第41章 恐怖
(なんなんだ……この世界は……)
タケルは息を詰めたまま、あたりを見回した。
赤い雨は止むことを知らず、赤い箱の傍らで多くの人々が立ち尽くしている。
(ある程度、思ったことが現実になるのは確かだ。
けど——
あの子の願いにこたえて、現実の断片がこの空間へ引きずり込まれている。
建物、風景……どれも、誰かの記憶から切り取られたように不完全だ。)
そして——あの箱。
赤い光を放つ、四角い“何か”。
それは必ず、悲しい思い出に遭遇している人間の傍らに現れ、寄り添うように脈打っていた。
(悲しいことを考えると……寄ってくるのか?)
思考が浮かんだ瞬間、胸の奥が震えた。
もしそうなら、自分もいつか“あれ”に取り憑かれるかもしれない。
だが、それにしてもおかしい。
なぜ、ここに現れる人々は誰もが悲しみを抱いている?
なぜ、楽しかった記憶や笑顔は一つとして再現されない?
まるでこの世界そのものが、「悲しみ」だけを餌にして動いているようだ。
そして、もうひとつの疑問が頭を離れない。
——なぜ、自分と少女にだけは何の害もないのか。
まるでこの場所が、二人を中心に回っているような……そんな錯覚すら覚える。
タケルは唇を噛み、ゆっくりと息を吐いた。
理解すればするほど、理屈が崩れていく。
ここは世界ではなく——感情そのものが形を持った“何か”なのかもしれない。
◇
——何年たったのだろう。
季節の概念も、昼夜の区別も、この世界にはとうに存在しない。
ただ赤い空と、絶え間なく降り注ぐ雨。
その中でタケルは、もはやすべてを諦めていた。
帰ることも。
人を助けることも。
そして——少女の面倒を見ることも。
少女はタケルに気を遣うようになり、いつの間にか一人で過ごすようになっていた。
それでも不思議なことに、互いがこの世界のどこにいるのかは、言葉を交わさずとも分かる。
まるで心の奥で細い糸がつながっているかのようだった。
タケルはそれを知りながら、あえて距離を取った。
少女が自分に縋れば縋るほど、彼女を苦しめる気がした。
そして何より、自分の中の“恐怖”を、もう誰にも見せたくなかった。
そんなある日——
またひとり、“現実”から迷い込んできた人間が現れた。
「……リナ……リナ……!」
かすれた声が赤い雨に溶ける。
男は虚ろな目で何かを探しながら、地面に膝をついていた。
(またか……)
タケルは、崩れかけたアパート空間の壁にもたれながら、興味のないふりでその様子を眺めていた。
どうせ、また箱に取り憑かれ、同じ言葉を繰り返すだけだ。
この世界では、すべてがそうやって壊れていく。
しかし——
「お前の作った“偽物の記憶”なんかに、渡してたまるか!!」
怒号とともに、男の手が動いた。
タケルの目が見開かれる。
男は赤く脈打つキューブを掴み上げ、そのまま地面に叩きつけた。
甲高い破裂音。
赤い光が四散し、雨粒のように宙へ舞った。
(…へぇ…!)
思わず口の端が上がる。
この世界で“壊す”という発想を持った人間を、初めて見た。
それが——
タケルと、シュンの出会いだった。
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