第19話 異世界勇者の日常
ギルドを出て、僕と麗は帰路についた。
時刻は正午を少し過ぎたあたり。
土曜日の昼下がりということもあり、街は多くの人で賑わっている。
僕の手には、先程購入した片手剣が入った長細い袋。
「そうだ、兄さん」
「ん?」
「今日の夕食、何が食べたいですか?」
麗が僕の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
一見すると相変わらずの無表情だが、兄である僕には、今の麗は少しだけ機嫌が良いことが分かる。
「麗の料理ならなんでも――」
「なんでも、はだめです」
「そうだな……久しぶりに麗の作る肉じゃがが食べたいな」
「……分かりました。それじゃあ、スーパーに寄っていきましょう」
咄嗟に思い浮かんだのは、異世界では食べることができなかった料理だった。
麗の作る肉じゃがは母親譲りで僕も好みの逸品だ。
異世界の食事も決して不味いわけではなかったが、やはり慣れ親しんだ妹の料理には敵わない。
――いや、旅の途中で食べるような保存食は、正直かなり不味かったけど。
あれはいくら保存性を重視するといっても、あまりにも味を度外視し過ぎている味だったが。
現地で食べられる獣などを運良く狩ることができればいいのだが、そう上手く行かない場合は、渋々その保存食を食べていた。
聖女や王女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら――味的には苦虫の方がマシかもしれない――食べていたし、魔女に至っては絶食する方がマシだと言って食べすらしなかったけれど。
そんな異世界での微妙な思い出を思い出しつつ。
スーパーで買い物を済ませ、僕たちは自宅へと戻った。
* * * * *
夕方、キッチンから美味しそうな匂いが漂ってくる。
麗がエプロン姿で夕食を作っている姿は、まるで新婚の妻のようだ――などと思ってしまうのは、兄としてどうかと思うが。
「兄さん、できましたよ」
「ありがとう。いただきます」
食卓に並べられた肉じゃが、味噌汁、ご飯。
シンプルだが、この温かさこそが、僕が異世界で恋焦がれていたものだ。
肉じゃがを一口食べる。
染み込んだ出汁の味が口の中に広がり、思わず目を細めた。
「……美味しい」
「当然です」
麗は得意げに胸を張った。
五年前よりも、確実に料理の腕は上がっている。
「兄さんがいなかった五年間、ずっと練習してたんですから」
「そっか……ありがとう、麗」
僕がそっと頭を撫でると、麗は少しだけ頬を染めて視線を逸らした。
食事を続けながら、麗がぽつりぽつりと話し始める。
「兄さんがいなくなってから……最初の一年くらいは、すぐに帰ってくると思っていたんです」
「……ごめん」
「謝らないでください。何か事情があったんでしょうから」
麗は箸を持つ手を止めて、真っ直ぐに僕を見つめた。
「警察も、探偵も。誰も兄さんを見つけられなくて。だから……だから、兄さんが帰ってきてくれて、本当に嬉しかったんです」
麗の目が潤んでいた。
普段は感情をあまり表に出さない麗が、こんな風に涙を見せるのは珍しい。
「もう、どこにも行かないでください」
「……ああ、約束するよ」
――しかし、その約束を守れる自信は、正直なところ、ない。
白鷺百合香。
僕のことを――勇者のことを知る、あの謎の存在。
彼女の正体を突き止めない限り、僕は冒険者としてダンジョンに潜り続けなければならない。
そして、ダンジョンに潜る以上、危険は常に付きまとう。
「……兄さん?」
「ん、どうした?」
「また、何か考え事をしてましたね」
麗の鋭い指摘に、僕は苦笑するしかなかった。
「ちょっとね。明日から学校だし」
「……そうですか」
麗は納得していない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
* * * * *
夕食を終え、風呂に入り、僕は自室のベッドで横になっていた。
横たわったまま、スマートフォンの電源を入れる。
ブラウザで検索し、動画配信サイトで猫屋敷さんのチャンネルを開く。
満面の笑みでダブルピースをしている猫屋敷さんのアイコンに若干イラっとしつつ、最新の配信アーカイブをタップした。
今日の買い物の様子は既に公開されている。
再生ボタンを押すと、画面に僕たちの姿が映し出された。
コメント欄には大量のコメントが流れている。
『意外と地味な剣買ったな』
『刀買えば良かったのに刀。抜刀術とかしてみてほしい』
『500万あるのに10万の剣とか堅実すぎる。本当に高校生か?』
『いや、いざとなったら聖剣があるんだから高い武器いらなくね?』
『妹ちゃん可愛すぎる』
『月ヶ瀬美月と妹ちゃんの間の火花バチバチで草』
『猫屋敷、500万全部配信機材に使うのヤバすぎだろ』
『ラスベガスのカジノで全財産溶かして日本に帰れなくなった女だからな。面構えが違う』
僕は雑多なコメント欄をスクロールしていく。
すると、気になるコメントが目に入った。
『聖剣って何なんだろうな』
『聖剣召喚、っていうからには召喚魔術なんだろうけど。あんな聖剣聞いたこともないよな』
『一番有名な聖剣だと、確かイギリスのS級冒険者が使ってるエクスカリバーだけど、最後に出てきた聖剣なんかはそのレベルの武器だよな』
確かに、と思う。
僕が召喚している聖剣は異世界の武器なので、当然聞いたこともないはずだ。
聞いたことがあるとすれば、それは僕のように異世界に行ったことがある人間か、あるいは、異世界側から来訪した何者かだろう。
僕はスマートフォンを置き、ベッドに寝転がった。
天井を見つめながら、僕は異世界での日々を思い返す。
五年間、僕は異世界で勇者として戦い続けた。
聖女たちと共に魔王を倒して人類を救い、そして元の世界に帰還した。
それで、僕の勇者としての戦いは終わった――はずだったのだけれど。
四年前から地球に現れたダンジョンという存在。
そして――白鷺百合香。
あの存在は、一体何者なのか。
なぜ僕のことを知っているのか。
なぜ、この世界にダンジョンなんてものがあるのか。
疑問は尽きない。
しかし、答えを得るためには、ダンジョンに潜り続けるしかない――面倒だが。
平和な世界に戻ってきたはずなのに、また戦う必要があるのか、という気持ちもないことはないが……。
まあ、今回の一件からしても、ダンジョンでの探索は結構な収入になるというのは分かった。
一応僕は今高校生なのだ、バイトとでも考えればいい。
――それに一応、新しい仲間も出来たことだし。
僕はそう決意を固めると、目を閉じた。
* * * * *
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
瞼を開く。
「兄さん、入りますよ」
「ああ、どうしたの?」
返事をすると、パジャマに着替えた麗がドアを開けて部屋に入ってくる。
「麗、今日は自分の部屋で寝なよ」
「嫌です」
即答だった。取り付く島もない。
言いながらも、麗は僕の隣に布団を敷き始めた。
これ、毎晩部屋に来るつもりだろうか……。
「うーん。まあ、いいか」
我ながら妹に相当甘い自覚はあるが、どうにも甘やかしてしまう。
昨日と同様に、ベッドの中で抱き着いてくる麗。
しばらく他愛もない話をしている間に、麗が僕の服の裾をぎゅっと握りしめたまま、穏やかな寝息を立て始める。
僕もまた目を閉じ、眠りについた。
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