第5話 「公開勝負で決めろ」って通知が来た朝
朝イチ。プレハブに入ったら、部長がもう中にいた。スーツじゃなくて作業着。顔が“おもしろいけどめんどくさいやつ来た”って顔をしてる。
「おはようございます。ちょうど今から“見える棚”やろうと──」
「ごめん、棚の前に一個だけ。向こうが爆発した」
「向こう」というのは、もちろん俺を切った旧工場だ。
みのりがわくっとする。「また“ヨシって言ったのに開いてた”ですか?」
「それに一個、追加」部長は指を二本立てた。「“ヨシって言ったのに動いた”が出た」
「うわ」
「それは、ヤバい」朱音の声がいつもより出た。
部長は机に一枚A4を置いた。監査のロゴ入り。俺は一目で分かった。
【通達】
5:55の始業前点検において、上部コンベアの一時停止が確認されていないにもかかわらず「ヨシ」と呼称され、作業者が機側に入った事案が発生。
幸い接触には至らなかったが、点検記録からは「通路・機器ともにヨシ」としか読めない。
今後は呼称内容の妥当性を第三者が検証できる形で運用すること。
ついては、現行の「声量重視の安全呼称」と、貴社で試行中の「見て→言って→残す安全呼称」について、公開比較を行うことを推奨する。
比較結果に基づき、勝った方式を全社標準とすること。
「……あー、とうとう言われたんですね」俺は息を吐いた。
「とうとう言われました」部長も息を吐いた。「“声が大きいから安全”って書けないですからね、監査は」
「向こうは何て?」
「“今日やる、場所はそっちでいい、時間だけ決めろ”だそうです。ノリはいいです。声出すのは得意だから」
みのりが手をぶんぶん振る。「公開比較って、つまり“どっちがちゃんと見てるか見せろ”ってことですよね!? やるやるやる!」
「やる気だけはあるな……」
朱音が心配そうに言う。
「でも、向こうは声が大きいだけで“やってる感”が出ますよね。見てないのに“やってる感”」
「だから“やってる感”を潰せるようにしとかないと、こっちが負けたみたいに見える」
俺はホワイトボードを取り出す。
「今日やるのは3つだ」
1. 見える棚をA3で作っておく(最初に見る場所を固定)
2. “聞こえなかったのでデータ残す”の使い方をもう一回だけ復習
3. 公開で見せる用の“きれいログ”を作る役を決める
「3番、私ですね」
リコがすぐ挙手した。
「公開用はボタンを間違えないようにラベルもでっかくします」
「任せた」
──────────────
まず1番。見える棚。
俺は現場の写真を何枚か印刷して、A3に“ここ毎日なんかある”を赤ペンで書き込んだ。
フォークリフト充電ケーブル、通路カド、半ドアになりやすい柵、廃材置き場の横、消火器の前。
「これを最初に壁に貼る。“ヨシィ!”って叫ぶ前に、ここ見てからにする。“毎日なんかある場所”を先に見せとくと、“ヨシィ!!”だけじゃごまかせない」
「おー、写真あると分かりやすいですね」
みのりが食い入るように見る。
「“ここなんかあるよ”って顔で写ってる」
「そう見えるように撮った」
「すご……」
朱音が指をさした。
「ここ、昨日もケーブルゆるんでた場所です」
「そう。そこが一番向こうと差が出る。向こうはそこで“通路ヨシィ!!”って言った。でも写真があれば“ここを見たか”が丸分かりになる。写真に勝てる声量はない」
リコがニコッとした。
「“写真に勝てる声量はない”いいですね。ポスターにしたい」
「ポスターは後な」
──────────────
次、2番。“聞こえなかったのでデータで残す”の復習。
「公開でやるときは、ぜっったいに“聞こえませんでした”が出る。周りがざわざわしてるし、向こうがわざとでかい声出すからな。“聞こえなかったから無効”にしたら向こうの思うツボ。だから先にこれ押す」
リコがPCを前に出す。
点数聞こえなかったのでデータで残す(公開モード)
「公開モード?」みのりが食いつく。
「はい。公開モードだと、“聞こえませんでした/でも〇〇が目視した”ってところまで一行で出るようになります。“聞こえなかった=やってない”にさせないやつです。あとボタンでかいです。失敗しないように」
「公開モードかわいいな……」朱音がちょっと笑う。
「かわいいって言ってください。かわいいとみんな押します」
「どんだけ“押させるか”にこだわるんだよ」
俺は笑った。
「でもこれがあると向こうの『聞こえたか? 聞こえなかったか?』の押し問答に入らなくて済む。あっちは絶対そこに引きずり込んでくるからな」
「ひきずりこんでくる……」
みのりが真似してニヤっとする。
「“聞こえてねえだろ!”ってやつですね」
「そう。そこで“聞こえませんでした。目視したデータを残します”って言ったら終わる。声じゃなくて内容で勝負するところまで持っていけば、こっちのフィールドになる」
──────────────
3番。公開用ログの役割。
「で、本番はリコがここでログを作る。俺と朱音が見たやつを口で言って、リコが“見:朱音”“見:俺”って打ってく。“あとで清書します”ってやらない。その場で残す。“あとで清書します”ってやるから、向こうは今“何を見たか”が出せない」
「わたし本番でミスったらどうします?」リコが不安そうに聞く。
「“ミスったのでやり直す”をボタンにしとけ」
「なるほど」
「この工場は、ミスったことをその場で見せても怒られない。向こうは“ミスった”を隠す。そこがいちばん違う」
みのりが手を挙げる。
「公開って、どこでやるんですか? うちの現場で?」
「向こうが“そっちの現場でいい”って言ってきた。たぶん“アウェイでも声量なら勝てる”って思ってる。だから今日の午後、ここに来る。時間は……13:00」
「本日!?!?」
三人同時に言った。
「本日。午前で仕上げる」
「仕上げる〜〜〜」みのりが頭を抱えた。
朱音は小声で言った。
「でも……逆に、今日来るってことは、向こうも焦ってるんですね」
「そう。“ヨシって言ったのに動いた”は、でかい声のやり方にとっては一番触れられたくない失敗だからな。“声量で安全は担保できませんでした”を今日のうちにかき消したい。だからすぐ来る」
──────────────
同じころ、旧工場。
「書けって言われたぞ。“どこを見たか”」
「うわあ……」
「でかい声だけじゃだめってよ」
「そりゃそうだろ……」
桑名は机に両手をついていた。
前に届いた監査のメールと、今朝届いた“公開で比較せよ”の通達を並べて、歯を食いしばっている。
「……見りゃいいんだろ。見たって言えばいいんだろ」
「桑名さん、見てからヨシって言うやつ、あっち行きましたよ」若手が言う。
「知ってる」
「で、どうするんですか」
「行く。今日行く。あいつの“静かなヨシ”がどんだけ通るのかこの目で見る。で、通ったとしても言う。“聞こえなかったら安全じゃない”って」
「でも監査が“聞こえなかったのは記録で残せ”って……」
「分かってる!!」桑名は声を荒げた。
言ったあとで、少し息を吐いた。
やっぱり“声を荒げる”で考えを切ってる。
細かい話は午後に回す。いつもそうやってここまで来たんだ。
「準備しろ。今日の13:00。相手の現場でだ。俺らのヨシが本物だって、でかい声で言ってやる」
若手たちは「はい!」って返事をした。
でも返事をしながら、(これ、声デカいほうが負けるパターンじゃ……)って顔もしていた。
──────────────
新工場・昼前。
「じゃあ本番シュミレーションやるぞ。俺が“始業前確認します。担当はホワイトボード”って言ったら、みのりが通路で“止めます→見る→モップ→よける→ヨシ”まで、朱音は柵で“揺らす→マステ貼る→ヨシ”。リコは全部“公開モード”で残してく。俺は後ろで“今の聞こえませんでした”をあえて言う。そうすりゃ向こうが来ても崩れない」
「了解でーす!」
「こっちも……やります」
「マクロは……大丈夫です」
みんなの返事が、今までで一番そろってた。
13:00に向こうが来る。
でもこっちは13:00を待たずに、もう本番と同じ動きを始めていた。
声を大きくする準備は、向こうの仕事だ。
“聞こえなかったときの道”と“その場で直す許可”を用意しておくのは、こっちの仕事だ。
あとは、見せるだけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます