第2話 月の名を持つ少年
「そんなわけないじゃん、見間違いだってーー」
翌日のお昼休憩、教室で親友の松野雫に昨日の出来事を話しているのだが、見間違いだと言って私の話を信じてくれない。
「ほんとなんだってば~。怖かったんだよ?」
「それは琴ちゃんが行くからでしょ?そもそもあそこ、狐が祀られてるから何かと怖いところで有名だよ。だから人が寄り付かないんだと思うし」
「え、やっぱり狐が祀られてるんだ。なんでしーちゃんそんなこと知ってるの?」
彼女はこの高校の近所に住んでいるから詳しいのかとは思ったけど、神社に興味のある高校生なんてほんの少数なはずだ。特別心霊好きでもないし、神様オタクでもない。基礎的な知識なのだろうか?
「おばあちゃんがよく話してくれるの。あの神社にはお稲荷様が祀られているから、粗相を犯したら呪われちまうーって」
「そ......そうなの.... ?」
「らしいよ。でもおばあちゃん曰く、お稲荷様は心優しく人々を大切になさる方だから、たいそうなことをしない限り大丈夫だとは言ってた」
私はそれは信じ難かった。なぜなら、昨日私が感じた悪寒は、心優しい神様の気配では絶対ないと思うからだ。あんなに鳥肌が立ったんだからきっと怖い神様だと思う。それかただ単に幽霊がいたのかもしれない。
「狛犬がいなくなってたのなら、その狛犬........動き出してたりしちゃってんじゃなーーい?」
「怖いこと言わないでよ!」
「いやいや、これまじめ」
雫は真顔でそう言った。
「.........は?」
「あそこね、狛犬がなくなったとかなくなったはずなのにいるとかよく怖がられてるの。実際私は見たことはないけど、あそこで幽霊を見たって人もいるらしいし」
そうさらっと言い放ってからもぐもぐとおにぎりを食べだした。
幽霊がいる。その勘は当たっているのか。実際に見た人がいるのならあの神社がさらに恐ろしく思えた。神社にはたいてい幽霊は入って来られないはずだ。これは小説とかアニメとかでよく描写があるから知っている。それにも関わらず神社に幽霊がいるというのは、神社が神社として機能していないことの証明となってしまうのではないか。
こんなことをしーちゃんに言ったってすべてを知っているわけではないのだから留めておくことにする。
「そうなんだね。怖いね」
単純な感想をさも思っているかのように言葉にして、この話を終わらせた。
放課後になり、私は階段を上っている。
どこの階段かというとあの神社の階段だ。昨日はもう行かない。怖いから行かないって思っていたけど、やっぱり気になってしまって上らずにいはいられなかった。また怖いことが起きたら逃げればいい。幸いなことにも私には霊感がない。昨日の感覚は多分本能的なものだから、俗に言う第六感というものではないだろう。なにかあっても見えないという真実がある以上、興味があるなら行くという行動をせずにはいられなかった。
「..........やっぱあるよね」
昨日と同じく狛犬はきちんとあった。とりあえず一安心。
上りきると、私は町が見えるところまで行き静かに町を見渡した。秋に入ったこの季節は、町はいつもより暖かく見える。空も澄んでいて秋日和だ。今日は月がきれいに見えそうだ。
風が吹き、木々の音がし、あたりが少し暗くなった。
なんか少し気になってゆっくり振り返った。
狛犬が消えていた。
びっくりして瞬時に頭の向きをもとに戻した。
え、ちょっとまって、落ち着いて、落ち着いて。大丈夫、いや、そんなことは、そんなはずは。消えてる?なんで、さっきあったのになんで?やっぱりしーちゃんの話は本当なの?一回落ち着こう、大丈夫大丈夫。
呼吸が荒いのが自分で分かるが、抑え方が分からない。
とりあえず綺麗な町を見下ろしながらゆっくりと呼吸をする。同時に大丈夫だと唱える。
2、3分経ちだんだん落ち着いてきた。いつものように呼吸ができるようになってきた。
「......よし.... 」
そう勇気を出して立ち上がり振り返った。
「わっっっ!!!!!!!!!!!」
目の前に白い袴を着た人が見えて、恐怖で腰が抜けてしまった。
どうしよう、見えた。見えてしまった。幽霊が、幽霊が目の前にいる。
私はぎゅっと目を瞑り、目の前の現実から遠のこうとした。だめ、怖くて震える。汗が止まらない。目を開けてしまえば憑りつかれる。ああ、動けないよ。私のバカ。興味本位で来るからこんなことになる。
「......あの......」
声まで聞こえてしまった。しかも男の人?!いやいやそれはどうでもよくて。よく言うもんね、何かの機会で霊感を持ってしまう人がいるって。絶対それだ。やだよ、見えなくてもいいものまで見えてしまうなんて。恐怖で涙が止まらないのを肌で感じた。とりあえず何か面白いことを考えよう、それで紛らわして......。
「大丈夫?」
そのあまりにも優しくて月のかけらのような声に、身体は反応し、私はゆっくりと瞼を開いた。
目の前には、白い袴を着て狐の耳が生え、白くやや長い髪を纏った綺麗な男の人がしゃがんで私を覗き込んでいた。
幽霊には見えなかった。美しすぎて、神様でも見ているのかと思った。
その男は、特に何も言わず、私を月の輝きのような瞳でじーっと見つめている。距離が近すぎて私は呼吸ができない。
「君............泣いてる」
男は私の目じりに手を伸ばし、そっと涙を拭きとった。
いきなりの出来事に体がびくっとなって彼の顔から目を逸らした。
「目を逸らさないで」
そう彼は言うと、私の目に目を合わせに来た。
「......あ........あなたは....幽霊......なの......?」
恐怖で震えた小さな声でそう聞くと、彼は少し口角をあげて不思議な笑みを浮かべた。
「初対面で幽霊とは、失礼だね、君」
「あ、いえ、そんなつもりはなくて、だ、だってここ幽霊出るって」
「多分それは僕のことだと思うよ。幽霊って言われるのは結構慣れてる」
困ったように彼は笑ったかと思うと、急にまじめな顔をし出した。
「なんで君はここに来たの?人がここに来るのなんて久方振りなんだが」
その少し威圧的な雰囲気に喉がごくっと鳴った。なんで来たの?って、まるでこの神社の保有者のような言い方だ。そのことを問いただそうと思ったけど、とても聞きづらい雰囲気で、その言葉が喉から出なかった。
「..........きょう....みが......あって......」
その言葉を出すだけでやっとだった。
怒られると思ったが、しばらく彼は私を見つめるだけで何も言ってこない。
呆れているのか、反応が面倒くさいのか、どっちだ。
目を逸らすなと言われた以上逸らすことはできない。ただただ謎の時間が過ぎていくだけ。
あまりにも彼が表情を変えないため、少し怖くなり自分でもわかるくらい泣きそうな顔をしてしまった。
「ぷはっ」
男はいきなり吹き出した。子どものようなかわいい笑顔だ。それはそうとなぜいきなり吹き出したのか分からない。私の顔が何かおかしかったのだろうか。
「そんな、泣きそうな顔しないでよ。冗談だよ冗談。久方振りに人が来て僕はすごくうれしいんだよ」
目を優しく細めながらケタケタと肩を震わせる。
私は彼についていけず、自信なさげに首を傾けることしかできなかった。
「とにかく、来てくれてありがとうね。ここ、変な噂が立ち始めてから誰も寄り付かなくなったんだ」
「............そうなんですか」
「君は久しぶりの拝観者。敬意を表します」
彼はそういうと正座をし、深々と頭を下げた。
今なら聞くことができるかもしれない。さっきからずっとここの所有者かのような言い方をしている理由を。そしてあまりにも嬉しそうにする理由を。
「...........あ......の.......」
「なにかな」
彼はゆっくりと顔をあげ私の目を見つめた。
「..................あなた......誰なの」
私がそう恐怖交じりの声で言うと、彼は嬉しそうな、それでいて悲しそうな顔をしてから一度瞬きをし、私に顔を近づけた。
「僕は狐森 月。この神社の狛犬、つまり守り神だ」
木々が揺れ、大きな月が夜空に顔を出した。
「.........狛犬.......」
「はい、僕は自己紹介したよ。次は君の番。名前を知りたい」
「........雲瀬 琴....です.... 」
「琴。琴様か。綺麗な名前だ」
彼は”様”をつけて私の名前を言った。様なんて言われたことはないからとても違和感を感じてしまう。
「あの、様呼びちょっと違和感があるんですけど...。普通に呼んでいただけた方がいいんですが......」
そういうと彼は目を見開いて不思議そうな顔をした。別に私は変なことは言っていない。普通なことを言っただけ........なはず。
「僕は守り神だから、生き物には様をつけるのだよ。大切な大切な命だからね」
彼は誇らしげな顔をしたが、少しだけ辛そうな表情が入り混じっていた。
「.......そうなんですね。神様らしいです」
「そんなことを言われたのは初めてだ。というか、こうやって人間様と話すのもずいぶんと久しぶりだからか、なんかドキドキするよ」
彼はふわっと笑って胸に手を添えた。
なんだか不思議な人だ。明るいのに静かで、同い年に見えるのにどこか大人っぽい。話すことが苦手な私でも彼との会話は苦じゃない。むしろ楽だ。神様というものはすごいものだ。
「琴様は、この周辺に住んでいるのかい?昨日も来てたでしょ?」
「少し遠いとこに住んでいるけど、そこの高校に通ってます」
昨日来ていたのも知っていたことに少し驚嘆が出そうだったがこの神社にいるのだから当たり前かと思いそれは飲み込んだ。
「ふーん。じゃあさ、明日も会わないかい?」
「.............え?あ、明日も...?」
少しだけ甘えたような声に心臓がドクっとなり、彼の瞳から目を逸らしそうになった。
「明日も、明後日も、その次の日も、会いたいな。これはいけないだろうか」
また目を合わせに来て、三日月のように笑って幼い子どものような甘えたそうな声を出した。
私はどう反応したらいいのか分からなかった。こんなことを言われたのは初めてだし。神様というのはこんなにも人間に馴れ馴れしいものなのか?それにつられてすべてにいいよと応答するのは危ない気がするのだ。それにこの神様を人間に置き換えたなら、相当やばいやつだ。初回からこんなに馴れ馴れしさを出す人は危ないんだよ、としーちゃんに何度も言われてきた。
つまり、この男をまだ信じてはいけない!
「......まだ....初めて会ったばかりだし......そんなに親密に―———」
「琴様、友達がいない僕と仲良くなってくれないだろうか」
寂しそうな顔を浮かべ、母親にお菓子をねだる子どものような目で私を見つめてくる。
いけないよ琴、この人は何か含んだ表情をしている騙されてはだめだよ、いけないよ。
「..........い......いよ.... 」
言ってしまった。空気に流されてしまった。私はなんてことを......。脳では分かってたじゃん。答え出てたじゃん。なぜ流されてしまったの。
「ほんとかい?!よかった......琴様と明日も会える。ありがとう」
彼の喜び方は本当のように見えた。偽りの表情には見えなかった。
そんな彼の表情につられてか自分の強張った表情も自然と緩んでいっている感覚がある。心がじわっと暖かくなる感覚すらある。
「お、話しているうちにだいぶ暗くなっちゃったね。危ないから琴様はもう帰った方がいい。親御様も心配するだろう」
「あ、本当ですね。気が付かなかったです」
さっきまで綺麗な夕焼けが見えていた。彼と会ってから一瞬で夜になったのだろう。時間の流れは速い。
「夜は気が落ちやすいから琴様に結界を張っておいたよ。だから安心して帰ってくれ。本当はついていきたいけど僕はここを離れられないからね」
「結界......?どこにあるんですか?見えないです」
「はははっ琴様には見えないよ。でもしっかり強靭な結界を張ったから大丈夫」
自信満々な顔で笑って手で結界を意味するようなジェスチャーをし出した。
神様にしては少しあどけなくて、親近感さえ感じてしまう。だからか波長が心地よくて、まだここでお話していたいという錯覚が起きてしまう。
「じゃあ、また明日ね。学校帰りでもいいし早朝でもいいからね」
「早朝は無理です!ただでさえ朝が早いのに.... 」
「はははっ冗談だよ。学校帰りにまた待っているからね」
彼は腰を少し折り曲げて私に一礼した。その紳士な姿に少し見惚れてしまった。こんなに所作がきれいな人物は初めて見たからだろうか。
「どうしたんだい琴様? 結界は時間の制限があるからね?早く帰らないときれちゃうよ?」
「は、はい、さよなら」
彼に顔を覗き込まれてはっとして、冷たく挨拶をしてそそくさと階段を降りてしまった。というかさっきの彼の言い方、私に早く帰ってほしいみたいな言い方だ。少しむっとする。
暗くなった神社を見上げると、彼はいなくて狛犬が私を見守るかのようにして存在していた。
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