丑三つ時通り、神隠し村
夕凪
壱
鬱蒼と生い茂った木々、所々に点在する大岩や民家のような小さな建物。
そして、その先にあるすべてを飲み込んでしまいそうなほどに深く深く見える森。
それらを軽く見回しながら、私は小さくため息をついた。
一体ここはどこなんだろう。
そんなことを考えながら、否、ある程度の推測を立てながらも辺りに視線を落とし、私はふと感じた気配に振り向いた。
「───ここ、どこ……?」
クラスメイトの香川さんの呟きによって、私は自分以外にも人がいることに気付いた。
「は、春永さん……?」
香川さんの言葉に反応を示すと、彼女はほっとしたようなため息を零す。
「……私たちふたりだけ、なのかな……」
「……さぁ」
「ね、ねぇ……一緒に行動しない?」
「……別に構わないけど」
「ほんと!?」
なぜそんなことを問うのかと思って首を傾げてみれば、彼女はそれに気付かなかったのか安心したようにため息をついた。
「よかったぁ……こんなところでひとりにされたら、私……」
「……なるほどね」
確かに、こんなわけの分からない場所で目覚めたにも関わらず誰もいないとなると、それは相当な恐怖かもしれない。
「とりあえず香川さん、一緒に行動するなら最初に言っておくわ」
「え?」
「私の予想が間違っていないのなら、ここは神隠し村だと思う」
「神隠し村?」
頷いて肯定を示し、私は続けた。
「一部では結構大きな噂になっているのだけど……覚えていない? 午前二時前後、なんらかの条件を満たした人間が連れ込まれる村」
彼女は私と同じ地域に古くから住んでいたはず。だからきっと、これだけの情報でも……。
案の定、香川さんははっとなにかを思い出したような表情を浮かべた。
「それって……」
「そう。例えば私たちのように家の中で眠っていたとしても、なんらかの理由で家を出ていたとしても。そして私たちが知らない間に条件を満たしてしまっていたとすれば、ここはきっと神隠し村よ」
さぁっ、と青ざめていく香川さんに、私はそれと、ともう一言言い足す。
「ここは明らかに私たちの知る世界じゃない。なにが起こっても不思議はないわ。だからなにかあったとき、私は迷わず貴女を置いていくし、置いていってくれて構わない」
「そ、そんなぁ……っ!」
「仕方ないでしょう? 時と場合によるけれど、二手に別れたほうが有利な状況もあるかもしれない。そんなときにわざわざ固まって動こうなんて思わないわよ」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる香川さんに、我知らず苦笑が零れる。
「大丈夫、私たちくらいなら隠れられる程度の岩がそこら中にあるじゃない。最悪、誰かに追われてる状態でも撒くことはできると思うわ」
民家の数は確かに少ない。いや、少ないと言うよりも林の傍に集中していると言った方が正しいだろうか。
だが、そこそこに大きな岩というのは私たちの視界の中だけでも、かなりの数が存在していた。
と言うことは、なにか追手のようなものがあったとしても逃げられないことはないはずだ。
と言うか、あれだけの岩や民家があるのだ。さらに、近いうちに神隠し村へ連れていかれたのだと囁かれる人々の生還例は聞いたことがない。なにかしらの追っ手が来ると想定していいだろう。
……それにしても、遠目に見えるあのぼろぼろの民家は果たして自分の身を隠すことができるのだろうか。不安しか残らない。
私の言葉に、しばらく涙目になっていた香川さんが小さく頷いた。
「……それにしても、本当に私たちだけなのかしら」
ここが本当に神隠し村なのだとしたら、“彼”のときはもっとたくさん───……。
「……ねぇ、春永さん」
唐突に、なにかを見つけたらしい香川さんがくいっと私の服の袖を軽く引く。
あれ、と彼女が指差す箇所には、人の形をなにかがあった。
早くも人を見つけた、といわんばかりに駆け出した香川さんは、しかしその直後に大きな悲鳴を上げた。
「きゃああぁぁぁあああああっ!!」
叫びながらへなへなとその場に座り込んだ香川さんを追うようにその人影を見る。同時に、私も一瞬息を呑んだ。
「な、ななな生首……っ!?」
「そうね……」
なにかに切り裂かれた、という表現が一番相応しいだろうその切り口からは、未だに鮮やかな紅い液体が流れ出ている。
「……香川さん、なんでわざわざ近寄ったのよ……」
「だ、だって……人だったら、ひとりより大勢の方が心強いし……」
彼女の人のいい返答にため息をつき、私は視線を大きくずらした。
「この近くに、切り裂き魔でもいるのかしら」
「や、やめてよぉ……っ」
「まぁ、正直気持ちのいい話じゃないわよ。それに切り裂き魔ならまだ可愛い方かも……」
直後。
「───香川、と、春永?」
私のその言葉に呼応するかのように、誰かの声が聞こえた。
振り返ると、やっぱりクラスメイトの姿。
「倉沖くん……」
倉沖悠樹くん。男女問わず友人が多く、また運動神経も頭もいいと、非の打ち所のないクラスメイトだ。
「……どうして、倉沖くんがここに?」
「こっちの台詞だよ……ふたりはどうして?」
「気が付いたらここにいたのよ。……もちろん、香川さんもね」
「そうなんだ…………って、え……?」
倉沖くんが視線を落とすと同時に、素っ頓狂な声を上げた。
あ、と私が零したときには、既に彼の視界にはあの生首が転がっているわけで。
「…………え、は、死体っ!?」
反射神経が働いたのかその場から飛び退いた彼に、私は小さく頷いた。
「……香川さんが見つけたのよ。生きた人間だと思ったらしくてね」
「や、これを生きた人間と間違えるのは難しいだろ……香川、責めるつもりはないけどお前相当極限状態だな……」
そう呟いた倉沖くんは今の一瞬で冷静さを取り戻したようだった。
生首や辺りに飛び散った血を踏まないように慎重に私たちの傍へとやってくる。
「俺には状況が全然理解できないんだけど。どっちか説明してくんない?」
「説明って言われても……今言った通り、私たちも気が付いたらここにいたから」
頭の中を整理する。
現状この場にいるのは私、香川さん、倉沖くんの三人。他に何人いるのかは、私たちには到底分かりえないことだ。
「……ひとまず、なにか自分の家に帰れるような、手がかりになりそうなものを探してみましょう。ここは手分けして回った方が良さそうね。ふたりは一緒に回って───」
『───待って』
私の言葉を遮ったのは、唐突に聞こえたそんな声だった。
振り返った私の視界に映ったのは、まだ若そうな男の姿。
「……貴方ですか? 今の声」
まぁ尤も、この顔ぶれであんな声をしている人はいない。
「申しわけないんですけど、得体の知れない人とお話をしている暇は……」
『六ヶ月』
「……はぁ?」
思わず問い返す私に、男は繰り返す。
『君らがこの空間にいられる猶予。それが六ヶ月』
「いられる猶予……?」
私の問い返しに、その男は軽く頷いた。
『今日から半年間、君たちは死ぬことができない』
───……え?
一瞬、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「……はぁ?」
「死ぬことが、できない、て……?」
『この場、“神隠し村”に迷い込んでしまった人間は……その日から六ヶ月間、どんな致命傷と思える傷を負っても死ぬことはないんだ』
静かにそう告げた男が、さらに苦々しく言葉を紡ぐ。
『……そして、今までこの場に迷い込んだ人間が生きて帰った話は、聞いていない』
背筋を、冷たいものが駆け下りた。
「───……っ…………」
「……ちょっと待ってくれ。半年を過ぎると死ぬっていう人間の倫理に逆らえなくなって、致命傷を負ったらそのまま死ぬってわけ?」
『……あぁ。もっと言ってしまえば、半年を過ぎた瞬間に自殺する人間もいる』
「自殺……?」
香川さんの言葉に、男は重々しく頷く。
『君たちはまだ体感してないから分からないことだと思うけど、半年間ずっと死ねないってね、ある種の拷問のようなものなんだ。たった半年の間に、辛い思いや苦しい思い、悲しい思いなんかもするからね』
それに、と男は続けた。
『半年間、君たちは食べなくても寝なくても生きられる身体になってしまう。例えお腹が空こうとも、恐怖に追われればそんなこと忘れてしまうから』
そして、彼は言葉を紡ぐ。
『でもね。どんなに苦しくても、死んだらダメだよ』
男の固い口調が、不意に柔らかくなった。
『この空間で死んでしまったら、君たちの身体はもちろんのこと、魂だって永久に元の世界に戻ることはできない。可能性があるのだとするなら、最後まで生き残らなきゃダメだ』
そう言って、ふっと表情を和らげて。
『僕もね、半年間苦しんで、期間を過ぎてから自殺を図ったんだよ。その末路がこれさ』
死にたかったときは死ねなくて、いざ死んだら後悔する。
独り言のように言った男は、さらにそのまま気になることを言った。
『本当は、未だに生き残っている人がいるんだけどね……。彼はもうとっくに半年を過ぎてしまっているから、次襲われたときに振り切る体力がなかったら……』
「……彼……?」
その単語が男性を示すものだと気付き、私は反射的に語調を荒げる。
「誰!? 半年を過ぎても生きてる人って誰!?」
男は驚いたように目を丸くして、それからあぁと納得したような声を上げた。
『……もしかして。君が、彼の言っていた妹さんなのかな……?』
その言葉を聞いて、私は彼───兄がここにいることを確信した。
『……彼は確か、ユウタくんと言っていたかな。もし彼が君のお兄さんなんだとしたら、彼はまだ生きているよ』
男の言葉を聞いた私は、思わず顔を上げる。
『彼はまだ生きている。でも、このまま逃げ延びるには生き続けないといけない。今のお兄さんに、それは酷な話だと思うよ』
「……でも、今死んだらダメだって」
『死んでしまえば、身体も魂も永久にここから出られないからね。でも、あそこまで追い詰められている姿は、僕はできれば見せたくない』
…………追い詰められている?
「追い詰められ、て……?」
『精神的にも身体的にも、かなりの瀬戸際に立たされてるはずだよ。今の彼は』
まるで、あの頃の自分を見ているようだと。
目の前の男は、静かにそう言った。
『……でもまぁ、君のお兄さんを後押ししてしまったのは紛れもない僕だ。いい加減、解放されてもいいと思うんだが……』
「……兄は、どこにいますか」
私の言葉に、全員の視線が集中した。
「兄が失踪したあのときから、ずっと探し続けていたんです。ここにいるなら探し出すわ。絶対に見付けてみせる」
『……これは、強いお嬢さんで』
苦笑気味に笑った男が、軽く腕を組んで。
『申しわけないが、僕はこの辺りから動くことはできない。から、自分の足で探すことになると思う。でも……』
男の視線が、ふと奥の暗い森に向けられた。
『生きている人間は、追い詰められると大抵あの森へと足を運ぶ。僕らみたいな自殺者の死体なんかもそこにあるんだ』
全てを終わらせるために、生きた人間は生を捨てる。
『君のお兄さんはまだ大丈夫だと思うが……半年を過ぎたら、君たちは行かない方がいい』
「……何故?」
『魂のない器は、生きた人間を察知すると勝手に動き出すからね』
男の言葉に、香川さんがひっと息を呑んだ。
「う、動き出す……?」
『あぁ。下手をすれば怪我を負うだけじゃ済まない可能性だってある。十分に注意してくれ』
男性の言葉に竦む香川さんを守るように庇いながら、倉沖くんはへぇ、と笑った。
「面白いじゃん。半年間は死にたくても死ねないんだろ?」
「で、でも……怪我したらどうするの……?」
治るのを待たないと動けなくなるよ、という香川さんの言葉に被せるように、男が私たちに向かって声をかけた。
『怪我をしてしまったら、その間は座るなり横になるなり、とにかく身体を休めるのが一番いい。森に近付かない限り、死体が動くことはないから。……ただ、他にも注意した方がいい子どもや生き物もいるからそれは気をつけて』
「ご親切にどうも。でもどうしてそこまで、」
私の疑問に、男は小さく笑った。
『……この森の犠牲者は、もう必要ないだろう?』
「森の犠牲者……?」
「それはどういう……」
私同様、不思議に思ったらしい香川さんと倉沖くんが声を上げる。
が、男はそれ以上は教えられないというように首を振った。
『僕のように、まだ意識を持ち続けている魂もいると思う。だから、この先は彼らに聞いてくれないかい?』
そう言ったかと思うと、男はすぅ、とその姿を晦ませた。
男が消えた直後、私たちはさらに別のクラスメイトの存在に気付く。
山川慎也くん。倉沖くんと仲がよく、このふたりはよく行動を共にしているらしい。
そんな山川くんに倉沖くんたちが今の状況や半年間死ねないことを説明すると、彼はどこか他人事のような素振りを見せた。
「……お前さぁ、今自分がその立場に立たされてること分かってんのかよ?」
「え? ……あぁ、そういうこと?」
……訂正。他人事のようじゃなく他人事だと思っていたらしい。
「とにかく、今から半年間はなにがあっても死ねないんだ。たぶん、今この場で俺らが自分の頚動脈切っても明日にはピンピンしてるだろうな」
倉沖くんの言いたいことは分かる。だから恐らく、次の言葉は……。
「半年間は死ねない。でも、ダメージはなるべく受けない方がいいと俺は思う」
「へ? なんで?」
倉沖くんの言葉に、山川くんが問い返した。それに対し、倉沖くんは私を見る。
「春永、この話は理解できるだろ?」
「……えぇ」
「ど、どういうこと……?」
香川さんの不安げな声にため息を吐きながら、私が説明してもいいのかと目で確認する。
彼は諒解したように頷いた。
「もし仮に、明日から一ヶ月間だけで半年分の怪我をしたとするでしょう? 次の日には治っていても、半年後にそれまでの怪我すべてを負わなきゃいけなくなる可能性もある」
そうなると、とても半年間死にませんでしたで安心できる話ではないのだ。
私の説明を補足するように倉沖くんが付け足した。
「でもまぁ、今の春永の意見はあくまで俺の仮説に過ぎない。だから絶対にそうなるとも限らない。……春永の兄さんは、半年を過ぎた今でも生きてるんだろ?」
「半年どころの騒ぎじゃないわよ……」
「ん?」
「なんでもない」
私や倉沖くんの言う仮説は、あの男性が説明してくれたこととはまた違う。
半年間死ぬことができないということが事実でも、半年後に全ての怪我を負う必要があるかどうかは分からないのだ。
「……兄さんが、それだけ怪我をしていないとも考えられるけど」
「……と、まぁ可能性だけで考えれば無限に広がっちまう。とりあえず、俺は春永の兄さんを探そうと思ってるよ。慎也たちはどうする?」
「……? なんで倉沖くんまで?」
「人数多い方が見付かるのは早いかもしれないだろ? それに、俺もお前の兄さんに色々聞きたいしな」
そう言ってふたりに向き直った倉沖くんが、再び「どうする?」と聞いている。
「うーん……うん、悠樹の意見に賛成。俺はそっちに付き合うよ」
「わ、私も!」
「よし、決まりだな。で、どうする? 二手に分かれるか、ひとりひとりで動くか」
「……私はどっちでも構わないけど、香川さんのこと考えてあげなさいよね」
私の言葉に大きく首を縦に振る香川さんは既に涙目だ。それに気付いた倉沖くんが、苦笑気味に呟いた。
「じゃ、二手に別れるべきだな」
倉沖くんの言葉に同意を示した香川さんと山川くんを見ながら、私は「じゃあ」と左手側を指し示す。
「私はこっちを回るわ。誰か一緒に回る?」
「あ、俺もそっちに行こうと思ってた」
倉沖くんの言葉に頷いて、香川さんたちにそれでいいかを問うと、ふたりは特に反対することもなかった。
「じゃ、とりあえずそれぞれでなにか手がかりがないか探してみよう」
倉沖くんのその一言で、香川さんと山川くんが反対方向へ歩き出す。それを見届け、私たちも歩き出した。
「……ところで倉沖くん、なんでこっちに行こうと思ったの?」
「ん? んー……なんかよく分かんねぇけど、嫌な予感がしたから?」
「……そう」
彼は私と同じようななにかを感じ取ったようだった。
私の場合は嫌な予感、というよりも、嫌な空気、だが。
「に、しても」
「……ひっろいなぁ……」
倉沖くんが苦笑した。鬱蒼と茂る木々は、入らない方がいいと言われた森と大差ない。
最初は林かとも思ったが、森と呼んで差し支えないのではなかろうか。
「どうする? どっちから見て回る?」
「そうね……いっそのこと二手に別れるって考えも……」
刹那。
「……あれ……?」
ふ、と。
一瞬、ほんの一瞬だけ感じた、でも確かな気配。
……強いていうなら、殺気、なんだろうけど。この身体はいつの間に殺気なんかを感知できるようになったんだろう。
『キャハハハッ!』
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