第12話 なんでそんなこと言うの?


 休み時間になるたびに、夏生を連れ出そうとしていた冴だったが、結局のところ、その試みが放課後まで成功することはなかった。

 その原因は明らかだ。夏生の隣に我が物顔で居座っている芳賀雪奈のせいである。


 雪奈はまるで、そこがずっと前から自分の居場所だったとでも言うかのように、夏生のそばで笑っていた。

 毎時間、雪奈は授業が終わるとすぐに夏生の元へ駆け寄っていき、次の授業が始まるまで、ひとときも夏生のそばから離れることなく寄り添っているのだ。


 雪奈はクラスメイトに、夏生と付き合いはじめたことを大々的に広め、自らのその明るさで、クラスを祝福ムード一色に染め上げた。


 今や雪奈と夏生の間に他人が入ることは、とても不可能で、それは冴だって例外ではない。


 いくら冴が夏生と幼馴染であり、これまでずっと一緒に過ごしてきたとしても、そしてその過程を、クラスメイトたちが知っていたとしても、現在の彼女である雪奈の方が、周りからの承認を得ていたから。

 冴が夏生を連れ出そうとしても、誰も味方してはくれなかったのだ。


 だから結局、冴はこうして放課後まで、夏生とふたりきりになることなんてできず、この状況の詳細を、夏生の口から直接聞くことすらできていなかった。


 一度強引に夏生を連れ出そうとして、失敗したあとから、冴は明らかに雪奈から警戒されてしまっていたから。

 あれ以降、雪奈は冴から夏生を隠すように立ち回っていて、冴は夏生に近づくことができなかったのだ。


「バカじゃないの。にやけた顔キモすぎるし」


 冴の視界には、雪奈と笑い合う夏生の姿が映っていた。放課後も例外ではなく、雪奈は夏生の隣に立っている。

 ふたりは、そうあるのが当然だとでも言うかのように一緒にいる。自然に笑い合うふたりの姿は、冴の目から見てもお似合いで、そう思ってしまうことでより、冴は苛立ちを強くした。


「あんな顔、二度とできないようにしてやる」


 思うように事を運べず、やきもきしたまま丸一日を過ごすことになった冴は、とっくに限界など超えていた。


 朝から、いや昨日から冴は、ずっと夏生の行動に振り回されてきた。困惑し、イライラさせられ、冴の心は乱され続けた。

 それなのに夏生は、冴のことなんて、まるで忘れてしまったかのように、その瞳に冴の姿を写してくれない。


 冴は一日中ずっと夏生を見ていたのに、夏生とはただの一度も、視線が交差することはなかった。

 夏生はその瞳に、雪奈ただ一人だけを映していたから。


「家に連れて帰ったら、絶対に後悔させてやる」


 冴の口からは、夏生への怨嗟の言葉が止まらない。まるで状況がわからないままでも、冴が心を乱されたことに変わりはないから。

 こんなことをした夏生を、冴はいったいどうやって反省させるか、そればかりを考えていた。


 いつものように、目の前に跪かせ、ごめんなさいとしか言えなくなるまで痛めつける。ここまでは序の口だ。それだけではとても足りない。冴の心は満たされない。

 冴は自分が味わったこのクソみたいなよくわからない想いを、何倍にもして夏生にも体験させなければ、到底落ち着くことなどできそうになかった。


 そして、たとえ夏生をどんな酷い目に合わせて解らせても、冴の気分が晴れることはないだろう。

 今まで以上に言うことを聞かせ、一瞬たりともそばから離さず、夏生の自由を全て取り上げる。

 そこまでして、やっと冴は落ち着けるのだから。


 そうなれば、きっと夏生にも優しくできる。優しくしてあげれば、どんなに酷いことをしていても、夏生ならちゃんとわかってくれる。自分が悪かった、だから冴は悪くないと、そう言って許してくれる。だってそれが夏生だから。

 そう考える冴は、自身の思考に微塵も綻びを感じていない。

 もう何年もずっと一緒に過ごしてきた冴が、夏生のことを、誰よりも理解しているという自信があったから。


 この段階で、不思議なことに冴は、まだ夏生を、自分の意思で自由にできると思っていた。

 夏生が雪奈と付き合い始めたことの真相は、いまだにわかっていない。

 ただこの騒動が本当だとしても、嘘だとしても、冴には関係なかったのだ。


 夏生が騙されているというのなら、それを教えてあげればいい。

 夏生から騙されているのなら、そんなことをしてはいけないと、解らせてやればいい。

 もし万が一本当なら、あんな女とは別れさせてやればいいのだから。


 それからじっくりと、夏生に思い出させるのだ。昔自分がなんと言ったのかを。

 たとえ夏生が忘れていても、冴は夏生の言葉を一言一句全て覚えているから。

 夏生は言ってくれたのだ。守るからと、ずっとそばにいると、なんでも言うことをきくと、夏生は確かにそう言ってくれたのだ。


 冴はそんな夏生の言葉を、今でも信じていた。夏生だけが、冴にとって信頼できる唯一の相手だから。

 だから冴は、まだ夏生を自分で自由にできると思っていた。夏生が自分のことを裏切るなんて、絶対にないと思い込んでいたから。


 夏生だけなら、冴の思い込みは正しかったのだろう。夏生だけならば、冴はずっと、その手で夏生を囲っておけたはずだから。

 けれど、もう状況は変わってしまっているのだ。夏生の囲いを外から開けた者がいる。

 夏生はもう独りじゃなくて、すでに冴の手のひらからこぼれ落ちてしまっていた。冴はその事実を、正しく見ることができていなかった。


「さえ〜、今日は暇っしょ? 遊び行こーぜ」


 目ではしっかりと夏生の姿を追いながら、どうやって夏生を解らせてやるか、そんな思考に没頭していた冴は、肩を叩かれたことで、やっと現実に戻ってきた。


「夏生くんは彼女ができたし、冴は今日からフリーだよね?」


 上機嫌なクラスメイトに後から抱きつかれる。冴はそれだけでも不愉快だったが、それ以上に、言われた言葉の方が気に食わなかった。それこそ、我慢なんてできないほどに。


「フリーなわけないでしょ!あたしは!」



「冴、ごめん。今ちょっといい?」


 思わずクラスメイトに対して怒鳴りそうになった冴。そんな冴を止めてくれたのは、会話を遮るように声をかけてきた夏生だった。

 今日初めて夏生から声をかけられた冴は、その瞬間には、直前に感じていた怒りを一瞬で忘れていた。

 昨日だって聞いていたその声が、今朝だって聞いてはいた夏生の声が、今この瞬間自分に向けられた、ただそれだけで、冴は嬉しくなってしまったから。


「ん、なに?」


 冴はつとめて平静に言葉を返す。

 今日一日ずっと、夏生をどんな目に合わせて反省させてやろうかと、そんなことばかりを考えていたというのに、今の冴は、このまま夏生が謝れば、何もせずに許してやってもいいとすら思っていた。


 冴はこのとき、夏生が自ら反省して、直接謝りにきたんだと、そう思っていたから。

 だって夏生は、彼女になった雪奈と帰ってしまうのではなく、こうしてちゃんと冴の元に戻ってきてくれたのだから。

 だから冴の中には、そんな自分にとって都合のいい展開しか、存在していなかった。


「急でごめんなんだけど、今日からは雪奈さんとふたりで帰りたいから、帰りは別々でいいよね?」


 このとき、冴はやっと現実をその目に映し始めた。

 自分が想像していた展開と、現実の夏生が言った言葉が、まったく違うものだったから。


「夏生くんも彼女持ちだもんねぇ。ふたりきりになりたいよねぇ? この幸せ者め!」

「あはは、ホント、自分でも夢みたいだよ」

「冴はうちらが面倒見るから、任せな!」

「うん。よろしくお願いします」


 冴が返事すらできずにいると、クラスメイトが勝手に返事をしてしまっていた。

 慌てて会話の流れを断ち切ろうとしても、ショックが強すぎて、冴はうまく言葉が喋れない。

 そんな冴を見て、無言を肯定ととったのか、夏生はそのまま会話を続けてしまう。


「ついでになんだけど、朝も雪奈さんと一緒に学校に行きたいから、明日からも先に行くね」


 笑顔の夏生にそんなことを言われ、冴はもう何も考えることができなくなった。

 ただ夏生の顔を、縋るように見つめる冴。

 冴の目には、夏生の笑顔がとても幸せそうに映って、そんな顔をさせているのが、自分ではないという事実を否定することに精一杯になったから。


「お熱いねぇ、いいよね冴? うちらは独り身で集まって楽しくやるもんね?」

「あはは、なんかごめんね。じゃあそういうことだから、これからは行き帰り別々でよろしくね」


 夏生は、なんでもないことのように軽く笑っていた。

 冴にとってはとても重要な話だったのに、夏生にはまるで、今日の夕食のメニューくらいの感覚だったのだろうか。


「なんで、そんなこと言うの?」


 夏生に向けた冴のつぶやきは、離れていくその背中に届くことなく、放課後の騒がしさに溶けて消えた。

 夏生は、冴の見ている前で、雪奈とふたり、肩を寄せ合うようにして、教室を出ていった。

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