第5話:美咲とのデート
文化祭の興奮がまだ胸の奥に残る土曜日の朝。 私は駅前のロータリーで、スマホを片手に待っていた。約束は10時。時計は9時53分。美咲はいつも時間ギリギリかと思いきや、今日は違う。遠くから「ごめーん!」と叫びながら、彼女が駆けてくるのが見えた。
白のふわふわニットに、薄手のデニムジャケット。チェックのミニスカートから伸びる脚は、いつもより少しだけ艶やかで、ブーツのヒールがカツカツとリズムを刻む。髪はポニーテールじゃなく、今日はゆるくウェーブがかかっていて、耳元で揺れるたびに甘いシャンプーの香りが漂う。
「おはよー! 待った?」
「ううん、今来たところ」
美咲は息を整えながら、私の腕をがしっと掴んだ。 「今日は一日、私のペースで付き合ってね。デートだから!」
――デート。 その言葉が耳の奥で反響する。でも、私はまだ「友達同士の遊び」の延長だと思っていた。
まず向かったのは駅ビル最上階の映画館。 エレベーターの中で、美咲は私の手を握ったまま離さない。 「ねえ、ポップコーンはキャラメル味でいい? それとも塩?」
「キャラメル! シェアしよう」
「やった! 私もキャラメル派!」
チケット売り場で、美咲は私の分までサッと買ってくれた。 「恋愛コメディの新作。絶対笑えるやつだから、覚悟しててね」
暗い劇場。スクリーンが明るくなる前に、美咲が私の肩にそっと頭を預けてきた。 「ちょっと寒くない?」
「ううん、大丈夫」
でも、彼女の髪の毛が首筋にかかって、くすぐったい。 映画が始まると、ドタバタ劇が展開される。主人公の女の子は超鈍感で、周囲の恋心に全く気づかない。 美咲が小声で囁く。
「ねえ、あかり。あの主人公、私たちみたいじゃない?」
「え、どこが?」
「鈍感なとことか、相手がイライラしてるとことか」
私は首を傾げた。 「え、私って鈍感?」
美咲はくすっと笑って、 「うん、超ド級」
ポップコーンを口に運びながら、私はスクリーンを見つめる。 主人公が「え? なに?」と繰り返すたびに、美咲が私の袖を引っ張って笑う。 「ほら、また言ってる!」
――私、そんなに鈍感かな?
映画が終わると、外はもう昼過ぎ。 美咲は私の手を引いて、駅から5分の路地裏へ。 小さなイタリアンレストラン。木の扉を開けると、トマトソースとバジルの香りがふわりと包み込む。
「ここ、予約してたんだ!」
「もちろん。デートだから、ちゃんとしたとこ選んだ」
テーブルは窓際。陽射しが差し込み、チェックのテーブルクロスがオレンジに染まる。 メニューを見ながら、美咲が目を輝かせる。
「パスタ、どっちにする? カルボナーラ? それともペスカトーレ?」
「カルボナーラ!」
「やった! 私も!」
注文したパスタが運ばれてくると、美咲がフォークを私の口元に運んできた。 「あーん」
「え、恥ずかしいって!」
「いいじゃん。デートなんだから」
周りのお客さんがチラッと見て、微笑んでいる。私は顔を赤くしながら、口を開ける。 クリーミーなソースが舌に広がり、ベーコンの香ばしさが追いかけてくる。
「美味しい……」
「でしょ? 次は私の番」
今度は私がフォークを差し出す。美咲は嬉しそうに「あーん」して、目を細める。 「うん、最高」
食事が終わると、店員さんが小さなデザートのサービス。 レモンのシャーベット。さっぱりして、口の中がすっきりする。
「ねえ、あかり」
「ん?」
「今日、私のこと、ちゃんと見ててね」
美咲の瞳が、まっすぐ私を捉える。 私は首を傾げた。 「え、見てるよ?」
美咲は少し唇を尖らせて、 「……まあ、いいや」
ランチの後は、雑貨屋巡り。 アクセサリーショップで、美咲が小さなピアスを見つけた。 シルバーの星型。シンプルで、でも光の加減でキラキラする。
「これ、あかりに似合う!」
私は耳に当てて、鏡を見る。 「どう?」
「めっちゃ可愛い! 私とお揃いにしよう」
美咲も同じピアスを選び、店員さんに付けてもらう。 耳たぶが触れ合って、くすぐったい。 「これで、いつも一緒だね」
――いつも一緒。 その言葉が、胸の奥にじんわりと染み込む。
夕方。紅葉が始まった公園へ。 銀杏並木は黄色く色づき、落ち葉がカサカサと音を立てる。 ベンチに座ると、美咲が私の肩に頭を乗せてきた。
「ねえ、あかり」
「ん?」
「今日、楽しかった?」
「うん、めっちゃ」
美咲は少し黙って、それから小さく呟いた。 「私、あかりのこと……」
風が吹いて、言葉が途切れる。 私は首を傾げる。 「え、なに?」
「いや、なんでもない」
夕陽が沈み、オレンジの空に街灯が灯り始める。 「そろそろ帰ろうか」
美咲が立ち上がって、私の手を握る。 駅までは、ずっと手を繋いだまま。 改札前。
「今日はありがとう。めっちゃ楽しかった」
「うん、私も」
美咲は少し躊躇って―― それから、私の頰にちゅっとキスをした。 柔らかくて、温かくて、ほんのり甘いリップの香り。
「えっ?」
「デートのおまけ! じゃあ、またね!」
美咲は笑顔で走り去る。 私は頰を押さえて、呆然と立ち尽くす。 ――キス?
家に帰って、ベッドに倒れ込む。 耳のピアスが、鏡に光る。 胸がどきどきして、眠れない。 美咲のキス、温かかった。 でも、なぜか――優花の顔が頭に浮かぶ。
スマホを見ると、LINE。 美咲から。
『今日のデート、最高だった♡ また行こうね。ピアス、ずっとつけててね。……大好きだよ』
私は返信して、目を閉じる。 ――大好き? 友達として、だよね?
でも、胸の奥が、ざわざわと波打つ。 理由はわからない。 映画の余韻? それとも、キスのせい?
外の銀杏並木が、風に揺れる。 明日も、きっと―― でも、今日は、美咲と二人きりだった。
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