第4話 名前つきヨシが一番怖い
朝。今日はホワイトボードに数字じゃなくて名前を書いた。
・みのり → 通路
・朱音 → 柵・ロック
・リコ → 記録と“聞こえなかった”の回収
・俺 → 全体と“直したやつの確認”
「今日はこれで行く。“誰が見たか”を先に決める日だ」
「名前、出ちゃってますね……」
朱音が肩をすくめる。
「これ、サボれないやつですね……」
「サボれないやつです。でもこれが一番、本物になる。“みんなで見ました”ってやつが一番あぶない。旧工場はずっとそれでやってたから、誰も“開いてました”って言えなくなった」
みのりが手を挙げる。「私、通路やりたいって言ったけど、見落としたらどうするんですか」
「見落としたら“見落とした”って残す。“見落とした”を書ける工場が強い。“見落としゼロでお願いします”ってやってた工場が、今ごろ向こうで毎日どっかにぶつけてる」
「向こう……」みのりは想像した。でかい声で「ヨシィィ!!」ってやってる光景を。
リコが手を挙げる。
「“見落とした”って押すマクロも要りますね」
「要る。作っとけ」
「はーい。“見落としたので後で確認する”でいいですか」
「いい。“失敗”とか“エラー”とか書くと押されなくなるからな。やさしい名前にしとけ」
「任せてください、やさしい名前だけは得意です」
朱音がちょっと笑った。
「“怖くないマクロの人”って呼ばれますよ」
「それはいいです」
──────────────
今日は本番っぽくやるために、通路と柵のところに他部署の人も立ってもらった。見てる人がいると、一気に“名前出るの怖い”が出るからだ。
「じゃ、始める。最初の掛け声は俺。“始業前、安全確認します。担当はホワイトボードのとおり”」
「はい!」って返す声も、今日はちょっと緊張してる。
「……通路、みのり」
「はいっ。止めまーす。人なし、パレットなし、ケーブルなし、通路——」
一瞬、みのりの視線が泳いだ。
床に掃除のモップが一本、ちょっとだけ頭を出してる。わざと置いてあるやつだ。
みのりは一拍おいてから、言い方を変えた。
「通路、モップが出てるので、よけます。……よけました。通路、よし!」
いい、できた。
「今の、“名前つき”でやったから言えたんだよ」
俺はすぐ言う。
「“みんなで通路〜”だったら誰も言わない。誰かが蹴る。で、“誰が見たか分かんないから”で終わる」
リコがすぐに 通路 モップ→除去→ヨシ 見:みのり 記録:リコ を打つ。
08:59 通路 モップ出てた→除去→ヨシ
見:みのり
記録:リコ
「はい、次。柵・ロック、朱音」
「……はい」
朱音は深呼吸を一回してから行く。
柵を揺らす。半ドアではない。ロックもかかってる。
でもロックの周りに、昨日誰かが付けたマステが少し浮いてる。
朱音「柵、ロックはかかってます。テープが浮いてるので、貼りなおします。……貼りました。柵・ロック、よしです」
「よし」
俺がうなずく。
リコがまた1行打つ。
09:01 柵ロック テープ浮き→貼り直し→ヨシ
見:朱音
記録:リコ
部長も見ていた。
「……やっぱ“誰が見たか”を最初に言わせると、ちゃんと見るなあ」
「“誰が見たか”と“何を見落としたか”をセットで書けるようにしとけば、声を大きくする必要がないんですよ」
俺は言う。
「声がでかいとこは、名前が出てこないときに音でごまかしてるだけです」
「音でごまかすって、なんか分かる……」
みのりが苦笑した。
「『ヨシィィィ!!』って言うと、ちょっと悪いとこあっても“まあいいか”ってなる」
「そう。“まあいいか”を声でやると続かない。“まあいいか”は紙でやる。“後でやる”って書けばいい」
朱音が手を挙げる。
「“後でやる”って書いたやつ、誰が見るんですか」
「俺と……明日はお前らが見る」
「えっ」
「“後でやる”を見に行くのが次の当番。今日の“後でやる”は明日の“一番に見る”になる。こうやって回すと、“後でやる”が捨てられない」
「回すんですね……現場で」
「回す。回さなかったから、前の会社は“半ドアのヨシ”が残った」
──────────────
昼前。リコがPCを持ってきた。
「見てください。名前つきでやると、ログがめっちゃ読みやすいです」
画面にはこう並んでる。
・08:59 通路 モップ出てた→除去→ヨシ 見:みのり
・09:01 柵ロック テープ浮き→貼り直し→ヨシ 見:朱音
・09:03 足元 問題なし→ヨシ 見:俺
「この“見:〇〇”が並んでると、“ちゃんと人が見た安全”になる。“全員で見ました”が並んでると、“誰も見てない安全”になる」
「おお〜〜」
みのりが素で感心した。
「名前だけでこんなに違うんだ……」
「名前ってね、ちゃんと見た人をほめるために書くんですよ」
リコが言う。
「怒るためじゃない。『今日のモップ拾ってくれてありがとう』って後で言えるから書くんです」
「それめっちゃいい」朱音が小声で言った。「“見つけた人が面倒見てくれた”ってなるの、気が楽です」
「そう、気が楽になる。“怒るために名前を書く”をやると、一週間で誰も書かなくなる。旧工場はたぶん、いまそれで困ってる」
──────────────
同じ時間、旧工場。
「今日から“誰がヨシと言ったか”も言う!」
桑名が朝礼で宣言した。
どん、と足を鳴らす。
「通路ヨシィ!! 桑名!!」
現場A「通路ヨシィ!! 田嶋!!」
現場B「通路ヨシィ!! えっと……」
桑名「おい! 名前が小さい!!」
新人「すみません!! 佐藤です!!」
でかい声で名前も言わせる。
けど、ここで問題が起きる。
次の項目。「柵ロック、ヨシィ!!」
現場C「ヨシィ!!」
桑名「誰が言った!!」
現場C「……えっと」
桑名「でかい声で名前を言え!!」
現場C「やりました!!」
桑名「何を!? どこを!? 開いてたかどうか言え!!」
現場Cは半ドアをちゃんと見てない。
でも「ヨシ!」って叫んだから、その場は通る。
結局、名前を言わせても“何を見たか”を言わせないから中身がない。
監査が後ろで見てて、ため息をひとつ落とした。
「名前を言うのはいいです。でも“どこを見たか”が無いと意味がありません。
名前と箇所を一緒にしてください」
「うるせえな……」
桑名は小さく言う。
「今まで通ってたんだよ、これで」
でも“今まで”が通じなくなってる。
“名前を言え”と“何を見たか言え”と“直すなら今言え”が一気に来て、現場は混乱した。
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新工場・午後。
「じゃあせっかく名前が残ったんで、“ありがとう”も残しとく」
俺はリコのPCを借りて、ログの右端に一列足した。
・コメント(任意)
「ここに“ありがとう”とか“助かりました”とか“明日はここ先に見ます”とか書いとけ。名前が残るってのは怒るためじゃなくて、褒めるために使う。それができたら、“名前が出るからヨシ嫌”がだいぶ減る」
「じゃあ私は“モップありがとう”って書いときます」リコ。
「私は“テープ気づいてえらい”にします」みのり。
「私は……“また見ます”で……」朱音。
「いいな、それ。継続宣言っぽくて」
部長が通りかかって画面を見て笑った。
「なんか、優しいログになってきましたね」
「優しくしないと押さないんで」
俺はさらっと言う。
「“押す前に怒られる想像”をさせない。だからマクロも“怖くない名前”にしてる」
「“実行”にしなかったんですか」
「“実行”は怖いっすね」
リコが間髪入れず言った。
「“聞こえなかったのでデータに残す”にしました」
「長いけど、読める。いいですね」
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夕方。部長がぽつっと言った。
「そういえば向こうの工場、また“ヨシって言ったのに開いてた”で監査に突っ込まれたらしいです」
「名前つけたのに?」俺。
「はい。名前を“でかい声で言え”にしただけだったみたいで。“何を見たか言ってないので意味がない”って言われてたそうです」
「そりゃそうだ」
俺はホワイトボードを見た。
今日書いた
「みのり→通路」「朱音→柵」「リコ→記録」。
ただの名前の羅列だけど、ここには“どこを見たか”が一緒に入ってる。
だから小さい声でも成り立つ。
でかい声より、誰が見たか。
そして、何を見たか。
これがそろったら、あっちはもう声を上げても追いつけない。
「明日は、“見える棚”やるぞ」
俺は言った。
「毎日なんか出る場所を最初に並べとくやつ」
3人がそろって「はーい!」と返事をした。
返事の大きさより、返事の内容がそろってるのがいい。
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