第5章 風、村を守る

「ハァ……ハァ……ッ!」


山の夜は冷たく、空気が薄い。

岩場の上で俺は膝をついていた。

鼻仙の“地獄の訓練”を受けて三日――いや、三晩と言うべきか。

寝る暇すらないほど鼻を酷使した結果、俺の鼻孔はもうほとんど武器になっていた。


「よし……今日のノルマは花粉一袋完食、鼻呼吸連続三時間、くしゃみ抑制百回……」

「誰がそんな訓練考えたんだよ!!!」

リックの叫びがこだまする。


「わしじゃ!」と鼻仙が胸を張る。

「鼻は魂。魂を磨くには鼻水を流せぃ!」


「理屈が狂ってる!!!」

俺はツッコミを入れながらも、確かに“制御”の感覚を掴み始めていた。

くしゃみを起こす前に、風の流れが見える。

吐き出す方向を意識すれば、風を操るように放出できる。


――少しずつ、鼻と呼吸がつながっていく。


だがそのとき。

山のふもと、村の方角から黒煙が上がった。


「……あれは?」

「煙……!? まさか村が!」


リックが表情を変える。

リリアが駆け上がってきて、息を切らせながら叫んだ。


「リュウさん! 魔獣が――村を襲ってます!!」



◆ 災厄、再び


村に戻ると、惨状が広がっていた。

家々が燃え、地面はえぐれ、人々が逃げ惑っている。

黒い毛並みを持つ巨大な狼――シャドウウルフが群れをなして暴れていた。


「クソッ、間に合わなかったか!」

リックが剣を抜き、リリアが魔法陣を展開する。


俺も息を整える。

だが――鼻がムズムズする。

今この場でくしゃみをすれば、確実に村ごと吹き飛ぶ。


「だめだ……このままじゃ誰か巻き込む!」


その瞬間、背後から鼻仙の声が響いた。


「恐れるな、リュウ! 風は破壊のためではなく、“守るため”にも吹く!」


「守る……ため……?」


「風を束ね、流れを導け! 風を――鼻の道とせよ!!!」



◆ 鼻の道、発動


俺は深く息を吸い込んだ。

鼻腔の奥を魔力が駆け抜け、空気が震える。

くしゃみを「放つ」んじゃない。

風を「導く」んだ。


「はっ……はぁぁ……ハ……クショォォォォン!!!」


ズオオォォォォォッ!!!


轟音とともに白い風が渦を巻く。

だが今回は爆発ではない。

俺の前方に風の壁が生まれ、炎を押し返した。


燃え移ろう家々の火が風の流れで消され、

村人たちの逃げ道が開けていく。


「おおっ……火が、止まった!?」

「くしゃみで……守ったのか!?」


リリアが呆然と呟く。

俺は震える鼻を押さえながら笑った。


「へっ……どうだ師匠。やったぞ……」


だが、まだ終わりじゃない。

狼たちが再び牙を剥く。


「リック! 今だ、いけ!!」

「おうっ!」


リックが風の壁の向こうへ飛び出し、狼の喉元を切り裂いた。

残る数体も、俺が「風圧くしゃみ」で吹き飛ばす。


数分後――戦いは終わっていた。



◆ 村に吹く、穏やかな風


村人たちが拍手し、歓声が上がった。


「“風の災厄”が……“風の守護者”に……!」

「助けてくれてありがとう、リュウ!」


リックが笑って背中を叩く。

「やったな、くしゃみ野郎!」

「だからその呼び方やめろって!」


鼻仙は満足そうに頷いた。

「うむ。お主の鼻、ようやく風を掴んだな。今日からお主は“風鼻流”の正統伝承者じゃ!」

「いやそんな流派いらねぇよ!!」


リリアがくすくす笑いながら言った。

「でも……本当にすごかったです。あなたのくしゃみ、優しい風でした。」


俺は空を見上げた。

雲が流れ、夕焼けが広がっていく。


――くしゃみで壊すことしかできなかった俺が、

今、誰かを守るために“風”を起こせた。


「……悪くないな、くしゃみの人生も。」


風が、優しく鼻先を撫でた。

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