実なら――
魔女を封じたままにしている理由も、
この世界が“詰んでいる”という前提も、
すべて、誰かの都合で塗り固められた“嘘”だったのではないか。
波の音が、今までと違って聞こえた。
ナギの中で、何かが確かに動き出していた。
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