第17話 私が守ってあげるから


「ねぇ夏生くん、このままうちにくる?」


 雪奈が何気なく誘ってみれば、向かいの席に座っていた夏生が、持っていた飲み物を、危うく落としそうになった。



 尾行のようにつけてきた冴を走ってまいたあと、雪奈は夏生を連れ歩いていた。

 夏生の幼馴染である冴は、夏生を家の付近で待ち伏せることもできてしまうだろう。

 そのまま帰ろうとして、冴と接触してしまう展開を避けるため、警戒した雪奈は夏生をデートに誘ったのだ。


 今までは学校の中だけの関係だった。

 ふたりだけのクラス委員として、日常を感じられる大切な友達として、雪奈は学校での夏生を気に入っていた。

 そして今は、もう学校の中だけの関係ではない。


 繋いだ手を軽く握ってみれば、面白いように夏生が顔を赤くする。あまりにもわかりやすい変化がおかしくて笑えば、恥ずかしそうにしながらも、夏生も一緒に笑ってくれた。


 この笑顔こそが、雪奈が見慣れた日常の象徴だった。

 今、隣にいる夏生は、心から笑ってくれていると雪奈は自信を持って言うことができる。

 怯えることなく、楽しそうに笑う夏生を見ているだけで、雪奈は安心することができた。

 自分が夏生の助けになれていることを実感できたから。


 それから、雪奈は夏生とふたり、放課後の時間を満喫した。

 初めからそういう予定だったわけではない突発的なデート。

 当然どこに行くかも、何をするかも決めていない。ともすれば、ぐだぐだになってもおかしくない状況。

 けれど、ふたりで何をするかを考えるだけでも楽しくて、雪奈の感覚では、時間はあっという間に過ぎていった。

 そうして外がだいぶ暗くなった頃、夏生が心配そうに提案してくれたのが、今いるファミレスに入ることだったのだ。


「雪奈さん大丈夫? 寒くない?」


 その問いかけに平然と答えてしまいそうになった雪奈は、笑顔で一度誤魔化しをいれてから口を開いた。


「ちょっと冷えてきたけど、このくらいなら大丈夫だよ」

「ホントに? 雪奈さんは重度の寒がりだから、本当は強がってるんじゃない?」

「ホントに平気なんだよねぇ。夏生くんの手があったかいからかな?」


 繋いでいる手を持ち上げて笑ってみせる。

 するとそれだけで、夏生は雪奈から目をそらしてしまった。

 今日はもうずっと手を繋いだままなのに、それでもこうして意識すると恥ずかしいのだろう。

 その初心な姿を見ているだけで、雪奈はもっと揶揄ってみたくなってしまう。純粋に夏生と過ごす時間を楽しんでいることに気が付いて、雪奈は少し気を引き締める。この大切な日常を守るために。


「手を繋いだだけで平気なら、真夏もカーディガン着てないでしょ?」

「そう言われてもなぁ、ホントにあったかいよ?」

「我慢してるなら言ってね? なんならもう帰ってもいいから」

「ダメダメ! まだ危ないよ。それに家まで送る約束だからね」

「なら、せめてどこかに入ろうよ。僕のせいで寒い思いさせて申し訳ないから」


 本当は、雪奈は別に寒がりというわけではない。

 身体に残る痣や傷跡をかくすために、いつも肌を隠そうとしていただけだ。


 すっかり暗くなり、日中よりも確実に気温は下がっている。ひとたび風が通り抜けていけば、身を固くしてしまうくらいには、確かに空気も冷たい。けれど雪奈としては、特別震えるほど寒いというわけではない。

 だから急いで建物の中に入る必要もないのだが、雪奈のことを極度の寒がりだと思い込んでいる夏生は、珍しく自らの主張を、かたくなに譲ろうとしなかった。


 普段の夏生なら、ここまで自分の意見を主張しないだろう。大人しい性格の夏生は、普段から相手に合わせることの方が多かったから。


 けれど夏生は、雪奈が大丈夫と伝えても、珍しく意見を曲げなかった。

 つまりそれだけ、夏生は雪奈の身体を心配してくれているのだろう。

 そんな夏生からの気遣いと配慮を感じて、雪奈は純粋に嬉しかった。

 こんなふうに優しい気持ちを直に向けてくれるのは、雪奈にとって夏生だけだったから。


「夏生くんがそこまで言うなら仕方ないなぁ。あったまってあげますかぁ!」

「ふふ、お願いします。どこか中でゆっくりしよう」


 そうしてやってきたファミレスのボックス席に座り、飲み物を片手に穏やかな時間を夏生と一緒に過ごしていた雪奈。

 クラス委員をしてきたことで、ふたりきりでいることには、もうだいぶ前から慣れていて、夏生との間で会話が途切れることはなかった。

 そうしてお喋りに夢中になって、気が付けばもう、じゅうぶんすぎるほどに遅い時間。

 なんだかこのまま帰るのが惜しくなって、雪奈はそんな提案を口にしていたのだ。


「ゆ、雪奈さん。それはさすがに遠慮させて頂きます」

「なんで? 私たちの家、案外近かったからすぐだよ?」

「そういう問題じゃなくて、こんな夜遅くにお邪魔したら、ご家族にも迷惑だし」

「私、マンションで一人暮らしだから気にしなくていーよ?」

「え、そうなの? すごいね雪奈さん……ていうか! それならなおさらダメじゃん!」

「ダメってなんで?」

「だ、だって、そんな、一人暮らしの女の子の部屋なんて……もっと自分を大切に」


 今日一番の染め具合で頬の色を変えた夏生は、もごもごとよく聞こえない声で、なにかしらの主張をしているらしい。

 そんな夏生を見ているだけで、雪奈は自然と頬が緩んだ。


 これでいいのだと、雪奈にはそう思えたから。

 自分も夏生も、こうして日々を幸せに過ごしていいのだと、怯えることなく笑っている夏生を見ていると、雪奈は心からそう思えたから。


「付き合ってるんだからふつーでしょ?」

「普通じゃないです! とにかく! 今日はちゃんと家に帰ります!」

「今日は? じゃあ明日は来るってこと?」

「あぁもぅ! そういうことじゃなくて!」

「んはは! 夏生くんでもそんな大きな声だすんだねぇ」

「はぁ、あんまり揶揄わないでよ雪奈さん」

「ごめんごめん。じゃあ約束通り家まで送ってあげるから」

「別にそこまでしてもらわなくていいんだけど」

「ここは私も譲れません。心配だからね、お願いだから送らせて?」

「う、うん。ありがとう雪奈さん」


 実は雪奈が送ることに、夏生は終始反対していたのだが、雪奈がまっすぐに瞳を向けてお願いすれば、最後は素直に折れてくれた。

 夏生としては、自分のことより、雪奈を一人で帰さなければならないことや、寒がりだと思っていることで、素直に頷いてくれなかったのだろう。

 けれど雪奈としても、ここだけは先に折れるわけにはいかなかった。

 雪奈は心から夏生のことが心配だったから。


 今日の日中の冴の様子を、雪奈は思い出す。

 冴はずっと夏生の姿を目で追っていた。朝からずっと、雪奈が夏生のそばにいたというのに、隙を見ては夏生に接触して、連れ出そうとしていた。

 冴が夏生に向ける視線は、まさに執着していると言ってもよいくらいのもので、雪奈でさえ肌寒いものを感じたくらいだ。

 だからこそ雪奈は、中途半端な時間に帰っては、冴が本当に待ち伏せくらいしているだろうと危惧していたのだ。


 もし夏生を一人で帰し、冴に捕まってしまったら、夏生は本当に壊されてしまうかもしれない。

 意思を奪われ、常に冴のそばに立ち、言われるがままに頷く夏生。

 そんな光景を想像することすら嫌で、雪奈は意識して思考を断ち切った。


「帰りも手、繋いでこーね?」

「う、うん……あ!? もしかしてホッカイロ代わりにしてる?」

「んふふ、繋ぎたいだけだよ?」


 守るのだ。雪奈はそう強く決意する。

 自分の欲を満たすためだけに、他人を言いなりにするような最低の輩から、この温かい心をもった少年を守り、絶対に自分と同じような目には合わせない。

 そんな強い決意を笑顔に隠して、雪奈はそっと、夏生の手に指を絡めた。





 翌日。雪奈はいつもより早くかけていたアラームで目を覚ました。

 昨晩、冴の待ち伏せを警戒して、夏生を家まで送った雪奈だったが、かなり遅い時間まで外で過ごしていたおかげか、冴に出くわすことはなかった。


 無事に夏生を家まで送り、家の中に入るまでしっかりと見届け、それからやっと、雪奈は帰るふりをした。


 冴がどこかで夏生が帰ってくるのを見ていて、雪奈がいなくなってから、家まで押しかけてくるかもしれないと警戒していたから。

 雪奈は経験から知っているのだ。頭のおかしい人間は、普通の人が想像もできないことを平気でやってしまうということを。そして自分のやっていることが異常だと気が付かないのだ。

 簡単に手を上げて暴力をふるい、他人を言いなりにするような人間だ。そんな人間なら、夜中に家まで上がりこもうとするなど、簡単にやろうとしてしまうだろう。

 そんなことはさせないと意気込んで、夜の寒さなんて気にせずに、雪奈はそれから何時間もの間、夏生の家の付近で張り込んでいた。


 夏生が家に入ったとはいえ、雪奈にしてみれば、何も安心できることなどなかった。

 冴は夏生の幼馴染であり、当然のように夏生の家を知っているのだから。

 そして、夏生の話しでは、冴と夏生の両親も面識があるらしかった。もし冴が普通に夏生の家に訪ねてきて、親が家に上げてしまったら、夏生に逃げ場はなくなってしまうのだ。


 もし雪奈の想像通りのことになってしまったら、夏生はきっと、冴の言いなりにされてしまうだろう。

 そんな未来を考えるだけで、雪奈は恐ろしくて、とてもすぐに帰る気になんてなれなかったのだ。


 ファミレスで雪奈が夏生に言った、家に来るかという誘い。

 夏生が頑なに了承してくれなくて、冗談のように話しは流れてしまったが、雪奈としては、あの誘いは結構本気だった。


 雪奈の家の中ならば安全だから。

 雪奈しかいないあの空間にいれば、常に夏生をそばで見守れる。それに、冴にも場所は知られていない。

 だから雪奈としては、本気で家に誘っていた。


 その安全策がとれなかったならば、安全をある程度確保できるまで、夏生の家を見張るしかないだろう。

 夏生が帰宅した段階で、すでに夜中。そこから何時間も張り込み続け、日付をまたいでも安心できなかった雪奈は、まだ見張りを続けていた。


 夏生が家に入ったあと、少しして二階の部屋の明りが付き、夏生から、今日はありがとうというメッセージが送られてきた。

 そのメッセージに返事を返しつつ、雪奈はあの窓の位置が、タイミング的に考えて

夏生の部屋だと辺りを付ける。

 日付をまたぐ少し前に、その窓から明りは消えていて、それからは一度も明りはついていない。

 明りが消えてからすでに一時間は経過していて、つまり夏生は、もうすっかりと夢の中だろう。その確信を得て、やっと雪奈は少しだけ安心した。


 メッセージのやり取りをしたあとは、スマホの電源を落としておくように、夏生には伝えてあるが、夏生が寝てしまっては、もう冴が遠距離から夏生に接触を図ることはできないだろう。

 さらにこの時間だ。さすがに幼馴染で親と顔見知りだとしても、この時間に玄関から訪ねるなんて、非常識なことはできないはずだ。


 これでもう、冴が夜のうちに夏生と接触するには、夏生の部屋に忍び込むしかない。けれど、夏生の部屋への侵入経路である窓は、雪奈自身がしっかりと見張っていた。

 二階の部屋に直接入るには、それなりの準備が必要だろう。もし冴がやってきたとしても気づかないわけがない。

 ここまでしてやっと、雪奈は夏生の安全をある程度確保できたと思うことができた。

 それから念のために、さらに一時間、その場で夏生の部屋を見守って、それから雪奈は家に帰ったのだ。


 雪奈はアラームを止めて起き上がる。睡眠時間はいつもより格段に少なかったが、これだけでもじゅうぶんだった。

 夏生のことを考えれば、雪奈は悠長に寝ている気にもなれなかったから。


 今日の朝も迎えに行くとは言ってあるが、朝こそ冴が現れる可能性は高い。いつ帰ってくるかもわからない帰りを狙うより、確実に家から出てくる朝の方が、狙いやすいからだ。


 もし雪奈が着く前に、冴が夏生の元へ行ってしまったら、夏生はきっとどうすることもできないはずだ。

 あの心優しい、見るからに争いごとなど向いていなさそうな少年は、また暴力を振るわれて、すんなりと冴の言いなりにされてしまうだろう。

 そうなれば、昨日一緒に過ごしたような、心から笑いあえる時間は、一生戻ってこないかもしれない。

 雪奈はそんな未来を、絶対に認められなかった。だから、


「私が守ってあげるからね」


 朝食をぬき、すぐに身だしなみを整えて、雪奈は駆け出した。

 昨日場所を覚えた夏生の家に向けて。

 約束の何時間も前に。

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