第30章 三人分の箸

リナの葬儀が終わった翌朝。


ユイはいつも通りに起きていた。



キッチンからは、カチャカチャと食器の鳴る音。

「朝ごはん、できてるよ」



そう言って微笑んだその顔は、どこか張りついていた。




ダイニングには、三人分の箸が並べられていた。



リナの席の前にも、何の迷いもなく。




「……ユイ」


声をかけると、彼女は言った。

「ごめん……でも、こうしておいたほうが落ち着くの」




食事をとり終えると、シュンはスーツに袖を通した。

ネクタイを締める手が、少し震えていた。




玄関先で、ユイが明るく手を振る。

「行ってらっしゃい」

その笑顔が、どこか張りついたようで、シュンは胸の奥に小さな不安を覚えた。




本部に着くと、同僚が声をかけてくる。



「シュン……もう大丈夫なのか。もう少し休んでてもいいんじゃないか?」

「大丈夫だよ」



シュンは小さく笑った。



「あんまりくよくよしていたら、“喪失保持者”として現場から外される。俺は……ユイを支えなきゃならないんだ」

「そうか……何かあったら遠慮なく言ってくれ」

「ありがとう」


そのやり取りだけで、一日のほとんどの力を使い果たした気がした。







上官の声は、書類をめくる音にかき消されるほど淡々としていた。

「君を本日付で、“赤色空間”の現場任務から解任する」

「そんな……自分はまだ——」

「わかっている。だが君に何かあったらそれこそ私は君の奥さんに顔向けできん。


……上層部も君のことを心配している」



上官は顔を上げた。

「君は補佐に回ることになる。ただし、これまでの功績を考慮して、待遇は悪くならない」


それは慰めではなかった。

ただ、世界が静かに自分を切り離していく音がした。







夜帰ると、リビングの灯りをつけたまま、

ユイはソファで丸くなり、眠っていた。


頬には涙が乾いた跡。

そして手には——リナのお気に入りだった、白い髪留め。

リナが最後まで手放さなかったもの。




別の日。




ふたりでスーパーへ行ったとき、

ユイはキャラクターのお菓子コーナーの前で立ち止まった。



シュンは何も言わず、そっと手を引いた。


「……ごめんね。つい……」


「大丈夫だよ。今日はリナのお祝い…するんだろ?」


「…うん」




その夜の食卓には、ミートソーススパゲティが並んでいた。



それは——


リナの大好物だった。



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