まるふく日和
生獣(ナマ・ケモノ)
第1話 うどん屋『まるふく』営業中
『9回裏2アウト。満塁、一発出れば逆転サヨナラの場面でバッターボックスに立つのは4番田辺』
「打て田辺! ここで打たなきゃ男ちゃうぞ!」
「抑えろ松林! ここで打たれたら今年でクビだぞ!」
『打ったーーー! しかし……木場追い付きましたセンターフライ。ゲームセット!』
「あーーーっ⁉︎」
「よっしゃ!」
「くぅ〜! くそ、呑まなきゃやってられん! ひろ子、ビールもう一本!」
「ダーメ。今日はこの後大雨降るっていうから早く帰らないと。徳さんもだよ。
それと私はひろ子じゃなくて千紘。いつまで子供の頃の呼び方続けるんだか」
「まだ30にも行ってへんやろ? ならまだまだガキやろ」
「ほんのちょっと前は小生意気なクソガキだったのになぁ」
「茂さんと徳さんの時間感覚で語らないの。ほら、もう良いから帰んな。
大雨の中ほろ酔いで歩いたら本当に危ないからね!」
「もうちょっと居させてくれよ〜! まだ降っとらんし」
「ヒーローインタビュー見たら帰るから」
「まったく……」
本当にこの二人は……
私、吉岡 千紘(よしおか ちひろ)がこの下町の一角にひっそりと建つうどん屋『まるふく』を継いで5年。
この二人はお爺ちゃんがやってた頃から通っている常連さん。
正直儲けは殆ど無いけど、地域の交流の場で笑顔が絶えない『まるふく』が大好きだった。
実際この二人は私が小さい頃から可愛がってくれてたし。
だから23歳の時、お爺ちゃんが亡くなって『まるふく』が取り潰されるって聞いた瞬間……速攻でこっちに戻ってきて店を継いだ。
「懐かしいなぁ……節朗の兄貴がおっ死んじまって、もうこの店のうどんが食えねぇと思ってたらよぉ……」
「あぁ。ぶらついてたら、まるふくに灯りが点いてて……節朗の兄貴が化けて出たのかと暖簾をくぐったらエライ別嬪さんが居たから腰抜かしたわ」
「その日は久しぶりに笑い疲れたよな」
「全くだ」
ゲハハと声を揃えて笑う茂さんと徳さん。
この話をする度に始めたてでド緊張してた頃を思い出して顔が熱くなる。
けれど、一番の常連さんであるこの二人が私の拙いうどんも美味い美味いと食べ続けてくれたから今の私と『まるふく』が有るのも事実だ。
……それはそれとして釘は刺すけど。
「何回この話すんの! って言うか同じ話繰り返すのは酔っ払ってる証拠!」
「にゃあ」
「ほら、タマもそう言ってる。雨が降る前に帰った帰った!」
タマは2年前に拾った捨て猫。
飲食店でどうかと思うけど、お客さん達には好評なので店内も自由に歩かせている。
「へぇへぇ。そんじゃ、お勘定を……あん?」
「お?」
「あ、いらっしゃ……い?」
茂さんが財布を取り出した瞬間。
ガラッと引き戸を開けて一人の少女が入ってきた。
歳は……たぶん15ぐらい?
長髪、というよりは放っておいたって感じでボサボサ。
服もボロボロだし、手足も汚れている。
何より目付きが悪い。それこそ捨て猫めいていて、人前で腹を出して寝るタマよりも猫っぽく見える。
私はこの子を知らない。
一応、この町の人達とは全員知り合ってる自信はある。
茂さん徳さんも、知り合いなら声を掛けるから、本当にあの子の事は知らないんだろう。
「……ねぇ」
「は、はい」
「これで、何か食べれる?」
そう言って女の子はギュッと握った右手を開いた。
小さな手の平に乗っていたのは砂で汚れた50円玉。
「……だめ?」
「あ、いえ」
ただならぬ様子に言葉が詰まって。
だけだ不安に揺れる瞳と、きゅうと鳴った腹の虫に我を取り戻す。
「素うどんなら50円で提供出来ますよ」
「じゃ、それで」
「かしこまりました。好きな席に掛けてください」
「ん」
女の子は茂さん徳さんと離れたカウンター席に座る。
誰かと話すでも無く、俯いてジッとカウンターを見つめていた。
「お待たせしました。熱いので気をつけてください」
「ん」
女の子は割り箸を持って……下手なりに割りはした。
だけど、せっかく分離させたソレをギュッと握り込んでいる。
握り箸、のレベルじゃない。一本の棒の様にして、うどんを引っ掛けようとしている。
当然ツルツルしたうどんは掛かってくれず、汁に落ちて、跳ねて、女の子の服やカウンターを汚すばかり。
「あ、熱っ……」
ついに痺れを切らしたのか、丼に口を近づけて直接麺を喰もうとする。
熱々のうどんでそんな事をすれば火傷を負いかねない。
「あの、フォークありますけど……使いますか?」
「ん……」
「どうぞ」
フォークを差し出すと女の子は恐る恐る受け取って。
掬って、食んで、ちゅるっと啜って。
目を見開いたかと思うと、一気に食べ始めた。
熱いので冷ましてください、と言おうとした。だけど……
「うっ、ひっ……うぐっ」
「……ゆっくり食べてくださいね」
ポロポロと泣きながら、手も口も止めずに一心不乱に食べ進める姿に、そう伝えるのが精一杯だった。
タマも慰める様にその子の足に頭をすりすりしている。
「お金、これ……」
あっと言う間にうどんを食べ終えた女の子は一言呟き、50円玉をカウンターに置いて席を立った。
「嬢ちゃん、何か困った事無いか?」
「おっちゃん達に話してみな?」
「……大丈夫」
流石に心配なのか繁さんと徳さんが声を掛けるけど、女の子は首を横に振るばかり。
「あの……! 何か困った事や悩み事が有るならまたこの店に来て下さい! 必ず力になりますから!」
人生経験豊富な繁さん徳さんでも駄目だった……けれど、声を掛けずにはいられなかった。
結局返事も振り返りもしなかったけど。
◇◇◇◇◇
「うひゃあ……」
私とした事が何たる失態。
天ぷら用の海老を切らしてしまい、土砂降りの中買いに行くハメになった。
海老の天ぷらは『まるふく』でも人気のメニュー。欠かす訳にはいかない。
「……ん?」
スーパーから戻ってきた自宅兼店舗の『まるふく』の前。
軒先に誰かが座ってる。
あれは……
「貴女、さっき来た……!」
夕方に来た女の子。
全身びしょ濡れで、蹲って震えている。
「ここ、使わせて」
「いや、だったら家に来てください」
「……そこまでは、良い」
「良いから!」
「あっ……」
強引かな、とか。
この子は助けられる事を望んでないかもしれない、とか。
そもそも他人の子供を勝手に家に連れ込んだら誘拐になるんじゃないか、とか。
でも、こんな土砂降りの中で濡れて震える子を放っておく事は出来ない。
だから半ば強引に手を引いて『まるふく』兼自宅へ連れていく事にした。
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