与旅相遇(トリップカフェ) ― 甘い時間の物語

Haluli

第1話:はじまりのノート

4月8日


大学が始まった。

今日は入学式が終わって、同じクラスの人たちと少し話した。

今週はやることが多すぎて、たぶん日記を書く気力なんて出ないだろう。



4月9日


学校に行ったら、先生たちがそれぞれの授業の成績のつけ方を説明してくれた。

休んだ人の点数を引かれたって聞いて、ちょっと怖くなった。

先輩たちが「最初の週は絶対休むな」って言ってた理由、よくわかった気がする。

行っといてよかった……!



4月10日


何人か話しやすい子と仲良くなった。

一緒にご飯を食べに行って、ついでに名前も覚えた。

藤堂綾音(とうどう・あやね)

小泉紗矢(こいずみ・さや)

高嶺隼人(たかみね・はやと)

きっと、今のところの新しい友達はこの三人。

悪くないスタートだ。



4月11日

明日まとめて書こう、って思ってたけど……。


「ねぇ、ねぇってば!」

「……ん?」

「ねぇー!」耳元でやたらうるさい声がする。

「な、なに!?」

思わず跳ね起きると、そこには紗矢がいた。

「もう授業終わったよ。起きなきゃ減点されるとこだったじゃん。」

「……まだ一回目なのに……先生の話、つまんないんだもん。」

「で? なんで起こされたかって?」

「午前中の授業終わり。つまり、放課後。」

「……あ、そうなの。」

ぼーっとしながら荷物をまとめていたら、ふと気づく。

「あれ、今日って何日?」

「まだ片づけ終わってないの? 遅っ!」

下の席から顔を出した隼人が答える。

「今日は12日だよ。どうしたの?」

「真尋、さっきまで寝てたから。」紗矢が隼人に言う。

……この子、たった数日で変なテンションを覚えたらしい。

「うるさい!」私はムキになって、急いでカバンを詰めた。

「綾音は?」

「廊下で電話してる。」

「じゃ、どこ行く?」隼人が聞く。

名前の印象とは違って、実物は私より小柄。

――そういえば、初めて会ったときの第一声を思い出して笑ってしまった。

「ぷっ……!」

「な、なに!?」隼人が怪訝そうに睨む。

「変なこと考えてんだろ!」

「ち、ちがうって!」

「綾音がレストラン見つけたって言ってたし、行こっか。」

「ふーん。でも今の笑い、絶対なんか考えてたでしょ。」紗矢がじっと私を見る。

彼女は大人っぽい顔立ちに化粧も決まってて、首をかしげる仕草が妙に色っぽい。

そりゃモテるだろうな、と思う。

「いやいや、ただのジョーク思い出しただけ。」

そう言いつつ、私はつい隼人の方をチラッと見てしまった。

紗矢がすぐに察して――

「チビ。」

「おまえな……!」隼人が空気を震わせるような声を出す。やばい、キレる寸前!

「ごめん!」紗矢は即座に財布から千円札を取り出し、私の腕を叩く。

私は慌てて真似しようとしたけど、財布がカバンの底に……!

ごそごそしてる自分、絶対変な動きしてる。

「もういい。どうせ言うと思ってたよ。」隼人がため息混じりに笑う。

「じゃあ俺も綾音と相談して、お前らの黒歴史級あだ名考えとくから。」

「え、なに? どうしたの?」――タイミング悪く綾音が戻ってきた。

「隼人がね、私たちの恥ずかしいあだ名を考えるって。」紗矢が淡々と説明。

「へぇ、そうなんだ。」綾音が小首をかしげる。

……うん、この子、名前のときから思ってたけど、天然可愛い系だ。

「その顔、禁止な。」隼人が急に言う。

「え? なんで?」

「紗矢のはセクシー系、真尋のはピュア系。どっちも危険。」

「なるほどね。」私は納得してうなずく。

「ほら、またそのドヤ顔!」

「やめろよ!」紗矢が私の胸を指でツン。

「なっ……なにすんの!」

「反応が見たかっただけ。」ニヤリと笑ったあと、何事もなかったかのように戻る。

……この人、悪戯のあとだけクールになるの、性格悪くない?

「さて、綾音が電話終わったし、行こっか。」

校門を出てから十五分ほど歩いたところ、住宅街の一角に小さな看板が見えた。

木の板に手書きの文字、まわりは観葉植物や小さな花で飾られている。

「こんなところにカフェあるんだ……。」隼人が感心したようにつぶやく。

「昨日、たまたま通ったの。雰囲気がよかったから。」綾音が少し誇らしげに笑う。

「住宅街のど真ん中か。競争相手もいないし、立地いいね。」紗矢が冷静に分析。

「中もおしゃれそうだね。」私は看板を眺めながら言う。

「じゃ、入ろっか。」綾音がドアを押す。

カラン――小さなベルの音とともに、柔らかな声が響いた。

「いらっしゃいませ。」

店内に入ると、温かい光と木の香りが包み込む。

工業風のインテリアに、バーのようなカウンター。

壁際には三台のダーツマシン。

不思議と統一感があって、居心地がいい。

「なんかバーみたい。」

「お客様、こちらへどうぞ。」

キャップをかぶった店員さんが笑顔で案内してくれる。

制服は白シャツに黒エプロン、シンプルだけど清潔感がある。

「学生さんですね。こちらの席どうぞ。」

窓際の少し奥まったテーブルに案内される。

たぶん、うるさくしても平気な席なんだろう。

「メニューはこちらです。ご注文の際はボタンを押してくださいね。」

店員さんが去ったあと、隼人が小声で言う。

「初めてカフェ来たけど、あれって制服?」

「うん。帽子、白シャツ、黒スカート、エプロン。典型的なスタイル。」

私は得意げに答える。

「でもあの帽子、暑そう。」

「それ、キャップじゃなくてベレー帽な。」隼人が笑う。

「真尋、ほんと常識ないな。」紗矢が続けて笑う。

「うるさい!」

そういえば、この二人と仲良くなったきっかけも、かなり変だった。

最初に出会ったのは紗矢。

あの日、私は急いでトイレに駆け込んだ。

……が、うっかり「MEN」の表示を見落として、男トイレに突入。

出てきた瞬間、目の前にいたのが紗矢だった。

「え? 男の娘?」

「は?」

指さされた壁の「MEN」の文字。

彼女のにやりとした表情が、今でも忘れられない。

そのまま同じクラスだと知って、話すようになった。

以来、ことあるごとに「常識ない女」とからかわれている。

「で、隼人とは?」綾音が聞く。

「こいつ、授業中に妙な顔してたから、具合悪いのかと思って声かけたんだよ。」隼人が説明を始めた。

「『大丈夫?』って聞いたら、『トイレ行きたいだけ』って言われてさ。」

「ふーん。」紗矢が笑いをこらえる。

「で、『我慢できる?』って聞いたら、こいつ、真顔でうなずくんだ。」

「優しいじゃん!」綾音が言う。

「そのあと、カバンから――」

「や、やめて!」

「――生理用ナプキン渡してきた。」

「……」

「え?」

「『厚手のタイプだから安心だよ』って。」

テーブルの上で静寂が広がる。

私は下を向き、机に視線を落とした。

「……いや、だって、なんか役立つかなって……」

「初対面でそれはないだろ。」隼人がため息をつく。

「以上、白石真尋さんの奇行エピソードでした。」紗矢がスマホをマイク代わりに差し出す。

「うう……。」

「まあでも、そういうとこ嫌いじゃないけど。」綾音がふっと笑う。

「変だけど、話してると落ち着く。」

「ほら見ろ、真尋、救われたな。」紗矢が肩をすくめる。

「綾音、見る目ないなー。」隼人が笑い、四人の笑い声が店内に広がった。

「ご注文はお決まりですか?」

振り返ると、別の店員さんが立っていた。

黒いレースのチョーカーに、ゴシック風のメイク。

一瞬、全員が見とれて無言になる。

「……あの?」

「す、すみません!」四人同時に頭を下げた。

そのあとに頼んだランチとコーヒーはどれも美味しくて、話も弾んだ。

笑って、ツッコんで、からかわれて――気づけばもう夕方。

外に出たあとも、私たちはしばらく立ち話をして、ひとりずつ帰っていった。

でも、その日最後に起きた「偶然」は、ここからだった。

家に帰って靴を脱いだとき、玄関に見覚えのある靴が並んでいた。

白いスニーカー。間違いない、あのブランドは「……綾音!?」

ドアの向こうから足音がして、ほぼ同時に声が重なる。

「うそでしょ!?」

「うそでしょ!?」

ドアが開き、目が合った。

「なんであんたがここに!?」

「私のセリフ!」

お互い驚きすぎて笑うしかなかった。

「今日引っ越してきたの。まだ荷物整理中。」

「……マジで偶然すぎ。」

私たちが住んでいるのは、ひとつの部屋を二つに仕切ったシェアタイプのアパート。

同じ玄関を使うとはいえ、まさかルームメイトが綾音だったなんて。

「まあ、よろしくね。」

「こちらこそ。」

笑いながら部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。

壁越しにかすかに聞こえる綾音の足音。

「……ほんと、世の中狭いなぁ。」

天井を見上げながら、思わずつぶやいた。

――今日の一日は、まるで映画みたいだった。

次の日記は、たぶんまた明日。

いや、もしかしたら――もう少し先かもしれない。

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