杉ちゃんと裸の王様

増田朋美

杉ちゃんと裸の王様

なんとも日の暮れるのが早くなって、もう秋というより初冬と言った方がいいかもしれない。もうすごい暑さに悩まされることもなく、過ごしやすい時期になったと思いきや、こういう季節になってくると、人の悩みと言うものは余計に強くなるらしいのである。それをなんとかしていくというのが、製鉄所や、その他の福祉施設の役目だと思う。

その日、杉ちゃんたちが、いつもと変わらず、着物を縫ったり、ピアノの練習をしたりしているときのことであった。いきなり、製鉄所の前でタクシーが止まり、誰が出てきたと思ったら、弁護士の小久保さんと、一人のうつむき加減の青年がやってきた。

「ほら、こちらですよ。ここであれば、あなたのことをちゃんと、みてくれるはずです。それは、僕が保証します。」

と、小久保さんがそう言っているからには、なにかわけがあるのだろう。

「それでは、行きましょう。ごめんください。」

小久保さんは、製鉄所の引き戸をガラッと開けた。

「でも製鉄所って、ここ鉄を作るところではなくて、なんだか日本旅館のようなすごい建物ですね。」

と、一緒にいた青年はそういうのであるが、

「お前さん誰じゃい?」

応答したのは、杉ちゃんだった。その杉ちゃんの服装が、黒大島の着物であったため、青年は驚いたようであったが、

「なんにも怖がることはないよ。みんな着物を着てるやつが多いけど、悪いやつは一人もいないよ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「まあ、確かに、男性が着物を着ていると、おっかないひとに見えてしまいますからね。でも大丈夫ですよ。こちらに居る方は、全くそのようなことはありません。それより、あなたを助けてくれるひとと考えてください。」

小久保さんが優しく彼にそういったため、青年は、靴を脱いでお邪魔しますと言って、製鉄所の中に入った。

「それでは、簡単に自己紹介するか。僕の名前は影山杉三で、商売は和裁屋。杉ちゃんって呼んでね。僕、そっちのほうがお気にいり。それでは、お前さんの名前を教えてくれ。」

とりあえず、小久保さんと青年を案内した杉ちゃんは、そう自己紹介した。それと同時に、水穂さんが布団から出てきて、杉ちゃんの隣に座った。

「新しくご利用を希望される方ですか?僕も簡単に自己紹介しますと、名前は磯野水穂と申します。小久保さんといっしょに来てるから、なにか事情があるんだろうなと思うけど、こちらではゆっくり過ごしてください。」

「はい。ありがとうございます。彼は、加畑新太郎くんです。先日まで、藤高校に在学していましたが、現在は無所属です。今、在籍する高校を探しています。」

と、小久保さんがその青年を紹介した。

「はあ、藤高校行ってたのか。随分頭のいい高校に通ってたな。それなのになんでやめちまったの?」

杉ちゃんが言うと、

「それがですね。彼は、藤高校で、進路指導を受けたとき、行き過ぎた指導で体罰を受けましてね。その衝撃でクモ膜下出血にかかってしまい、藤高校を退学せざるを得なかったのです。」

と小久保さんが説明した。

「何でも、担任教師に反抗したせいで、竹刀で叩かれたとか。」

「はあ、そうですか。それで、片麻痺とか、そういうことには。」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。それはないんですけどね。でも、これからは無理はできないということになりまして、普通学校へ転校するのは無理ということで、現在、支援をしてくれる学校を探しています。彼のご両親が損害賠償を取れないかと相談に来ましてね。それで、損害賠償のような法律的なことは、僕みたいな弁護士が対応できますが、それ以外のことは、こちらに頼んだほうが、いいのではないかと思いましてね。それで連れてきたんです。」

と、小久保さんは説明した。

「彼は、進学をするつもりはなく、家で父親が虚弱なため、高校卒業後は、働くつもりだったそうです。しかし、そのことに激昂した担任教師は、彼を竹刀で大量に殴ったんだと言うことです。藤高校といえば、生徒の100%が進学するというところですからな。そうなってしまう教師もいるかも知れない。」

「いやあ、それはやりすぎだ。まあ確かに、伝統的に100%の生徒が進学すると言っても、例外の無いルールはないということを忘れちまっているようだな。もうさ、そうなったら、藤高校なんてやめちまったほうが良かったのではないか?そういう学校にいても、勉強する意味がないよ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「でも可哀想ですよ。確かに、藤高校といえば、居るだけですごいということもあるから、簡単に退学なんて言い出せないと思いますよ。親御さんだって、ものすごい自慢になることでもあるし、彼はそれをやめてなんて親御さんに言い出せなかったんじゃないですか?」

水穂さんが優しく彼に言った。

「だけど、自分を守るために、いい子ちゃんいい子ちゃんしていてはだめなこともあるの。そうじゃなくて、もうこの学校にはいられない、逃げたい!ってちゃんと意思表示しなくちゃだめだ。そうすればクモ膜下出血にかかることもしなかったはずだ。」

杉ちゃんがそう、彼に言った。新太郎くんはそう言われるだろうなという顔をして小さくなっている。

「そうですよね。僕が、もう少し、学校でなんとかしたいと言わなければならなかったんですよね。本当につくづく思うけれど、日本では、途中で躓くと二度と立ち直れませんね。学生時代に、良い成績を取って、友達もたくさん作って、先生からも褒められるような進路を作らなければ、人生は成功しませんね。もう死んだほうがいいってことかな。そうなれば、クモ膜下出血で死ねばよかった。」

「そう思うかもしれませんが、大きなマイナスが、思いがけないことへ導いてくれることもございます。それで嘆いてはいけません。」

と、水穂さんがそう彼に言うのだった。

「そんなわけでですね。これから、新太郎くんのご両親と一緒に、学校へ損害賠償の請求などの手続きをしなければなりません。その間に、自宅内で新太郎くんが一人ぼっちで居るのは可哀想なので、どうでしょう、こちらで預かってもらえませんか?新しい学校が見つかるまで。」

小久保さんが、二人にそういうと、水穂さんはわかりましたといって、利用申し込み書を取ってきて、鉛筆と一緒に彼に渡した。

「そうかあ。学校の行き過ぎで、そうなっちまうのか。大変だねえ。今どきの学校は、損害賠償まで取るんだねえ。まあでも、そうなっちまうというのは、なんかねえ。もう学校に行くよりも、なんか他のことやったほうがいいような気がするんだよなあ。よし、お前さんさ、意思があるんだったらの話だが、勉強はやめて和裁でも習ったらどうや?」

いきなり杉ちゃんがそういったため、みんなびっくりしてしまった。

「和裁ってなんですか?」

新太郎くんがそう言うと、

「着物を縫合して、作る技術や。着物なんて一生着なくてもいいもんじゃないよ。着物に出会って、人生観が変わったやつは、大勢いるんだ。だから、着物を作る技術を学んで、そういうやつが変わっていくのを手伝ってやれや。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうだけど、ちょっとかわいそうなんじゃありませんか。ひどく傷ついているようですし、少し心の傷を癒やしてあげたほうが。」

水穂さんがそう言うと、

「いや、こういうやつは、早く縫合したほうがいい。それでは、お前さんに新しい着物を授けよう。きっと、すごい人生観のある人でなければ、使えない着物だぞ。はははは。」

杉ちゃんは、裸の王様の話に出てくるようなセリフを言った。

「何もしないで、泣いているだけってのが、心の傷には一番悪い。それなら新しいことさせてやったほうがいい。」

平気な顔で杉ちゃんは言った。

「でも、着物も何も知りませんよ。だからそれを作るとか、そういうのを携わるなんて。」

と、新太郎くんは言っているが、

「そうですよ。和裁を習わせるのはちょっとハードルが高すぎます。それならば、まず、着物を見て触れて、体験することから始めてみては?」

と、水穂さんが言った。

「そういえば、カールさんの店で、従業員募集しているが、全く応募が来ないと言って困っていたな。」

杉ちゃんがすぐ言った。

「ああ、そういえばそう言ってましたね。カールさんだいぶお年を召してきて、着物が重くて困ると言っていたような。」

水穂さんもそういった。

「わかりました。じゃあそういうことなら、カールさんの店で、働いてもらおうか。正規の着物屋ではない、リサイクル着物屋だけど、本当に欲しい人がいっぱい来て、着物の勉強になるよ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言って、すぐにスマートフォンを取り出した。そして、カールさんのところへ今から従業員候補を連れて行くと言ってしまった。

「大丈夫です。皆さん悪い人ではありません。皆さん、あなたがまた人間を信じられる青年になれるように、力を貸してくれます。」

水穂さんがそう新太郎さんにいうと、新太郎さんは、そうですかとしか言えなかった。そして、杉ちゃんが呼び出したタクシーに渋々乗って、増田カールさんが経営している増田呉服店に向かった。

カールさんの店は、製鉄所からすぐだった。店というより小さな家のような作りの店で、とても狭い店舗スペースに、着物がところ狭しと置かれている。一般的に着物と言われたら連想される小紋だけではなく、訪問着や留め袖などの、フォーマルな着物も格安で売っていた。確かに、玄関のドアに、従業員募集と書かれている貼り紙がしてあった。

「おーい、カールおじさん。従業員を連れてきたよ。」

杉ちゃんはでかい声でそういい、店の中に入った。新太郎くんも一緒に店の中に入った。

「えーと、加畑新太郎くんね。こいつが店を手伝ってくれるって。良かったねえ。」

杉ちゃんはカールさんに新太郎くんを紹介した。新太郎くんはこんにちはと頭を下げる。

「着物の知識はないですが、精一杯やらせていただきます。」

「ああありがとうございます。着物の知識は持っていても、ほとんど必要ないことが多いですよ。そういうことなら持っていなくてもいいです。大事なのは、着物を本当に欲しい人達に手渡すことです。」

と、カールさんは、にこやかに笑った。

「じゃあ、開店時刻は11時からですので、今日から、働いてもらいましょうか。お客さんは午後に来ることが多いから、よろしくお願いします。」

「ありがとうな。カールさん。じゃあ、こいつのこと、頼んだぜ。」

と、杉ちゃんはでかい声でそう言って、製鉄所へ戻っていった。

数分後、増田呉服店の開店時刻になった。開店してしばらくすると、店の入口に飾ってあるザフィアチャイムがカランコロンとなった。

「いらっしゃいませ。」

カールさんたちは、そう言ってお客さんを迎えた。お客さんは、中年の女性である。

「あのすみません。こちらはリサイクルの着物屋だと聞きましたけど。」

「はいそうです。要らなくなった着物を引き取って、新たな使用者にそれを引き渡す商売です。」

と、カールさんはすぐに言った。

「なにか欲しい着物がお有りですか?」

「ええ。子供向けの着物がほしいというか、振り袖がほしいと思いましてね。」

とお客さんはいう。

「子供さんは何歳ですか?」

と、新太郎くんが聞くと、

「はい。13歳なんです。娘の子供です。」

つまるところ、お孫さんであった。

「それで、この秋、13参りをすることになりました。それで孫に着せるのにふさわしいものはないでしょうか?」

とお客さんはいう。

「そうですか。13歳となりますと、大人とほぼ変わらないサイズでも着られると思いますので、それでは、中振袖か小振袖がいいということになりますな。じゃあですね、そういう伝統のある行事ですから、こういう感じはいかがでしょう?」

カールさんは、そう言って売り台から一枚の小振袖を取り出した。ちなみに小振袖とは、振り袖の一種であるが、袖が腰までしかない短い振り袖である。小振袖は、菊の柄を華やかに金糸で刺繍した、とても豪華なものであった。

「あのこれ、いくらなんでしょうか?」

と女性の客はいう。

「はい。2500円で結構ですよ。着物は需要がないので、お安くできます。」

と、カールさんが言うと、

「そうですか。こんな立派な着物がそんな値段なんて、信じられません。それでは孫も喜ぶと思います。ぜひ、頂いていきます。」

と、中年女性はそう言って、2500円を、カールさんに支払った。カールさんは領収書を書いて、

「じゃあ帯など必要なものが出てきましたら、また来てくださいね。」

と言った。

「こんな着物がこんな値段で買えるとは驚きですね。私達、お金が無かったので、13参りの着物も用意できないから、どうしようかと思ってましたけど、知り合いからこの店のことを聞かされて、こさせてもらったけれど本当に嬉しいです。」

と女性の客は、着物と領収書を受け取って、カールさんたちに頭を下げた。

「本当に人生とは、何があるのかわからないものですね。娘が幸せな結婚をして孫もできたと思ったら、婿はすぐに逝ってしまって、娘だけで苦労しなければならなくて、それで13参りの着物を買ってくる余裕もないものですから、それなら私がなんとかするしかないかなと。でも私も、着物に対して、そんなすごい知識があるわけではなくて、どうしたらいいのか、わからないままでは困りますからね。でも着物ってお高いですから、どうしようと思ってたけど、こういう店があるんだったらぜひ、利用したいですね。」

「いえいえ、着物の知識とかそういうことより、お孫さんに似合うかどうかを考えてください。知識をいくら詰め込んでも仕方ないこともあります。」

カールさんは、にこやかに笑って、そう言って、女性の客を送り出してあげた。新太郎くんは、そんな女性客を不思議そうに眺めていた。

それからお昼すぎ。また、カランコロンと、店の入口に置かれているザフィアチャイムがなった。今度の客は、男性であった。まだ若い男性で、こういうところへ来るのは珍しい客である。

「初めまして、こちらでは、着物をお安く販売しているようですね。」

と、彼は言った。

「ええ、まあ通常価格よりはかなりお安いと思いますよ。」

カールさんはいうと、

「じゃあ、彼女にプレゼントしたいのですが、そのために使える着物はありますか?」

と、若い男性は言った。

「へえ、今時珍しい方がいるものですな。着物をプレゼントしたいなんて。なにかわけがあるのですか?」

カールさんはそう彼に聞く。

「ええ、彼女がすごく着物が好きな子で。何でも、大学で日本舞踊を学び始めたことがきっかけで、着物を着てみたいと思うようになったそうでして。」

と、彼は言ったが、突然その表情がさっと崩れ落ちた。

「でも、彼女、今、入院してるんです。なんとかという、筋肉にできる癌で。手術はうまく行ったようですが、その後の化学療法とかが大変らしいんですね。だから、彼女に元気出せという意味で大好きな着物をあげたいんですよ。おじさん、彼女になんとか元気を取り戻せるような着物はありませんか?」

「なるほどなるほど。わかりました。じゃあそういうことでしたら、こちらの小紋の着物を差し上げたらいかがでしょう。菊の花は病気の完治という意味があり、唐草文様は長寿の意味がございます。着物の柄は、そうやってメッセージが込められている柄もある。だから、着物を通してあなたの願いを伝えることもできます。」

と、カールさんはそう言って、唐草文様と菊の花がらを全体的に入れた、赤い着物を取り出した。

「赤は、忠実な愛の色でもあるんです。だから、そういう意味でも愛するひとにふさわしいかと。」

「そうですか。そういうことなら、これ買っていきますよ。おじさん、これはいくらになりますか?立派な柄なので、すごく高そうに見えるけど?」

若い男性はそう言っているが、

「ああ大丈夫ですよ。こちらはリサイクル品なので、1500円で結構です。」

カールさんがそう言うと、彼は拍子抜けした様なかおをしたが、すぐに1500円を出してカールさんに渡した。カールさんは、それを受け取り領収書を書いた。そして、着物を丁寧に畳んで、袋に入れて、領収書と一緒に渡した。

「ありがとうございます。彼女もきっと喜ぶでしょう。病院の先生も、これであれば大丈夫って喜ぶんじゃないかな。本当に、こちらのお店は、いろんな着物が売っていてすごいですね。」

と、若い男性はそう言うが、

「いや、そんなことはありません。みんな不要品としてやってきたものばかりです。」

と、カールさんは着物の現状を言った。

「でも不用品にしてしまうのはもったいないですよ。だって、そんな意味があるんだったら、言葉以上に素晴らしいじゃありませんか。」

と若い男性は言うのであるが、

「そうですね。それがわかっていれば、こんなふうにされることはない。でも、そうやって寂しい思いをして、また欲しい人のところに行く。今度こそ本当に欲しい人のところに行ってくれれば着物も喜ぶことでしょう。それなら、喜んで安い値段で売りますよ。」

カールさんはにこやかに笑ってそういうのであった。

「だから、彼女さんに大切に渡してあげてくださいね。」

「ありがとうございます!」

と、若い男性は言って、カールさんたちに頭を下げて、店を出ていった。

それから数時間して、杉ちゃんが、始めての勤務はどうだったと増田呉服店にやってきた。閉店する片付けをしていた新太郎くんは、着物を眺めながら、なにか考えていた。

「いやあ、一度はいらないとされても、着物は、本当に欲しい人のところに行けるんですね。それはすごいなあ。」

と、新太郎くんはしんみりと言った。

「そうだよ。人間も同じなんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、

「そうですね。人間は一度切り捨てられると二度と帰ってこれないですけれどもね。だけど、今日来たお客さんたちを見て感動しました。みんなそれぞれ思いがあって着物を買うんですね。まさしく大事なものは、目に見えないというのを聞かされているみたいでした。」

新太郎くんは静かに言うと、

「よし、お前さんは裸の王様ではないな!」

杉ちゃんはでかい声で言った。



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杉ちゃんと裸の王様 増田朋美 @masubuchi4996

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