第36章 置換現象
タケルは、少女から少しずつこの世界のことを教わっていった。
“雨”は止むことがほとんどなく、
ただ弱くなったり、強くなったりを繰り返すだけ。
空は常に赤く、風はどこからも吹かない。
「ここではね、なんでも作れるの。タケルもできるよ。」
少女はそう言って、両手を広げた。
目の前に、小さな犬小屋のような建物がぽんと現れた。
中には毛布のような布切れが積まれている。
「いつも…ここで寝てるの?」
「うん。あったかいよ」
少女は無邪気に笑った。
(こんなところで……どれだけの時間を過ごしてきたんだ)
タケルの胸に、言葉にならない痛みが走った。
彼は考えた。
せめて、この子に少しでも安心できる場所を——。
高校時代に見た駐輪スペースの風景を思い浮かべる。
屋根と支柱、コンクリートの床。
ポン——。
「……出た」
タケルは息をのむ。
「わぁぁ! すごい!」
少女が駆け回る。
雨の粒がはじけ、笑い声が赤い空に溶けていった。
タケルはその様子を見て、ふと微笑んだ。
(そうだ……まずはこうやってこの子の面倒を見よう。
…時間はある。)
ふたりは雨宿りの下で、
想像から生まれたおにぎりを分け合って食べた。
「おいしーね!」
「はは……よかった」
少女の頬についた米粒を、タケルは指でそっと取ってやる。
その一瞬、
彼はこの世界の“狂気”を、ほんの少しだけ忘れていた。
それからタケルは、雨を避けるためにもっと大きな“空間”を生み出そうと試みた。
まずは体育館。
頭の中で形を描き、構造を思い浮かべる。
——何も起きない。
次に教室。
視界の端がざらつき、世界が一瞬ノイズを走らせた。
「……ダメか」
さらに家、アパート……。
どれも失敗した。
手を伸ばしても、空気が波紋のようにゆがむだけだった。
(もしかして……)
タケルは思考を巡らせる。
照明や電気が備わったような“複雑な構造物”を想像しようとすると、
この世界そのものが拒絶反応を示す。
(——つまり、この世界は“単純さ”しか許さないのか)
雨の音が強まる。
どこまでも均一で、どこまでも変わらないリズム。
時間さえも、ここでは止まっているようだった。
タケルは空を見上げた。
その赤が、まるで巨大な生き物の内側のように脈打っている気がした。
「……まるで、誰かの腹の中見たいだな」
そう呟いた声は、雨音にかき消されて消えた。
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