03. 肯定への光

03. 肯定への光


アトリエの近くの都営の自然公園。

鷹村たかむらさんは俺にカメラの扱い方を説明してくれた。

一眼レフってやつらしい。俺も名前くらいはきいたことがあるけど、見るのも触るのも初めてだ。


デジカメなんだな…。


それで、ここでフォーカスの調整をして……

鷹村さんの話はほとんど頭に入ってこなくて、結局覚えていたのはシャッターを押す位置だけ。


「はい、どうぞ」


手渡されたカメラは、想像以上にずっしりとした重さで、自分に扱いきれるのか不安になる。


受講者たちは、それぞれモチーフを探しに散っていく。


両手で抱えたカメラとともに、公園の木々の中を闇雲に歩いてみても何も浮かばない。


何を撮ればいいんだろう……。

受講者の一人が、木々の向こう側に向けてシャッターを切っている。


感情を乗せる……か。

この心の底から沸々と湧き上がる怒り、続いてやってくる諦め。

そんなものを写真に乗せても仕方ない。


歩道から外れて木の生い茂る小高い丘を登ると、辺りが開けて見えた。その景色を見せるために、ひとつだけベンチが置かれている。

木製のベンチは灰色に朽ちて、ここに腰掛けて眼前を見渡す者はいない。

ベンチの上の塵を払い、静かに座ると、足を伸ばして脱力する。


あいつは今も幸せに暮らしている。


俺はまた首を横になぞる。そして、そのまま感情に任せて爪を立てる。


それから終了時間まで、俺はずっとその場所で俯いて座っていた。


さっき爪を立てた箇所にうっすら血が滲んで爪の間をかすかに赤く汚していた。

パーカーのフードを首元に寄せて跡を隠す。


アトリエに戻ると、鷹村さんが受講者の写真をモニターに映し出した。

鷹村さんは背の高い丸椅子に浅く座り、穏やかな声で撮影者の女性に問いかける。もっと撮り方とかを作品を評価するのかと思っていたけど、ただじっくりと対話するだけ。モチーフを選んだ意図やその時の気持ちを引き出して言語化していく。


まるで、カウンセラーみたいだな。

母に連れられ、これまで何度も受けたけど、何の意味もなかった。

みんな俺から言葉を引き出そうと、嘘の慰めばかり口にする。そして、俺は思ってもないそいつらの望む言葉を吐き出すだけ。


でも、かっこいいな、鷹村さん。夢を叶えて、みんなに認められて。見た目もモデルみたいで。


じゃあ、次の方。どなたか作品を発表してくださる方はいませんか?


鷹村さんの目が俺の方へ移る。

目が合いそうになり、俺は咄嗟に目を伏せた。


何も撮っていない……。


ほんの一瞬、視線が俺の頭上で止まった気がした。

けれど鷹村さんは、何も言わず、隣に座る女性の方へ声をかけた。


呼ばれなかったことに、ほっとする。


――そっとしてくれた。


ああ、暖かいなぁ。


やっぱり鷹村さんは、すごい。

俺の心を覗くこともせずに、俺の方からもっと知りたい、話したいって思わせてくれる。



帰り際、鷹村さんが俺を呼び止めた。


「僕の方から無理に誘ったのに、あまり話ができなくてごめんね」

雄大ゆうだいくんは、何か撮れた?」


「……い、いえ。何も……」


「うん、最初はみんな迷うんだ。

何を撮りたいのか――人って、自分のことをそんなに分かっていないものだからね。

だから、とりあえず何でもいいからシャッターを切る。

その点、君は、誠実だね」


鷹村さんは笑っている。

 

「うんうん、それが大正解だ」


胸の奥が締め付けられる。

理由は分からないけど、目の奥が熱い。


気付けば、アトリエには俺と鷹村さん二人きりだった。


「今度、単独で岩手の山に廃墟の撮影に行こうと思っててさ。

よかったら、雄大くんも一緒にどう?」


俺は思わず顔を上げた。


――行きたい。


なのに、喉の奥が掠れて声にならなかった。

代わりに、はにかむ子供みたいに小さく頷く。


「うん、良かった。

このアトリエにも、いつでもおいでよ。

何か撮りたいものが見つかるそのときのために、腕を磨いておくといいと思うんだ」


「このカレンダーの印の日は、二人きりだから」


さっきまで俺を満たしていた怒りを、鷹村さんが、少しだけ色を変えてくれたような気がした。



でも――


そんな高揚感も安定剤の効果が薄まるように、長くは続いてくれない。


――玲衣れいの声がする。


玲衣は放課後に寄ったカラオケの部屋で、俺との距離を肩が触れ合うくらい詰めてきた。

高校の入学式、あいつは後ろからふざけてタックルしてきて、そのまま肩を組まされた。


あいつとの記憶が、あいつの視線、体温、吐息……全部、言いようのない嫌悪感で塗り重ねられていく。


確かに、俺があいつに告白されたことを蓮見に話した。

でも、それってそんなに悪いことだったのか?

あいつは自分の気持ちを伝えてすっきりし、俺だけが抱えないといけないなんて不公平だ。


なのに、あいつは、自分だけ人生を謳歌してる。

許せるわけがないじゃないか。



――ああ、今日もまた何も撮れない。


あれから、俺は鷹村さんのアトリエに通い、親に強請って中古の一眼レフまで買ってもらっていた。


それなのに、シャッターを覗く静かな瞬間を、どうしても怒りが邪魔をする。

指が鉛のように重く、震えて……首が疼く。

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