第3話:最初の「内政コマンド」
「ちょ、待て、ねね! 腕が! 腕がちぎれる!」
「情けないこと言わない! 叔父さんの屋敷はすぐそこ!」
ねねは、俺が(精神年齢)三十二歳の男だとは露ほども思っていない。
ただの「腹を空かせた、ちょっと変わった名前の兄ちゃん」程度だろう。
その細腕のどこにそんな力があるのか、俺はなす術もなく引きずられていく。
(ゲームの『覇道』なら、ここで「人材登用」コマンドだ。俺のステータスがBGM付きで表示される……)
『木下藤吉郎:政治 78 / 戦闘 55 / 統率 62 / 知略 88 / 魅力 95』
(我ながら、とんでもないチートステータスだ……)
だが、現実は非情だ。
俺の見た目は「魅力95」とは程遠い、薄汚れた猿面の男。腹の虫はまだ鳴いている。
「叔父上! ただいま戻りました!」
ねねが勢いよく開けた門の先は、「屋敷」というより、やや立派な武家長屋といった風情。
そこで待っていたのは、眉間に深いシワを刻んだ初老の男――浅野又右衛門。ねねの叔父だ。
「おお、ねねか。遅かったな。……ん? その汚いのは誰だ」
又右衛門の視線が、針のように俺を刺す。値踏みするような、警戒に満ちた目だった。
「腹を空かせて倒れそうだったから、連れてきたの! 藤吉郎さん! 叔父上のところで使ってあげて!」
「馬鹿を言え!」
又右衛門が怒鳴った。
「今、織田家は信秀様が亡くなってから家督争いでピリピリしておる!
俺たち下級武士の食い扶持もままならん時に、どこの馬の骨とも知れん奴を……!」
(あ、やっぱり。時代は『覇道』シナリオ1「信長家督相続」直後か……!)
ゲームでは、信長の弟・信勝(信行)との内紛が始まる、最も不安定な時期。
「民忠」も「治安」も低い。そりゃ、又右衛門の顔も険しくなる。
「ぐぅぅ……」
まただ。俺の腹が、最悪のタイミングでこの場の緊張を裏切った。
又右衛門はこめかみをピクピクさせ、深いため息をついた。
「……ねね。お前は本当に人が良い。
そこの猿。お前、何かできることはあるのか。飯を食わせるにも、タダ飯はないぞ」
試されている。
『覇道』なら、ここで「特技」コマンドの出番だ――「弁舌」「商才」「築城」……。
「……算術が、得意です。あと、物の数を数えたり、管理したりとか」
前世で死ぬほどやった「デバッグ」と「仕様書管理」を思い出しながら、かろうじて答える。
又右衛門は、怪訝そうに眉をひそめた。
「算術だと? ちょうどいい」
彼は、部屋の隅に山積みになっていた大量の木簡(もっかん)――文字の刻まれた木の札――を指差した。
「蔵の管理を任されているんだがな。矢の本数と米の石高(こくだか)が帳面と合わん。
このままでは、俺が横領したと疑われかねん……!」
又右衛門の顔が苦悩に歪む。
俺はゾッとした。
(これ、ゲームなら『内政』コマンドの『物資管理』だ……)
『覇道』では、失敗しても「金銭 -100」「物資 -50」程度のペナルティで済む。
担当武将の忠誠度がちょっと下がるくらいだ。
(だが、リアルは違う!)
目の前にいるのはNPCじゃない。
生活と――もしかしたら命がかかっている、生きた人間だ。
その辛そうな顔が、過労死した前世の自分と重なって見えた。
「……見せてください」
俺は木簡の山に近づく。
矢の数、米の数、槍の数、修繕用の木材の数……。すべてが日付も分類もバラバラに記録されている。
(ひどいデータ管理だ……! これじゃバグ(不一致)も出る!)
プログラマー(前世)の血が騒いだ。
地面に落ちていた炭を拾い、土間を使って木簡を並べ替え始める。
「おい、何をして……」
又右衛門の制止も聞かず、俺は呟いた。
「まず『入庫』と『出庫』を分ける。
次に『品目』でソートする。米、矢、木材……。
それから『日付』順に並べてクロスチェックすれば、重複カウントや計上漏れがすぐ分かる!」
「そーと……? くろすちぇっく……?」
又右衛門が意味不明な単語に戸惑っている間に、俺の作業は終わっていた。
「……ここだ。三日前の『矢・百本』の出庫が二重に計上されてる。
あと、この米俵。『入庫』の木簡が『出庫』の山に紛れ込んでた。
これで、帳面と蔵の中身は一致するはずです」
「な……」
又右衛門は、俺が分類し直した木簡の山と帳面を見比べ、絶句していた。
彼が何日も悩んでいたであろう問題を、俺はわずか数分で解決してしまったのだ。
その目が変わる。
さっきまでの「汚い猿」を見る目ではない。
「得体の知れないが、有能な何か」を見る目に。
「……藤吉郎、だったか」
「は、はい」
「お前……明日から、俺の草履取(ぞうりとり)兼、蔵の勘定役として働け」
「え?」
「飯は食わせてやる。寝床も、馬小屋の横でよければ使え。……それで、文句あるか?」
俺は、ねねと顔を見合わせた。
ねねは「やったね!」と無邪気に笑っている。
(やった……!)
信長への謁見はまだ先。役職は「草履取り」。
ゲームで言えば、身分は「足軽」以下だ。
だが、俺は「織田家」という組織の中に潜り込んだ。
そして何より――。
「ぐぅぅ……」
「……ああ、そうだったな」
又右衛門は呆れたように笑い、ねねに命じた。
「ねね! こいつに粥(かゆ)を……いや、麦飯でいい。山盛り食わせてやれ!」
こうして、俺の戦国サバイバルは、前世のスキル(データ管理)のおかげで、なんとか「飢え死にエンド」を回避した。
だが、俺はまだ知らなかった。
この“人の心の重さ”が、本当の戦場では――比べ物にならないほど、のしかかってくることを。
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