彷徨

@dagon31

第1話

汽車がけたゝましく唸っている。

そんな情景のみがこびり付いている幼少であった。一時期汽車を好きになって、熱心に絵に描き起こしたが、周囲の声に折れパタンとやっていない。幼子の絵なのだから、才能があるわけでも無いのだから、そんなに期待された出来のモノでは無い事なんてわかっているくせして。「ちィいとばかし歪んどォなぁ」、車夫に見せたらこの有様だ。私の住む街には省線電車が少しと汽車の幹線が一つある。ちょっとした乗り換え駅となっている。まだお屋敷の残る寂れた元宿場町であり、炭鉱や山の方へ省線電車が伸びており、大都市と地方都市をつなぐ幹線の駅から伸びている。炭鉱からの輸送列車の後ろに客車を引かせた簡易的なモノだが、買い物に行くにも、登校にも使われているが2両ほどの客車で事足りるのが皮肉である。賑わっている狭い車内には近所のおばさんから会社員、炭鉱夫までもが乗っている。

私の学校は省線電車で15分、幹線で一駅の隣町にある。ありがたく親に恵まれて、頭脳にも恵まれたのかそこそこの進学校通わせてもらっている。学校は良いところに行っているものの成績は芳しくないのだが。幼少からの落書きもやめ、もっぱらの読書好きに転身してしまった。今でも汽車は好きだし、時折独りで旅に出ることもあるが昔ほどの熱量では無くなってしまった。勉強もせずに放浪癖だけを拡充して行き、しまいには家にいろと閉じ込められた始末である。その時は大層落ち込み、まるでゲージに入れられたラットのような気分であった。それからと言うもの全く心を入れ替えた、そのように振る舞っては渋々勉強をしてみたり、ふと外を眺めてみたり。気づけば卓上の鉛筆は常にとがりを保ち、部屋は正常で、本棚には類別された本の数々が蒼然と並ぶ。そんな退屈な日々に嫌気がさし、鬱屈した気分がたまったとある日。こっそりと貯めておいて小銭を握りしめて、学校へと向かうことにした。いつもより口角が上ずる。いつもは重いエナメルの鞄も今日ばかしは軽く思えた。授業は無論頭になんか入らない。学校が終わるとすぐに駅へ走り、ちょうど出発する準急列車に飛び乗った。列車はゆるりと動き出す。平日の昼なのだから空気輸送同然だ。どこにでも座っていい自由、それを得ながら軽々と移動している自由。しばらく走れば地元の幹線駅を爽快に通過していく、嗚呼、我は自由である。

手持ちで行って来れる最大は日本海の見える都市までであった。行きは準急を使っているが、復路はそんな余裕もなさそうである。普段乗っている普通列車とは違い洗面器や窓側の肘掛け、何よりも都市間の輸送に特化した軽快なこの速度がたまらない。普段の生活では得られない新鮮さや爽快感がここには詰まっていた。そうこうしているとあっという間に目的の駅に着いた。終点ではないからそんなに長くも止まらないし、せかせかと下車の支度を始めねば次の駅まで連れて行かれる。三等車とは言え良い経験になったと、寂しさと抑えられぬ昂揚を胸に。列車は走り去っていった。私の眼前には見たこともないような大きな駅舎が、たくさんのレールが、大きな機関庫がずらずらと並び未開の地に踏み込んだという実感が湧き出てきた。時刻はもう既に4時を回ったところ。地元から普通に来れば1時間はかかるが、あっという間についてしまった。駅を出てみれば大都会ほどではないが大きな街が広がっている。当時の私には近未来的で美しいとてつもない大きさの街に見えた。その後は自分でもよく覚えていないが商店街を初めて眺め、一番安いお団子を買って歩いていた事だけはぼんやりとある。そんな鮮明ではなくとも、私の人生においてかなり思い出深い経験になった事は記憶している。近頃思い返すのはそんな出来事の所為か仕事につながっていると言う事。それと、こっぴどく叱られたわけだが、社会人になると同時に、抑圧されていたものが弾け飛んだ様にお金を稼いでは休みをとり放浪してまた働いてを繰り返していた。そんな日常は楽しく無かったあの日々を彷彿とさせる。またもや抑圧された気分になっている、旅でさえも心を癒しきれない疲弊を感じた時分、私は職を辞した。これまで書き溜めていた旅行記を出版社に持ち込んだ。そして私は旅に出た、もう旅明けの仕事に怯えることもない。私はなんとも言えない優越感のもと平日午前の急行に乗って北に向かっただけだった。そんな私を見送ってくれるのも、また町工場の煙のみであった。

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