第7話:「出陣」コマンドと阿鼻叫喚
俺が演じた「ごっこ遊び」は、何一つ現実を変えなかった。 数日後、織田信勝(信長の弟)は、林秀貞、柴田勝家らを筆頭に、公然と信長に反旗を翻した。 「稲生の戦い」の勃発だ。
「出陣だ!
清洲城は、俺が経験したことのない緊張と、鉄の匂いに包まれた。
『戦国の覇道』なら、俺が一番好きな瞬間だ。 マップ上の城から自軍のユニット(駒)がゾロゾロと出撃し、勇ましいBGMが流れる。 クリック一つで「織田信長隊:兵力8000」が出陣する。
だが、現実は――。
「うわあああ! 行きたくねえ!」 「母ちゃーん!」
城門に向かう足軽たちの列で、若い兵士が泣き崩れ、槍を落としている。 それを、上官らしき侍が「ええい、女々しい!」と
(やめろ…)
俺は、あの若い兵士を知っていた。 数日前、俺の「焼き芋」の噂を聞きつけ、「藤吉郎殿、どうやったら若様(信長)に気に入られるんですか?」と無邪気に聞いてきた、タケシという男だった。
俺は、又右衛門の蔵で見た「辛そうな顔」とは別種の、もっと原始的な「恐怖の顔」を直視させられていた。
「猿!」
信長の声が響いた。 「どこにおる!」 「は、はひっ! ここに!」
俺は雑兵の中から這い出た。 信長は、黒い
「貴様も来い。俺の『ごっこ遊び』が、どういう結末を迎えるか、特等席で見せてやる」 「えっ」 「貴様は馬鹿だ。戦場の役には立たん。だが、面白い馬鹿は俺の側に置く」
(冗談じゃない!)
俺の『覇道』ステータスは『戦闘 55』。 ゲーム上では最弱クラスだが、それ以前に俺(相馬ケンジ)は、前世でキーボードより重いものを持ったことがない。 戦場なんて、行ったら一瞬で死ぬ!
「ご、ご辞退…!」 俺が言い終わる前に、信長の背後にいた柴田勝家が、俺の首根っこを掴んで馬の横に放り投げた。
「なっ!? 柴田様!?」 俺はパニックになった。 (裏切ったはずの柴田勝家が、なんで信長の側にいるんだ!?)
柴田勝家は、苦虫を噛み潰したような顔で、俺を睨んだ。 「……若様の御命令だ。猿は、本陣の隅で震えておれ」
(どういうことだ!?) 『覇道』の知識が混乱する。
信長が、馬の上から俺を
「あやつ(柴田)は、一度は弟(信勝)に付いた。だが、『馬鹿な猿(俺)でも若様(信長)の恐ろしさを知っているのに、重臣の俺が若様に逆らってどうする』と、泣きついてきおったわ」
(俺のせい!?)
俺の「ごっこ遊び」が、柴田勝家の忠誠度に、意図せず影響を与えていた? 信長は、裏切った柴田を「一度は許し」、弟の情報を吐かせて、今、ここにいる。 (じゃあ、裏切ったままなのは、林秀貞だけか!)
ゲームのシナリオが、俺のせいで微妙に変わっている。 だが、戦が起きたことには変わりない。
俺は、信長の本陣の隅で、馬糞の匂いと血の匂いが混じった風に震えていた。
「伝令! 伝令!
ゲームなら、マップ上の「信長本陣(赤)」に、「林秀貞隊(青)」が迫ってくる、ただのグラフィックだ。
だが、現実は、土煙の向こうから、何百という人間の「殺す!」という怒声と、馬の
(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ!)
俺がガチガチに震えていると、信長は、迫りくる敵軍を睨みつけたまま、冷酷に命じた。
「構うな。柴田、貴様の『償い』の場だ。あの裏切り者(林秀貞)の首を、貴様が持ってこい」 「は……ははっ! 御意!」
柴田勝家が、「うおおお!」と雄叫びを上げ、手勢を率いて突撃していった。 (ゲームなら「突撃」コマンドだ…!)
俺は見てしまった。 突撃していった柴田の隊と、林の隊がぶつかった瞬間、 人が、馬が、まるで紙切れのように斬られ、吹き飛ばされ、泥にまみれていくのを。
「ぎゃああああ!」 「助け…」
悲鳴。 鉄と鉄がぶつかる音。 肉が断ち切られる、鈍い音。
その時、俺の足元に、何かがゴロゴロと転がってきた。 それは、泥だらけの「首」だった。
(あ……)
俺は、その顔に見覚えがあった。 タケシだ。 城門で「行きたくねえ」と泣いていた、あの若い足軽だった。
「う……お、おえええええええっ!!」
俺は、その場に崩れ落ち、胃の中のものをすべて吐き出した。 (ダメだ、無理だ、こんなの) (ゲームじゃない、ゲームじゃないんだ!) (人が、死んでる…! 俺が知ってる顔が!)
俺が涙と鼻水と胃液まみれで嗚咽(おえつ)していると、 信長が、馬上から俺を冷ややかに見下ろした。
「……猿」
その声に、俺はビクッと体を震わせた。
「貴様の『ごっこ遊び』通りになってきたな。面白いか?」
(この状況で、それを言うか!)
俺の目の前に、地獄で見るにはあまりにも場違いな、半透明のウィンドウが開いた。
【イベント:戦場の狂騒】 以下の選択肢から行動を選びなさい。
A: 「(土下座し)若様の采配は『知略95』! 拙者の『知略88』など足元にも及びませぬ!」
B: 「(震えながら)若様…。『焼き芋』は、もう…ありませぬか…?」
C: 「ウキキ!(もっと死ぬ! もっと血が出る! ウキーッ!)」
「あああああああああ!!!」
俺は頭をかきむしった。 Aはダメだ! 「知略」とかいう単語を今ここで口にしたら、この男は俺を斬る! Cは最悪だ! これ以上ない不謹慎! 目の前でタケシが死んでるんだぞ!
(Bだ…Bしかない…!) この極限状況で、あの日の「焼き芋」に、馬鹿のフリをして逃げるしかない!
俺は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、信長を見上げた。 体が、勝手に動く。
「わ、若様……」
俺は、タケシの首から目をそらし、信長の鎧にすがりつくように言った。
「『焼き芋』は……。もう、ありませぬか…?」
「寒いので……お腹が、空きまして……」
「…………」
信長は、俺の言葉に、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、虚を突かれた顔をした。
やがて、 フッ、と息を漏らすと、 この戦場で、不似合いなほど静かな声で言った。
「……そうか。寒いか」
「……この戦が済んだら、城で食わせてやる。熱いのをな」
信長はそれだけ言うと、再び戦場に目を戻した。 その横顔は、もはや俺を見ていなかった。
(助かった…のか?)
俺は、地獄の真ん中で、ただ震え続けることしかできなかった。 『戦国の覇道』の「勝利」という結果のために、今この瞬間も、何百という「タケシ」が死んでいく。 俺は、その「リアル」の重さに、完全に打ちのめされていた。
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