第7話:気づき

月曜日の朝。
いつもより15分早く目覚ましを止めた。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の隅まで白く染める。
ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。
耳のピアスが、朝日を受けてキラリと光る。
頰に残る美咲のキス。
額に残る優花のキス。
――二人の「大好き」が、頭の中で重なり、胸の奥でざわめく。

制服に袖を通しながら、スマホを開く。
昨日の優花との写真。
図書館の窓際、モンブランのケーキ、川沿いの夕陽。
そして、土曜日の美咲との写真。
映画館のチケット、カルボナーラのフォーク、公園のベンチ。
――同じように笑っている私。
でも、どこか違う。

電車の中。
窓に映る自分の顔を見つめる。
いつもと同じ、のんびりした表情。
でも、今日は違う。
心が、ざわざわしている。

学校に着く。
校門をくぐると、銀杏並木が黄色く揺れる。
教室に入ると、まだ人が少ない。
私の席に、白い便箋が一枚。
丁寧な字で――

『朝、図書室に来てください。――優花』

胸が、どきりと鳴る。
――優花、どうしたんだろう。

廊下を歩く。
靴音が、静かに響く。
図書室のドアは、少し開いていた。
中に入ると、朝の光が、埃の舞う空間を金色に染める。
優花は、本棚の前で立っていた。
制服の上に、カーディガン。
眼鏡の奥の瞳は、少し赤い。

「あかりさん……おはようございます」

「うん、おはよう。……どうしたの?」

優花は、指を絡めながら、
「昨日は……ありがとうございました。でも――」

彼女は俯いて、
「美咲さんと、土曜日……デート、したんですよね?」

私は、ドキッとする。
「え、どうして――」

「LINEのグループで、みんなが話してました。映画館で、二人を見たって……。
それに、ピアス……お揃い、ですよね」

優花の声が、少し震える。
「私……嫉妬、しちゃいました」

――嫉妬?
その言葉が、胸に突き刺さる。

「ごめん、優花。でも、友達として――」

「友達……ですか?」

優花は眼鏡を外して、涙を拭う。
「私、もう……友達じゃ、満足できないです」

私は、言葉を失う。
優花は、静かに続ける。

「文化祭のとき、メイド服のあかりさんを見て……
体育祭で、リレーで走るあかりさんを見て……
美術部で、スケッチするあかりさんを見て……
朝の電車で、本を読んでるあかりさんを見て……
――ずっと、好きでした。
友達じゃなくて、恋として」

――恋?
その言葉が、頭の中で響く。
優花は、涙をこらえながら、
「美咲さんも、同じ気持ちだって……知ってます。
でも、私は――
あかりさんに、選んでほしくない。
でも、選ばれたい」

私は、息を呑む。
――選ばれたい?

優花は、震える手で、一枚のスケッチを見せる。
それは、私。
美術部の窓際で、スケッチブックに向かう私。
笑顔で、鉛筆を動かしている。
「これ、毎日描いてました。
あかりさんの、全部を、残したくて」

私は、スケッチを見つめる。
――こんなに、見てくれてたんだ。

「ごめん、優花。私……まだ、わからない」

優花は、頷いて、
「わかってます。
でも、気持ちは、変わりません」

彼女は、静かに図書室を出て行った。
私は、一人、残される。
――恋、か。

昼休み。
屋上。
私は、一人で弁当を広げていた。
美咲と優花は、今日は来なかった。
風が冷たい。
弁当箱を開ける手が、震える。
――二人とも、私を……

放課後。
美術部室。
私は、一人、キャンバスに向かっていた。
でも、手が動かない。
筆を持ったまま、ぼんやりと白いキャンバスを見つめる。
――優花の涙。
――美咲のキス。
――二人の「大好き」。

部室のドアが、勢いよく開く。
美咲が入ってきた。
「よっ、あかり。まだいたんだ」

「うん……ちょっと、考え事」

美咲は、私の隣にドカッと座って、
「ねえ、優花と朝、話した?」

「え……」

「私も、聞いた。優花が泣いてたって。
――で、どう? あかりの答えは?」

私は、首を振る。
「まだ、わからない」

美咲は、少し笑って、
「私も、告白しようと思ってたんだ。
でも、優花に先越されちゃったか」

私は、目を丸くする。
「美咲まで……?」

「あたりまえじゃん。
体育祭で、一緒に走ったとき。
文化祭で、メイド服着て笑ったとき。
映画館で、手を繋いだとき。
公園で、キスしたとき。
――全部、好きだった」

美咲は、私の手を握る。
「鈍感なあかりに、気づいてほしかった。
でも、もう待てない」

私は、頭が真っ白になる。
――二人とも、私を……恋として?

美咲は、続ける。
「私、優花のこと、嫌いじゃない。
でも、あかりのことは、譲れない」

私は、息を呑む。
――譲れない?

美咲は、立ち上がって、
「考えてて。
私、待ってるから」

彼女は、部室を出て行った。
私は、一人、残される。
――どうすればいい?

夜。
家に帰って、ベッドに倒れ込む。
スマホを開く。
美咲からのLINE。

『あかり、考えてて。
私、待ってるから。
――大好きだよ』

優花からのLINE。

『ごめんなさい。
でも、気持ちは変わりません。
――あかりさんが、世界で一番好きです』

私は、目を閉じる。
――私、どう思う?

美咲の笑顔。
体育祭のグラウンドで、ハイタッチした手。
文化祭のメイド服で、トレイを持った私を見て、目を輝かせた美咲。
映画館で、ポップコーンをシェアしたときの、甘い香り。
公園のベンチで、肩に頭を預けてきた温もり。
――美咲が、好き。

優花の涙。
図書室で、本を読んでくれた静かな声。
美術館で、絵を説明してくれた優しい瞳。
カフェで、モンブランをシェアしたときの、微笑み。
川沿いで、袖を掴んだ冷たい指。
――優花が、好き。

二人と過ごした時間。
朝の電車。
昼休みの弁当。
放課後の部活。
――全部、大切。

――あ。
気づいた。

胸の奥が、熱い。
二人のことを考えると、苦しくて、嬉しくて、切なくて。
――私も、好きだ。

美咲が好き。
優花が好き。
二人とも、恋として。

でも――
どうすればいい?
選ぶ?
選ばない?
この世界では、一夫多妻も、同性婚も、認められている。
三人で、幸せになれる?

でも、私の心は、まだ整理できない。
――二人を、悲しませたくない。
でも、選べない。

涙が、頰を伝う。
――私、鈍感だった。
二人の気持ちに、気づかなかった。
でも、今、気づいた。

スマホを握りしめて、
私は決めた。

――体育祭の後、呼ぼう。
二人を。
グラウンドの隅で。
全部、話そう。

外の銀杏並木が、風に揺れる。
明日から、どうなるかわからない。
でも、初めて――
私の心が、動いた。

ベッドサイドの時計が、11時を過ぎる。
私は、スマホを開いて、二人に同じメッセージを送った。

『明日、体育祭の練習の後、グラウンドの隅で待ってる。
話したいことがある』

送信ボタンを押す。
――これで、いい。

私は、目を閉じる。
夢の中で、美咲と優花が、笑っていた。
三人で、手を繋いで。

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