【1話】ハジマリノオワリ-1
―…ここはどこだ?
薄く目を開く。ぼんやりとあたりを見る。知らない景色。これは夢か?やけに頭が重い。もう少し、もう少しでいい。寝させてくれ…。
カーテンの隙間からの日差しが、まだ重たい瞼をじわじわと熱くする。起きなさい、朝ですよと。傍らでは、やかましい電子音が終わらない仕事に不満を漏らすごとくジリジリと主張を続けている。手を伸ばし、止めてあげる。まだ、視界はぼやけている。ぼーっとした頭で考える。ああ、これが見知らぬ天井だ、と。しかし、やけに低いな。
自分は誰だっけ?何故ここにいるんだっけ?―…何も思い出せない。でも、これだけははっきりわかる。これは―――今、流行りの転生…!などではなく、完全な二日酔いだ。
そう、俺はこれから魔王を倒す為にチート能力マシマシで召喚されたわけでもないし、勇者パーティからクビになってそのへんの村でスローライフを過ごすわけでもない。ましてや、美少女に囲まれたモテモテ異世界ライフで新しい人生を謳歌するわけでもないし、ゲームの世界の悪役令嬢として本史のストーリーを改変しながら生きていくわけでもないのだ。
目が覚めて世界が変わっていることなんて、所詮はアニメなど物語の中だけの作り物だ。いくら三ヶ月毎に新たな転生者が活躍する大転生時代だったとしても、画面の中の世界と現実世界の区別くらいは俺にもつく。俺も生まれ変わったら、転生したらJKになりたい。なんて思ったこともあったが、やはりと言うかなんというか、今日目覚めた俺、只埜 語(ただの かたり)も昨日の俺となんの代わり映えもしない、いや、むしろ昨日以上に体調の悪い、ただの大学三年生 ― 違った、今日から四年生だ。 ― でしかないのだ。結局、酒で一時的に現実から逃避しても、就職への不安と独り身の侘しさは消えはしない。
先ほどまでサービス残業を文句たらたら頑張ってくれていた枕元のスマートフォンに手を伸ばす。四月二日。時刻は朝の七時過ぎ。SNSの新着通知も無し。通常運転、日常のはじまりだ。酒漬けの重い身体をゆっくりと起こし、カーテンを開く。雲ひとつない、澄みきった快晴。所々に見える並木には、薄ピンクの春の風物詩。心地よいはじまりの季節の景色が、二日酔いの気持ち悪さと不釣り合いで、なんかこう、こみ上げて来るものがある。たぶん、ゲロだけど。
それにしても、俺はなぜこんなところで目覚めたんだろう。どうして昨日は家に帰らなかったのだろう。断片的な記憶を反芻してみる。
…ええと、昨日はとても大事な日だった気がする。長い長い時間をかけて、時には非日常的なハプニングにも見舞われて。それこそ、そう。異世界転生なんかよりもずっとアメイジングで刺激的な何かを成し遂げた気がする。そんな一世一代のミッションを、俺は昨日完遂した。たぶん、きっと。でも、誰と?それとも一人で?うーん、思い出せない。赤い何かが、おぼろげな記憶へのダイブを阻害する。もうちょっとで思い出せそうなんだけどな。もう少し深く潜りたい。手を伸ばして、その正体を掴みたい。だけど、届かない。思い出そうとすればするほど、ギリギリのところで記憶に靄がかかり引き戻される。まるでバンジージャンプみたいに。ダイブしたり、引き戻されたり。うん、これ以上思い出しバンジーしたら、酔いが戻ってきて本格的に嘔吐バックスしてしまいそうだ。
まあ、いいや。とにかく、そんなこんなで「何か」を達成したであろう昨日の俺は、上機嫌で一人で飲みに出掛けた。いい感じに酒が進み、そろそろ帰ろうかとほろ酔い気分で街を歩くと、季節はずれのイルミネーション。夜桜がこれでもかとライトアップされていた。なんだかクリスマスみたいだな。なんて思ってあたりを見ると、行き交う人は皆、親しいパートナーと手を繋いで幸せそうに笑っている。イルミネーションのあるところに、男女あり。その様はまるで蛍光灯に群がる虫みたいだ。
子供のころに見たキャンプファイヤーを思い出す。炎の明るさに引きつけられた虫たちは、次々に嬉々として眩しさの中へダイブしていった。ミーンミンミン…ジュゥ!ミーンミンミン…ジュゥ!まさに飛んで火にいる夏の虫。短い命を自ら輝かせ消えていく姿は、少年時代の俺に命の儚さとひと夏の終わりを感じさせた。今は春だけど。
ん?なんだって?イルミネーションと親しい男女を燃えさせようとするとか、お前モテないから僻んでるんだろうって?うるさい、ほっとけ。リア充爆発しろ!
…取り乱してしまったみたいだ。でも、これだけは言わせてくれ。ピンクの桜見ながらピンクのネオン街に消えていく奴らを見てると、なんだか俺の心はとってもブルーなんだよ。イルミネーションは街を照らすけど、俺の心の影はより一層際立つんだよ。
クリスマスだってそうだ。知ってるか?クリスマスってのは、イエスキリストの生誕記念日で、本来「神が人間として産まれてきたこと」を祝うとされてるらしいんだぞ。俺、無宗教だからよく知らんけど。しかし、今や見てみろ。クリスマスやらクリスマスイブやらっていうと、恋人たちがイチャイチャする口実と化し、同時に「リア充滅びろ」なんていにしえの妖精宜しく悲痛な独り身男性の心の叫びがSNSに響き渡り、最悪のクリスマスソングを奏でる日と化しているではないか。少なくとも俺は奏でてるよ、最悪なクリスマスソングをな。
話がだいぶ逸れてしまった。そんなわけで、昨日の俺はすっごく惨めなメンタルオールブルーに陥り、耐え切れずコンビニで酒を爆買いし、ベロベロに酔って終電を逃した末、このカプセルホテルに迷い込んだのだった。うん、なんとなく思い出してきたぞ。なるほど、頭が痛いわけだ。この頭痛は、決してさっき寝ぼけ眼でカプセルの天井に頭をぶつけたからではないはずだ。
ところで、昨日のミッションとやらはなんだっけな。どうやら、まだ絶賛二日酔いによる記憶喪失の真っ只中らしい。
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