ビギニング

ハッチが閉まり、鈍いモーター音が沈黙を取り戻す。


セシルは、防護服越しに冷たい地面に一歩踏み出した。


そこで待っていた景色は、悲惨そのものだった。


強烈な雨音と、冷たい湿気が彼女の全身を包み込む。


彼女の目の前に広がるのは、生命の気配が完全に消えた、崩壊した機械の都市の景色だった。


濃霧と酸性雨が叩きつける音だけが支配する、世界の墓場だ。


頭上には、錆びて大きく傾いだモノレールの残骸が横たわっていた。


その真下、かつての自動輸送路だった場所を進む。


地面はドロドロとした粘性の汚染泥に覆われ、一歩ごとに足が重く沈んだ。


身体には、デスティニーの「バイオ・シールド」による微かな振動が伝わっている。


これが、致死的な酸性雨からセシルを隔てる唯一の膜だった。彼女の孤独な旅は、既に始まっていた。


遠くの廃墟の陰から感じる、鋭い視線に気づかぬふりをして、セシルはデスティニーのスコープに視線を固定した。


その時、頭上の輸送路の残骸から、単調な電子音が響いた。


セシルが顔を上げると、小型で丸い、浮遊型のドローンが2機、音もなく降下してくる。装甲は薄いが、動きは俊敏。機体中央のセンサーが、セシルを検知し、警告を示すかのように赤く点滅した。


【未知の生命体反応(コード:異常)】


脳裏に、デスティニーの解析情報が響く。スクリーニング・ユニット。人間を検知し、排除するために特化した、都市AIの巡回兵だ。


「敵意……」


初めて遭遇する「敵意」を持つ存在に、セシルは記憶のない身でありながら、反射的にデスティニーを構えた。


彼女の動きは迷いがなく、まるで何度もこの動作を繰り返してきたかのようだ。


ドローンは躊躇なく、低出力のレーザーを連続して発射してきた。レーザーは雨の中で光の筋となり、セシルの防護服のシールドに当たって微かな火花を散らす。


セシルはデスティニーのトリガーを引き、通常のエネルギー弾を発射した。


ブッ、シュウ!


青い弾丸は汚染泥を蹴立ててドローンに命中し、一撃でその機体を木っ端微塵に砕き散らした。残った一機も、次の瞬間には爆発音と共に沈黙した。デスティニーは非常に強力な火器だった。


しかし、戦闘は終わっていなかった。


最初の破壊音を聞きつけ、周囲の瓦礫の陰から、十数機のスクリーニング・ユニットが一斉にセシルに向けて飛来してきた。電子音が重なり合い、空間を満たす。


セシルは反射的にデスティニーを連射したが、敵の数が多すぎる。


レーザーの集中砲火がバイオ・シールドに集中し、体に伝わる微かな振動が、荒々しい震動へと変わった。


「くっ……」


シールドのエネルギーが急速に消耗していくのが分かる。


このままではシールドが尽き、致死的な汚染泥と酸性雨に晒される。


パニックに陥りかけたその時、デスティニーのスコープが赤く点滅したまま、自動で「エコ・スキャン」機能が起動していることに気づいた。


セシルがスコープを覗き込むと、世界の色が一変する。


ドローン本体は無色だが、周囲の汚染物質が色彩で可視化され、ドローンの一部が、汚染泥の中を這う古い電源ケーブル【黄色く点滅】と繋がっていることが示された。


これは、敵を動かす「世界の構造の弱点」だ。


セシルは直感的に理解した。この都市のAIは、環境汚染を電力源や接続経路として利用している。


セシルは、機敏に飛び回るドローン本体ではなく、黄色く点滅する電源ケーブルを狙ってデスティニーを連射した。


ダダダッ!


青いエネルギー弾が汚染泥を蒸発させながらケーブルに命中する。


スパーク!


途端に、周辺の十数機のドローンが一斉に電子的な悲鳴を上げながらショートし、雨の中に沈黙した。


セシルは肩で息をした。バイオ・シールドはエネルギー残量が赤ゲージに差し掛かっていた。


彼女はデスティニーの力を確認すると同時に、この崩壊した世界を生き抜くためには、力だけでなく、「世界の構造」を理解することが重要だと、記憶のない頭で悟った。


セシルはデスティニーのエネルギー供給を調整し、バイオ・シールドを緊急省電力モードへと切り替えた。振動がさらに微かになる。


「核を破壊せよ。」


再び、脳内に絶対的な命令が響く。


セシルはドロドロとした汚染泥の道を進む。目的地は、遥か先に廃墟となった姿が見える「クロノス大庭園」だ。その廃墟こそが、次に進むべき、手がかりのありかのはずだった。


そして、彼女の背後の廃墟の陰からは、再び鋭い視線が向けられていた。その視線は、セシルがデスティニーを駆使して戦った一連の戦闘を、冷静に記録していた。

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