第11話 ざまぁの温度

新会社・午後。

あの日の“静かな決算”から一週間。旧本社からのチャットは激減した。


「本文に貼っちゃいました」が「すみません添付にしました」に変わり、「右クリックってどっち?」が「右クリック出なかったので二本指にしました」に変わり、「行がいなくなりました」が「フィルターかかってました(戻しました)」に変わった。


つまり——怒鳴らなくていい質問だけが残った。


で、その静かさを見て、旧本社はとうとうやった。


「業務自動化室」を作ることにしたのだ。


名前だけ聞くとすごそうだが、実態は「右クリックができない人を一度教育する部屋」である。

でもそれでいい。そういう部屋がなかったから、いままで全部“できない人のせい”になってた。


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旧本社・会議室。

白い紙に黒い字で貼ってある。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

【お知らせ】

本社に「業務自動化室」を設置します。

業務の“見える化”“戻れる化”“添付徹底”を目的とします。

自動化=怠け、ではありません。

“みんなが触れるように作るもの”は推奨します。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「“怠け”とは書いてないですね」灯が小声で言う。

「“怠け”って言ったの誰なんですかね……」つむぎも小声。

「“自動化=怠け”って言い方がダメだったってのは、伝わってるってことだな」俺。


で、室長として入ってきたのは、見覚えのある顔だった。

神宮寺のところで昔一緒に残業してた、あの若い女性——千堂(せんどう)。

つむぎの同期って話を前に聞いていたから、ここでつながるのはちょうどいい。


「お久しぶりです、灰原さん。……ほんとに来てくれるんですね」

「来るよ。呼んだじゃないか」

「呼びましたけど……“前に出ていった人”って、呼んだら来てくれるのかなって」

「来ます。条件を飲んでくれたら、だけど」


千堂は苦笑した。


「飲みましたよ。公開で訂正もしましたし、仕様も共有フォルダに置きますし、“できるように書く”も貼りました」

「じゃあオッケーです」


リリが横から手を振る。「“怖くないボタン”、本社用に落としてあるんで。光るのイヤな人はもっと短くできます」

「助かります……うち、光るだけで『ハッカーか?』みたいな顔する人がいて」

「いるよね〜」

「いますいます」


千堂は少し真面目な顔に戻った。


「……実は、私も昔“お前しか触れないやつを作るな”って言われた側なんです」


灯とつむぎが目を丸くする。


「え、室長なのに?」

「そう。支店の経費をまとめる小さいマクロ作ったら、“お前いなくなったらどうするんだ”って怒られて。でも“じゃあどう書けばみんな触れるのか”は、誰も教えてくれなくて。だから今回、灰原さんたちの“中身を先に書く”ってやり方、全部もらいたいです」


「もらっていいよ。公開するって決めてるから」

「ありがとうございます。……それと、たぶん部長も、あのときは“守れなかった子”を見てたんだと思います。だから怖かったんだと思います」


千堂は、神宮寺のほうを一瞬だけ見た。

神宮寺は、とても見づらそうに目をそらした。

けどもう、隠さないで話せるところまで来ていた。


────────────


この日の午後、全社集会が開かれた。

といっても、でかいホールじゃない。各フロアでモニターを見るタイプのやつ。


画面には神宮寺。声はもう前みたいに強くない。


「……これまで、『一人でしか触れないものを作るな』と、強く言ってきました。これは、一人に全部を背負わせると、その人がいなくなったときに事業が止まるから、という理由でした。しかし今回の決算対応で、“みんなが触れるように書いた仕組み”はむしろ推奨すべきだと分かりました。中身を見せて実行する、戻れるようにしてから押す、操作を名前で残す——この三つを満たしていれば、Excelによる業務自動化を認めます。そのための部門として、業務自動化室を設置します。室長は千堂です。以上」


ざわ……とはならなかった。

なぜならすでに昨日の“静かな決算”で、みんなが「あ、あれでいいんだ」って実感しちゃってるからだ。

今日はそれを公式に“OK”にした日なだけだ。


でも、ざまぁ要素はちゃんとある。

画面の端に、前に灰原を飛ばした上司の名前が小さく表示されていた。喋る役目はもうない。後ろで小さくうなずくだけ。


「お前しか触れないものを作るな」と言った側が、今日は「みんなが触れるように作ればいい」とうなずく側に回ってる。


この温度差が、今日の“ざまぁ”だ。


熱湯でも氷でもない。

ちょっとぬるいけど逃げ場のない“ざまぁ”。


────────────


集会が終わったあと、神宮寺がこちらに歩いてきた。昨日までの“お願いします”より、今日はもう少し素直だった。


「……ありがとうな」

「いえ」

「これで、また誰かがやっても“あいつが勝手にやった”にならない。ちゃんと“この部屋でやれ”になる」

「そうなれば十分ですよ」


神宮寺はそこで、ふっと笑った。


「最初にお前を切ったときは、“一人で何でもできるやつがいると怖い”と思ったんだ。でも今日は、“一人で何でもやらせる会社のほうが怖い”って、やっと言える」

「それが言えたなら合格です」


横で千堂が聞いていた。


「部長、ほんとに言った……」

「言った。録画されてる」俺。

「録画……!」

「社内ポータルに残ります」

「やった……!」


“やった”と言ってる顔が、ちょっと泣きそうだった。たぶん彼女も、一回は「お前が勝手にやった」って言われたことがあるんだろう。

その言い方が、今日はやっと会社の言い方としてひっくり返った。


────────────


夕方。新会社に戻ると、灯・つむぎ・リリの三人はホワイトボードを拭きながら談笑していた。


灯「旧本社、今日はぜんぶ“ありがとうございます”で返しましたよ」

つむぎ「“おつかれさまでした”の位置もみんな守ってました」

リリ「“怖くないボタン”も好評。“これなら押せる”って」


俺は三人に向き直る。

「じゃあ、約束どおりテンプレ群にクレジット入れとくな。名前つきで」

「やった」

「やったー」

「やったじゃん」


モニターに並んでいく。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


・提出用_灯テンプレ.xlsx

・差し戻し_つむぎ式.docx

・見えるダッシュボード_リリver.pptx

・運用条件_灰原版.pdf


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



全部、誰が作ったか最初から見える。


「これで誰かが辞めても、“あの人だけが知ってた”で止まらないですね」灯。

「“怖くないボタン、誰が作ったのか分からないから使うのやめよう”もなくなるし」リリ。

「“じゃあ今度は私が作ります”って言いやすくなる」つむぎ。


俺はモニターを見ながら言った。


「これで向こうが“あの時のアイツ”を思い出したときに、『今はこう書いてあるから大丈夫だ』って言える。それがたぶん、俺らがここまでやった意味だ」


窓の外はもう薄暗くなっていた。

どこかのフロアで、録画した全社集会がリプレイされてる音が小さく聞こえる。

『“みんなが触れるように書いた仕組み”はむしろ推奨すべき』っていう一文が、何回も何回も再生される。

あの会社はようやく、「Excelができるやつをクビにするとあとで泣く」ってことを、会社の言葉で学んだ。


ざまぁ、だ。

でも、死ぬほど冷たいざまぁじゃない。

二度と同じことをしないように一回だけ熱を当てる、そんな温度のざまぁ。


このあとやることはもう決まってる。

テンプレに三人の名前を残して、一番最後に開くファイルをRe_Start.xlsxにする。


あとは、保存のカチッで終わりだ。

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