第30章 三人分の箸
リナの葬儀が終わった翌朝。
ユイはいつも通りに起きていた。
キッチンからは、カチャカチャと食器の鳴る音。
「朝ごはん、できてるよ」
そう言って微笑んだその顔は、どこか張りついていた。
ダイニングには、三人分の箸が並べられていた。
リナの席の前にも、何の迷いもなく。
「……ユイ」
声をかけると、彼女は言った。
「ごめん……でも、こうしておいたほうが落ち着くの」
食事をとり終えると、シュンはスーツに袖を通した。
ネクタイを締める手が、少し震えていた。
玄関先で、ユイが明るく手を振る。
「行ってらっしゃい」
その笑顔が、どこか張りついたようで、シュンは胸の奥に小さな不安を覚えた。
本部に着くと、同僚が声をかけてくる。
「シュン……もう大丈夫なのか。もう少し休んでてもいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ」
シュンは小さく笑った。
「あんまりくよくよしていたら、“喪失保持者”として現場から外される。俺は……ユイを支えなきゃならないんだ」
「そうか……何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう」
そのやり取りだけで、一日のほとんどの力を使い果たした気がした。
◇
上官の声は、書類をめくる音にかき消されるほど淡々としていた。
「君を本日付で、“赤色空間”の現場任務から解任する」
「そんな……自分はまだ——」
「わかっている。だが君に何かあったらそれこそ私は君の奥さんに顔向けできん。
……上層部も君のことを心配している」
上官は顔を上げた。
「君は補佐に回ることになる。ただし、これまでの功績を考慮して、待遇は悪くならない」
それは慰めではなかった。
ただ、世界が静かに自分を切り離していく音がした。
◇
夜帰ると、リビングの灯りをつけたまま、
ユイはソファで丸くなり、眠っていた。
頬には涙が乾いた跡。
そして手には——リナのお気に入りだった、白い髪留め。
リナが最後まで手放さなかったもの。
別の日。
ふたりでスーパーへ行ったとき、
ユイはキャラクターのお菓子コーナーの前で立ち止まった。
シュンは何も言わず、そっと手を引いた。
「……ごめんね。つい……」
「大丈夫だよ。今日はリナのお祝い…するんだろ?」
「…うん」
その夜の食卓には、ミートソーススパゲティが並んでいた。
それは——
リナの大好物だった。
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