Katura Tree

「だから……、例えば想像してみてくれよ」

 そう言うと目の前に座った茶髪の男は身振り手振りで示し始めた。

「目の前には車椅子に座ったアンドロイドがいたとする」

「ああ……」

 そして向かいに座っている男はマグカップに手を伸ばした。

「生体加工が施されてない、見るからにアンドロイドだと分かる見た目だ」

「うん……」

 マグカップに口をつけて、音を立てずに啜った。目線は空中の一点に固定されている。これは彼が考え事をしながら飲み物を飲む時の癖だった。

「そしてそのアンドロイドはお前にこう言った」

「そうか……」

 つまり、こいつの話など聞いていないという事だ。

「『すみませんが、この車椅子を目的地まで押していただけませんか?』と。そんな時、お前ならどうする?」

「……」

 そんな事よりも重要な事が、この男の頭の中にはあったのだ。

「おーい、聞いてるか?」

「……僕だったら、ちゃんとリペアセンターに送ってやるけど。もちろんソフトウェア部門のな」

「なんだよ、聞いてるじゃん」

 マグカップを口から離し、茶髪の男にそう返した。こんな大変な時期にこいつのこんな下らない話に付き合ってやるなど、僕はなんて親切なのだろうか。お茶がなければとっくにお開きだった。

「だけどあそこのチームは年中人手不足だから、すぐには直らないだろうな」

「まあな、だからお前みたいな部署にいると……、ってそうじゃなくて。俺が言いたいのはそんなことじゃなくてだな……」

 僕は腕時計の時間を確認してから辺りに目を向けた。カフェテラスでこいつに捕まってから、かれこれ三〇分は経っただろうか。もう基準時間では夜に差し掛かる頃だ。そろそろ自室に戻らなくては。こんな忙しい時期でも、こなす仕事の量は変わらない。

「……だから俺が言いたいのはだな、人による人格の是認はもっと表面で決まるんじゃないかってことで……」

「なるほどなぁ……」

 適当に相槌をしながら再びカップを手に取った。

 そういえば、なぜここはカフェテラスという名称がついているのだろうか。確かに、ガラスで覆われたテラスの一面からは美しい外の景色が一望できるが、一応室内に位置しているはずだ。「カフェテリア」の方が正しい気がする。

「……つまり二〇〇〇年代初頭で、俺たち人類が犯した最大の過ちは人工知能を制御できなかったことなどではなくて……」

 それとも、この天の川銀河系を直に望むことができる過剰なまでの開放感が名前の由来なのかもしれない。

「……人類の大多数の、人工物そのものに対する認識が、旧時代のそれと大差なかったってことなんだよ。それこそ一九〇〇年代くらい大昔の……」

「たしかになぁ……」

 カフェテラスの人影もまばらになってきた。そろそろ帰ろうか、と切り出そうとしたその時だった。

「……」

 一人の客の姿が目に留まった。子どもだった。それも車椅子に腰をかけた、少女だった。

「……俺に言わせればバイオミメティクス、あの連中が参入し始めてからおかしくなったと……」

 子ども?こんな時間に?

「……」

 しかも身体障害を抱えた住人だ。

 原則として、少なくともこのコロニーでは、先天的な障害を持って生まれた人は、よほどの理由がない限り別のコロニーに移住することになっている。より医療技術に特化した施設のあるところにだ。だから外見で体の不自由が分かる人は、ここではほとんど見ない。

 いるとすれば後天的に事故によるものか……。だが、一般人がそんな危険に巻き込まれるような事態は想定できない。ましてや子どもが。

 それに、仕事上この区画の住人の顔は把握しているつもりだが、あんな子どもは見覚えがない。

「……俺があの時代に生まれていればなぁ……」

「……」

 別のコロニーからの移住者か?それとも……。

「なあ、ザック。お前に聞きたいんだが……」

 僕が質問しようとしたその瞬間

「あっ!」

 そいつは急に声をあげて椅子から飛び上がった。

「なっ、なんだ急に。どうした」

「すまん、トザキ。俺、このあと用事あるの忘れてた」

「お、おう」

 そう言ってポケットからコインをジャラジャラと引っ張り出し、慌ただしくテーブルに乗せた。

「この前請け負った空調のデバイス、まだ最後の確認があったんだ。現場に行かねえと……」

「そうか……」

「じゃ!またなトザキ」

「おう……」

 僕は走り去っていく後ろ姿にボソッと返事した。あまりに急だったのであっけに取られたのだ。

「……まったく」

 なんてやつだ。わざわざ話に付き合ってやったのにこの仕打ちとは。

 テーブルの上のコインを一枚ずつ指で数えながら心の内で愚痴を垂れた。

 足りないし……。

「はぁ……」

 いや、そういえばさっきの……。

「……」

 その時、今一度辺りを振り返ろうとした彼のもとに一人の影が近づいてきた。

「すみません」

「……!」

 足音もなく近づいてきたその気配に、思わず驚いた。

「ああ、申し訳ありません。驚かせてしまいました」

「えぇ……、いや」

 さっきの子ども?

 その姿は間違いなく先程目撃した車椅子の少女であった。しかし、目の前に存在するそのオーラは明らかに子どものそれではなかった。そのちぐはぐさに、彼は一瞬戸惑った。

「あぁ、大丈夫だ。それよりも……、どうかしたのかい?」

「こちら、恐らくお連れ様が、落とされましたよ」

 そう言うと少女はテーブルの上に手を伸ばし、ジャラ、とコインの上にそれを重ねた。

「ああ、すまないね、わざわざ。ありがとう」

「いえ」

 短く返すと、少女は両手を膝の上に戻し、テーブルの上のマグカップを見つめた。

「……」

 そして数秒ほどそうした後、また口を開いた。

「ここの紅茶、美味しいですよね。さすが、食品加工技術を担っているだけのことはあります」

 その間合いがあまりに奇妙だったため、僕は完全に席を立つタイミングを失った。

「え?ああ、そうだな」

 なんだ?このまま僕と相席するつもりなのか。

 ……まいったな。

「えっと……、君は最近ここに移住してきたのかな」

「ええ、まあ。仕事の都合でこのコロニーに移る必要があったのです」

 仕事?親の転勤とかだろうか。

「そうか。大変だな」

 僕はその少女の姿を改めて観察した。

 別のコロニーから来たとは言っていたが衣服はここの支給品のもののようだ。ただサイズ感が合っていないせいか、新鮮な印象を受ける。ゆるい袖や裾から覗く手足が余計に細く見えた。

「いえいえ、そちらの方こそ。今、大変な時期であると伺ってますよ」

「……よく知っているね。そう、まあ、最近ちょっと人事移動が激しくてな」

 と言っても分からんだろうなぁ、と思いつつその顔を観察した。

 テーブルの上のどこかに向けられたその目線はあまりにも落ち着き過ぎていて、どこか虚ろな感じさえする。

「そうなのですね」

 瞳の色がほんの少しだが、かすかに白みがかっているように見える気がする。灰色の髪色と相まって、全体的に活発さを感じない雰囲気だ。これもまた、年不相応だった。

「ところで」

「……うん?」

 彼女が発話する瞬間、僕は無意識に彼女と目が合うのを避けた。

「わたくし疑問に思っていたのですが、ここのお店は室内ですのになぜ『カフェテラス』と言うのでしょうね」

「え……」

 ………………。

「ご存知ですか?」

「……いや、知らないな」

 こういう日もあるか。

 色々考えた結果、僕はそう思うことにした。

「ふふっ」

 控えめに微笑んだ少女のその顔が、少し不気味に感じた。

「……もうこんな時間だ。居住区まで送っていこうか」

 僕がそう切り出すと、少女は「いえ」と短く断ってすぐに移動し始めた。

「お構いなく。わたくしは失礼しますね」

「ああ……、気を付けて」

 ゆっくりと遠ざかる後ろ姿に、そっと声をかけた。



2XXX年。

 人類が地球を捨ててからちょうど百年ほどが経過した。

 いくつかの災難を乗り越え、人口は最盛期の三分の二までに減ったが、残った人類の一部は九つのバンカーを宇宙に建設し存続を続けた。

 世代交代という一つの課題を乗り越えた時期、同時にかつて地上で暮らしていた頃の記憶が忘れ去られる時分でもある。

『枝には着いたか』

「ええ、カナリアが」

『名前は?』

「名はない」

『……』

「わたくし、やっぱり嫌いです。これ」

『予定よりも早く着いたようだな』

「早く終わらせて観光でもと思いまして」

『気を抜くな』

「わかっていますよ」

 だが、彼女は知っていた。

「ところで、カナリアってどんな鳥か見たことあります?」

『知るか。定期連絡は終わりだ。用がないのならもう切る』

 歳月こそが本当の試練であると。

「つまらない人」



「車椅子の女の子?」

「ああ、そうだ。心当たりないか」

「うーん……」

 謎の少女を見かけた翌日、職場のデスクで僕は昨日の出来事を反芻していた。

「まあ、そんなに重要なことじゃないから。ないならいいんだ」

「普通に移住者とかじゃなくて?」

「先月の定期船のリストを見たが、それらしいひとは乗ってなかった」

 ザックの無駄話に付き合わされたせいで昨晩はあまり眠れなかったのだが、どうやら僕の中では昨晩の出来事が自分の思っている以上に引っかかっているらしい。

 昼休みを返上してまでやることでもないだろうに。

「ま、もしかしたらどっかのお偉いさんの娘とかかもね。高速巡航船とかプライベートロケットとかで来たんじゃない?」

 半笑いぎみでそう返した彼女の様子を見るに、あまりこの話題に興味がないようだった。

「……そうだな」

 なので僕も早々に切り上げることにした。

「頼むからさあ、あんた、余計なことに首突っ込まないでよね。ただでさえ人事で忙しいのに」

「クビの間違いだろ」

「おっ、言うねぇ~。トザキ君、そんなこと言って、大丈夫かな?」

 言葉とは裏腹にその表情はさっきと打って変わってウキウキだ。

 どうやらこの手の話題の方が好みらしい。

「どこに目があるかわかんないんだぞ~」

「そうだな、だからヤツは飛ばされた」

「あははっ、たしかに」

 そう、ついこの間、このバンカーの管理部門のトップが更迭された。管理部門とはそれぞれのバンカーにおける役所のようなものであり、そのトップともなればセントラルの会議においても一定の発言が許さる立場だ。

 そして僕たちの上司でもある。

「でも頑なに詳細を言わないよね」

「飛ばされた理由か?」

「そう」

 更迭と言えば体面は保てているように聞こえるが、あれは明らかにクビだった。

「カルトだよ……」

「やっぱそれマジなの?」

「……」

 ことの発端は少し前まで遡る。

 先日更迭された部門長が、就任したばかりの頃の話だ。それぞれのバンカーが運営方針を決めるセントラル会議にてとある提案があったらしい。

『ここ、食品技術を担うバンカーでも雇用の一部を解放し、自動化すべきである』

 ようは簡単に言うと、現在人間が行っている作業をロボットにやらせるということだ。

 今思えば、『でも』とか『解放』だとか、色々あやしい言葉選びだとツッコミを入れたくなるが、当時の僕は気にしていなかった。いや、おそらくほとんどの職員が会議の内容などまともに聞いていなかっただろう。

 その、気の緩みを突かれたのだ。

「AI至上主義者……」

「それってさどんな連中なの?」

「さぁな」

「え~、教えてよ」

 そういって彼女は僕のデスクの端に腰をかけてきた。

「どこに人の目があるかわかんない、なんて言ったのはお前だぞ、サキ。もう昼休み休みも終わりだ」

 僕が手で払うと「ケチ~」と言いながら自分のデスクへ戻っていった。

 その姿を最後まで見た後、僕はポケットからそっと一枚のコインを取り出した。

「……」

 昨夜、例の少女が拾ったコインだ。

 カフェテラスの支払いには使用せず、保管しておいた。

「……何やってんだかな」

 管理部門のリポジトリにはそのバンカーに住んでいる全て住人の情報が保管されている。年齢、性別、血液型、そして指紋に至るまで全てだ。

 職権濫用と言われたら否定はできないが、不審人物の身元を調べることも立派な公務のうちではないだろうか。

 それに……。

「トザキ君、ちょっといいか」

「はい、何です?」

 突然後ろから話かけられ、急いでコインをしまった。

「時間、大丈夫か」

「はい、休憩はもう終わったので」

「そうか、突然で申し訳ないんだが部門長後任の件で話があるので後で来てくれ。第三ミーティングルームだ」

「……はい、わかりました」

「早急に対処が必要なものではないから、今の作業が切りの良いとこで構わない。じゃあ」

「あ、わかりました……」

 終始、体をこちらに向けることなく足早に去っていった。

 管理職ってのも楽じゃないらしい。

「はぁ……」

 ただ上りつめることに対して、無条件に憧れる時代は終わったのだ。もうとっくの昔に終わっていたのかもしれないが、少なくとも地球という依り代を失ったその日から、人々は責任に追われ続けることになった。

 我々の居場所は我々で守らねばならない。

「……」

 ポケットの中のコインを握りしめた。



 勤務時間の終わり、情報リポジトリにトザキは来ていた。

「いけそうか、エド」

「バレないようにいけるか、でしょ。まあできますケド」

「なんかすまないな」

「はあ、まあ……。幸い、オレらのとこは全然忙しくないし、むしろソフトの話が頓挫して仕事がなくなったというか……」

 室長とのミーティングが終わった後、僕は知り合いのエンジニアに指紋の照合を依頼した。彼の専門部署の仕事ではなかったが、他に頼める知り合いがいなかったのだ。

「お前がいて助かったよ」

「……コイン、そこ置いて」

「ああ……」

 例のコインを端末の上に乗せると、エドは手袋をはめた手でそれの位置を微調整した。

「まあ詳しいことは聞かないですケド、そんな重要なワケ?これ」

「ああ……、まあな」

 正直なところ、これは僕の勘でしかない。

 例の更迭された件との直接的な繋がりはないし、AI至上主義者との関連もない。

 今のところは。

「ああ、コレ……、思ったより時間かかるカモ……」

 ここのデータベースには過去に犯罪を犯した者の情報もある。僕のものも含めた複数の指紋が検出されるだろうが、真新しい痕跡からデータ照合して検索すれば何かしら出てくるだろう、と僕は踏んでいた。

「そういえば、今日の昼、ザックが来てキミのこと探してたよ」

「またか」

「依頼人の話でひとしき愚痴って帰ってった」

「災難だったな」

「オレはキミの弾除けじゃないンだけど」

 彼はひとしきりキーボードを叩くと頬杖をついてダルそうにあくびをした。

「そういえば、例の後任の人とかってもう決まってるンすか?まさかキミ?」

「そんなわけないだろ」

 いくら勤続年数が長いとはいえ、部門長就任は僕には早すぎる。

「ちょうどさっき室長からその話があったんだ」

「へぇー。なんだって?」

 相変わらず興味があるのかないのかわからない態度だったが、僕は話してやることにした。僕自身、内容を反芻するためにも。


『部門長の後任が正式に決定した』

 第三ミーティングルームにてそう告げられた。

『そうなんですね。早くに決まって良かったです』

『うん、まあな……』

 室長にしては随分と歯切れの悪い反応だと思った。そして、きっとそれは僕が一人で呼ばれた理由と関係あるとも察した。

『それで、何か新しい仕事が発生したんですか?』

『……そうだな、これは仕事だと思ってくれていい』

『?』

 仕事だと思う?

『後任の方についてなんだが、実は別のバンカーから来られた方なのだ』

『そうなんですね』

 これは別に珍しいことではなかった。

 後任に相応しい人材がいない場合、経験のある人材が他所から来るのはよくあることだ。比較的地位の高い役職ならなおさら。

『そのお方が、その、少し癖のあるお人でな』

『はい……』

 嫌な予感がした。

『実務に関しては問題なくこなせると思うんだが、ハード面でサポートが必要なんだ。システムの方もむこうとは少し違うだろうし』

『……はい』

『それで、君にはそのサポートをしてもらいたい』

『……』

 新任の部門長にサポートが必要ということはわかった。他所のバンカーから来れば、色々と勝手が違くて苦労するだろう。

 なぜその役割が僕なのだろうか。

『サポートをするなら手続きなどに詳しい事務課の人間が良いと思ってな。君は経験も長いだろう』

『……なるほど』

『近々顔合わせがある。着任までに聞きたいことがあれば言ってくれ』


 以上がミーティングの内容だった。

「うわぁ……。サイアクっスね」

「……」

 最悪……、かどうかはわからないが、正直なところ疑問は多い。

「……仕事だからな。仕方ないよ」

 まず、なぜ僕なのか。年長であるというだけでは必要性に欠けるし、僕だけが突出して経験が長い訳でもない。

 そして、新任の人物について。わざわざ他所のバンカーから引っ張ってくる必要があったのか。

 実のところ僕の予想としては、いや多くの職員が予想していたことだが、新任には繰り上がりで現室長が就任するとばかり思っていた。少なくとも他の部門の誰かが引き継ぐものだと皆は予想してたのだ。

「今さらだが、本当に勝手に使って大丈夫だったのか?ここ」

「ホントに今さらだね。大丈夫スよ。なんか言われたら後で報告書テキトーに書いておけばイイんで」

 部門長を新たに決める際は全ての部署の部門長がセントラル会議で話し合うことになっているから、滅多なことはないはずだが……。

「あ、検索終わった……」

「どうだ、スキャンできたか?」

 前任者の退任理由を考えると、嫌な想像が膨らんでしまうのだ。

「……トザキさん、コレどこで拾ったの?」

「え?そうだな……、いつものカフェテラスだよ」

「……」

 エドはモニターから顔を離すとしばらく僕の顔を見つめた後またモニターに目線を戻してから「ウソ」と小さく呟いた。

「え?」

 噓ではないんだが。

「誰かいたか?過去に犯罪歴があるやつとか……」

「ない」

「うーん、そうか……。じゃあ、最近の渡航歴がある人は……」

「イヤ、ない」

「え?」

「キミの指紋しかないよ、コレ」



「……」

 トザキが帰った後、エドは一人でリポジトリに残っていた。

「どういうことなんだろ……」

 以前、鑑定課のエンジニア顧問をしていた彼にとって証拠品の鑑定は慣れたものだった。小銭に残った指紋のスキャンなど造作もない。

 だが、指紋がまったく付着していない物体には出会ったことがない。

『このことは誰にも言うな』

 帰り際にトザキにそう念押しされたが、それならせめてあのコインの出どころくらい教えてくれてもいいのに。

「……新任の管理部長かぁ、どんなヤツなんだろなあ」

 エドはモニターをタップすると管理部門のデータベースにアクセスした。

「定期船にはいなかったって、言ってたよな……」

 もちろん法規違反である。

「てことは高速船の……、金持ちかぁ?」

 各バンカーを直通する高速巡航船の搭乗料金は、定期船の十倍以上する。

「どれどれ……」

 そんなものを使うのはよっぽどの理由があるお偉方か、もしくは庶民たちと一緒の船に乗るのが気に食わない金持ちくらいなもんだ。

「うーん……」

 そういう面もあってか、セキュリティもなかなか凝っているようだ。

「おっ、あったあった……」

 今月の記録は……。

「…………はぁ、マジか」

【削除済み】

 その文字で埋め尽くされていた。



 室長から話を聞いた数日後、新しい部門長と顔合わせの日が来た。

 はずだが……。

「えっと……」

 ミーティングルームには僕と室長と、あと……。

「どうも」

 例の少女……。

「初めまして、ではありませんね。トザキさん」

「……」

 車椅子に腰かけた灰色の少女がいた。

「おや、お二人はもう面識があったのですか?」

「ええ。先日、偶然、カフェテラスでお会いしまして、ね」

「……はい、まあ」

 この少女が……。

「そうだったんですね。では、改めて……」

 室長が続けようとしたのを、少女は黙って手で制した。そして代わりに続けた。

「改めて自己紹介させていただきますね」

 どのような人物が来ても良いように覚悟はしてきたつもりだったが、まさかよりにもよって。

「わたくし、新たに本バンカーの事務部門統括を務めさせていただきます、カリア、と申します。これからよろしくお願いしますね」

「はい……、私は部門長のサポートをさせていただくことになった、トザキと申します。よろしくお願いします」

 何ということだ。

「どうかされました?」

「ああ、いえ……。なんでも」

 僕が室長の方をちらりと見たら、彼は一瞬こちらに目を向けてまた目をそらした。

 何かある。そう思った。

「では、自己紹介も済んだことですし、部署の案内をいたしましょう。トザキ君、本日の仕事は大丈夫だから、カリア統括に職場の案内と、あとはこのバンカーにつて簡単な紹介をお願いできるか?」

「ええ、はい、わかりました。では……」

 とりあえず今は仕事だ。そう割り切って、ここは乗り切ろう。

 トザキが扉へ向かいドアをあけると、カリアは自らその後に続き車椅子を進めた。

「どうそ……」

「どうも」

 そうして二人は部屋を後にした。



 昨晩、トザキは考えた。

 コインに指紋が残らなかった理由。

「……」

 あの時、彼女がコインをテーブルに置いた直後、それをポケットに入れてリポジトリに持ち込むまで誰にも渡さなかった。

 検索に引っかからなかったのならわかる。

 だが、誰の指紋も付着していなかったのは不可解すぎる。

「では、まず初めに我々のデスクから紹介しますね」

 端的に言えば、怪しいのだ。

「ええ」

 こいつが。

 彼女がガラス越しにデスクを見学している隙に、トザキは思考を巡らせた。今、この状況を有効活用する方法を考えるのだ。

「比較的、少人数で運営しているのですね」

「そうですね……。うちは知っての通り食品技術が主要産業ですから、他のデジタル技術を担うところと比べてもエンジニアや事務員の数も少ないんです」

 何人かの職員がこちらを不思議そうな顔で見ていたが、今はそんなこと気にしている場合ではなかった。

「では次にこの区画のサーバー室に……」

「トザキさん」

「……はい?」

 環状に続く廊下の真ん中で彼女は動きを止めた。

「どうかしましたか……」

「気を使っていただく必要はありませんよ」

 トザキも足を止めたが、振り返ることなく言葉を返した。

「……カフェテラスでのこと、あの時は失礼いたしました。なにぶん、新しい部門長のことについて何も聞かされていなかったもので」

「いえ、良いのです。ああいったことは慣れていますから」

「……ありがとうございます」

「この先は情報リポジトリですね」

「……」

「このバンカーの構造はすべて頭に入っています。事前に準備していただいたにもかかわらず、申し訳ありません」

「……いえ、さすがですね。まだお若いのに」

「ふふっ、お若いだなんて。やはり、いくつになっても嬉しいものですね。そのような言葉をいただくのは」

「?」

「少なくとも、この バンカーにいるどの人よりも長く生きていると思いますよ」

「え……」

 振り返ると彼女は少し離れた小窓から宇宙の景色を覗いていた。

「お詫びにお茶でも御馳走しましょう。例のカフェテリアで」

「……」

「そこでアナタの疑問に答えて差し上げます」



「トザキいる?」

 事務課のデスクにて、一人の男が訪ねてきた。

「せっかくの昼休みなんだから邪魔すんなよ。ていうか勝手に入ってくんな、ザック」

「あ、サキか。トザキ見なかったか?急用があるんだが……」

「トザキなら室長に呼ばれて、なんかどっか行ったよ」

「そうか……」

 ザックはおもむろにコーヒーサーバーに近づいた。

「なあ、ここってカプチーノとか飲めんの?」

「そんなオシャレな飲み物はないよ。……まさかここで待つ気?」

「ああ、別にいいだろ」

 サキはカップに口をつけながら「どうぞ」と口をすぼめた。

「俺だって大変だったんだよ。前の客が、まためんどくせえオプションつけてきやがって」

「例のお金持ち?」

「そ」

 ザックはトザキのデスクに座り、書類をのけてカップを置いた。

「それが変なやつでさあ。内装とか一切いじらないのに、でかいモニターがどうしても部屋に欲しいとか言って……」

「ふーん……」

「部屋で映画でも見んのかよ」

 面倒なやつが来た。サキは思った。

 だが、トザキはそれ以上に面倒なことに巻き込まれていることも彼女は知っていた。

「……」

 ザックはカップを口へ運んで飲む仕草をしているが、その目線はデスクの書類へ向けられている。

「ねえ、ザック」

「……なんだ?」

 サキが口を開こうとしたその時だった。

「みんな、すまない」

 室長が少し慌てた様子で部屋へ入ってきた。

 人影がまばらなのを確認すると、彼は二人のもとへ歩いてきた。

「誰か最近、保管リポジトリにアクセスしたか?」

「はい?情報リポジトリのことですか?」

「ああ、どうやら最近誰かが勝手に使ったみたいでな」

「いや、知らないですけど……」

 サキは何となく隣りの方を見た。ザックはこの件とまったく関係ないはずだが……。

「…………」

 一瞬、その表情を見た。

 彼の、普段の彼からは想像もつかない、見たこともない顔をしてた。

「……」

「いや、心当たりがないのならいいんだ。それほどの大事でもない。休み時間に失礼したな」

「ああ……、いえ」

 そう言って室長は奥のデスクへと歩いていった。

「……どうかした?ザック」

「えっ。ああ、いや。……ごめん、ちょっと急用思い出した」

「お……、そうか」

 その急激な態度の変化に困惑し、かける言葉を見失った。

「じゃあなー……」

「ああ……」

 カップをデスクに置き去りにし彼はそのまま去っていった。

「……なんだよ、あいつ」

 飲みかけのカップを片付けようとトザキのデスクに近づくと、書類の間に何か光るものを見つけた。

「ん?」

 書類を持ち上げると、そこから一枚のコインが落ちてきた。

「こんなとこに小銭置いてくなよ……」


「このカフェテラス、その昔は小さな卸売業者が始めたものらしいですよ」

「そうなんですか」

「ええ。それが今や、一つのバンカーを担う大企業」

「……」

「ここは、人間が運営をしているのですね」

「一定の雇用を保つために、安全な仕事はすべて人間が行っています」

 基準時間では昼過ぎを示す頃、さすがにこの時間は空いている。

「他のバンカーでも、ほぼすべての仕事が人間によって行われています」

「そうなんですね」

「ええ、そうです。そして、アンドロイドやその他の人工知能を取り扱う技術産業はセントラルによって厳しく取り締まられます」

「ええ、それは知っています」

 ティーカップに注がれた液体を揺らして、その香気を確かめる仕草は年相応の少女のそれだった。

 だが、僕は知らなければならなかった。目の前にいるこの存在の正体を。

「あぁ、とても、良い香りです」

「……」

 その灰色の瞳に一瞬、変化があったように感じた。

 もちろん気のせいだ。

「義肢や義体の使用には、特に厳しい制限はありませんでしたね」

「いつ、気が付いたのですか」

「すべてご存知のくせに……」

 そうだ。義肢ならば指紋など残らない。

「ふふっ」

 彼女はカップに口をつけ、それをまたテーブルへ戻した。

「初めて生身の体が羨ましいと感じました。この味を、いえ、もう少し早くここへ来れば良かった」

「……」

 そうか、全身が……。

「一つ言っておきたいのですが、わたくしは自ら望んでこの体になったのです」

「……しかし、それほど高度な義体製造の技術は見たことがありません。生身の人間とまったく遜色ない精度だ。それこそ、かつて禁止されたアンドロイドの製造技術に近しいものを感じます」

「お詳しいですね」

「僕の知る限りではそれをバイオロイド技術、なんて言いますね」

「感心いたしました」

 なぜアンドロイドの研究が禁止されることになったのか。

 人類が地球を追われる原因になったから?

 いや、そんな単純な理由ではない。

 正確には、それだけではない。

「そう、アナタの思う通り。不老の体を求めて、非人道的な研究を行う者が後を絶たなくなったからです。まあ、これも理由の一つに過ぎないのですが」

 人類が太古より夢見た永遠……。

「本題に入りますと、前任の人物は違法な研究を誘致した容疑で逮捕されました」

 やはり噂の通りだったか。

「……なぜその話を僕に?」

「わたくしは、実のところ、アナタのことを疑っていたのです」

「……それは僕があなたを詮索するような動きをしたから?」

「いえ、違います」

 少女は再びカップを手に取った。

「容疑者と最も親しい人物がアナタだったからです」

「え……?」

 今度は手にしたカップに口をつけることなくを戻した。そして、ポケットから一枚のカードを取り出した。

「……これは?」

「わたくしは仕事でここへ来たのです」

 それは名刺だった。

 警務部門……、セントラル。

「……なるほど」

 つまり彼女は、ここへ転勤しにきた訳でもなく、観光がてらにカフェへ来た訳でもない……。

「潜んでいた容疑者なら、今頃、ここの警務部が捕まえていると思いますよ。アナタの協力のおかげで」

 わざわざ遠くのバンカーから犯罪者を逮捕しにきたということか。

「待ってくれ、僕の協力?」

 いや、その前に、僕が最も親しい人物と言ったか?

「ええ、アイザック・レンフロ。彼はセントラルが身柄を確保し、輸送します」

「ザックが?」

 まさか、あいつが……?

「もちろん、室長には話を通してあります。その上で協力していただいたのです」

 やっぱりそうだったか。

 どうりで、彼の様子がいつもと違うと思った。

「気がついていらしたのですね。やはりアナタは鋭い」

「……」

 なんだ。この違和感は。

 さっきから何か変だ。

 なぜ

「アナタの考えていること分かるのか」

 その微笑みは、僕の心の声呟きに答えるかのようだった。

 思い返して見ればそうだ。一番初めに彼女と出会ったときも。

「別に頭の中を覗いているわけではないですよ」

 なぜここが……。

「なぜここがカフェテラスという名前なのか、でしたか」

「……」

 そうか。

 目の前の存在が得体の知れないものであると、この時気が付いた。

「皮肉なものですね。人類が追い求めた永遠の存在、その体現者が、それを追い求める者たちを捕まえる役割をこなしているとは」

 世を皮肉る少女の姿は、なんだかそれだけで痛ましく思えた。

「あなたは……」

 トザキはその後の言葉飲み込んだ。

 空のティーカップを見つめる少女のその姿が、とてつもなく小さく見えたのだ。

「とても、美味しいお茶でした。トザキさん」

「そう……、ですね」

「言ったはずです、気を使う必要はないと」

「……」

「では、わたくしは仕事へ戻りますね」

 ゆっくりと遠ざかる後ろ姿を、黙って見送ることしかできなかった。



「就任おめでとうございます。室長」

「だから、もう室長ではないって」

「ああ、すみません。つい……」

 すべての問題が解決した後、現室長が繰り上がりで統括へと昇任した。

 これは誰もが予想したことであり、また当然の流れでもあった。

「みんな、これからもよろしく頼む」

「はい」

 就任式もほどほどに終わり、またいつもの日常が戻ってくる。

 穏やかな日常が。

「今回は色々とすまなかったな、トザキ君」

「いえ、大丈夫です」

「その、余計なことかもしれんが、セントラルへ向かう船が今日出発するらしい」

「……そうですか」

「……やはり余計な世話だったな」

 室長は……、いや、統括は気まずそうにそう言った。

「いえ、教えてくれてありがとうございます」

 おそらく僕が友人へ最後の別れを言いそびれたと思っているようだが、心残りはそこではなかった。

「この後、ダメもとで行ってみますね」

「ああ、後悔しないようにな」

 会場を後にすると、僕は船着き場ではなく、とある場所へと足を運んでいた。



2XXX年。

 人類が地球を追い出されてからちょうど百年ほどが経過した。

 その間、いくつもの災難を乗り越え、そしてこの日もまた、一つの試練を乗り越えた。

『さすがの仕事ぶりだ』

「とても優秀な協力者がいたのです。わたくしの同僚とは比べ物にならないほどおもしろくて優秀な方が」

『犯罪者を捕まえるのにユーモアは要らない。不満なら辞めてもらっても構わんのだぞ』

「ええ、お構いなく。悪口を言うのに気づかいは不要ですから」

『……』

「では」

 通信を切ると、彼女は目の前に広がる景色を一望した。

「できればもう一度くらい、ここでお茶がしたかったのですが」

「……見つけました。やはりここにいたんですね」

「息抜きをする暇もくれないのです」

「もう出航の時間が近いはずですが……」

「ええ、わかっています」

 ここに彼が自分を探しに来ることはわかっていた。

「アナタがあの時、情報リポジトリにアクセスしたことで色々なことがスムーズに進みました」

「はい?」

「わたくしはあの瞬間、コインを拾うふりをして、容疑者の指紋を採取した」

「……」

「そして、アナタがわたくしの触ったコインをリポジトリへ持ち込み、その事実が偶然にも容疑者の耳に入った」

「……偶然、ですか」

「ふふっ、まあ聞いてください。自分の情報を探っている人物がいると思い込んだ彼はやっと尻尾を出しました」

「なるほど……」

 最初から職員の中にいることはわかっていたが、特定には至っていなかったのだ。

「それで、その……、あなたについてなんですが……」

「その昔、バイオロイド研究の第一人者の中に、一人の日本人がいました。アナタと同郷ですね」

「……」

「彼をその道へ突き動かしたのは、死んだ人間にもう一度会いたいという願い。結果、彼は成功しました。既存の人間の記憶をツギハギして、別の新たな人格を形成する理論を打ち立てたのです」

「……」

 わざわざこのバンカーへ来る必要はなかったのでは?

 彼の表情と仕草がそう言っていた。

 無数の人間の経験値と、百年以上それを運用してきた彼女にしてみれば、人の考えをその言動から読み取るのはさほど難しいことではない。

「もう、わたくしの中で、どの記憶だったのかわからないのですが、ここへ来なければならないと、そう思ったのです」

「……」

「アナタはわたくしを、人間だと思いますか」

 長い沈黙があった。

「………………」

 それから彼はおもむろに車椅子に手をかけ、それをやさしく押し始めた。

「そろそろお時間です、カリアさん。お送りしましょうか」

「どうも」

 名残惜しい視線がまぶたにしまわれた。

「……」

 もう二度とここへ来ることはなかった。

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