第41章 恐怖

(なんなんだ……この世界は……)


タケルは息を詰めたまま、あたりを見回した。

赤い雨は止むことを知らず、赤い箱の傍らで多くの人々が立ち尽くしている。



(ある程度、思ったことが現実になるのは確かだ。

けど——


あの子の願いにこたえて、現実の断片がこの空間へ引きずり込まれている。

建物、風景……どれも、誰かの記憶から切り取られたように不完全だ。)




そして——あの箱。

赤い光を放つ、四角い“何か”。

それは必ず、悲しい思い出に遭遇している人間の傍らに現れ、寄り添うように脈打っていた。



(悲しいことを考えると……寄ってくるのか?)



思考が浮かんだ瞬間、胸の奥が震えた。



もしそうなら、自分もいつか“あれ”に取り憑かれるかもしれない。




だが、それにしてもおかしい。

なぜ、ここに現れる人々は誰もが悲しみを抱いている?

なぜ、楽しかった記憶や笑顔は一つとして再現されない?

まるでこの世界そのものが、「悲しみ」だけを餌にして動いているようだ。




そして、もうひとつの疑問が頭を離れない。

——なぜ、自分と少女にだけは何の害もないのか。

まるでこの場所が、二人を中心に回っているような……そんな錯覚すら覚える。


タケルは唇を噛み、ゆっくりと息を吐いた。

理解すればするほど、理屈が崩れていく。

ここは世界ではなく——感情そのものが形を持った“何か”なのかもしれない。







——何年たったのだろう。




季節の概念も、昼夜の区別も、この世界にはとうに存在しない。

ただ赤い空と、絶え間なく降り注ぐ雨。

その中でタケルは、もはやすべてを諦めていた。




帰ることも。

人を助けることも。

そして——少女の面倒を見ることも。




少女はタケルに気を遣うようになり、いつの間にか一人で過ごすようになっていた。

それでも不思議なことに、互いがこの世界のどこにいるのかは、言葉を交わさずとも分かる。

まるで心の奥で細い糸がつながっているかのようだった。




タケルはそれを知りながら、あえて距離を取った。

少女が自分に縋れば縋るほど、彼女を苦しめる気がした。

そして何より、自分の中の“恐怖”を、もう誰にも見せたくなかった。




そんなある日——

またひとり、“現実”から迷い込んできた人間が現れた。




「……リナ……リナ……!」


かすれた声が赤い雨に溶ける。

男は虚ろな目で何かを探しながら、地面に膝をついていた。




(またか……)



タケルは、崩れかけたアパート空間の壁にもたれながら、興味のないふりでその様子を眺めていた。

どうせ、また箱に取り憑かれ、同じ言葉を繰り返すだけだ。

この世界では、すべてがそうやって壊れていく。




しかし——




「お前の作った“偽物の記憶”なんかに、渡してたまるか!!」


怒号とともに、男の手が動いた。



タケルの目が見開かれる。




男は赤く脈打つキューブを掴み上げ、そのまま地面に叩きつけた。

甲高い破裂音。

赤い光が四散し、雨粒のように宙へ舞った。




(…へぇ…!)



思わず口の端が上がる。

この世界で“壊す”という発想を持った人間を、初めて見た。




それが——

タケルと、シュンの出会いだった。

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