月の海に溺れて

馬渕まり

月の海に溺れて


──「月が綺麗ですね」は漱石のI love youの意味だ。


 文学部の山田が寮の飲み会でそう言ったのは二年前のことだった。北国の生まれらしく山田は色が白かった。文士を気取って伸ばした髪はくせっ毛で、陽の光を受けるとふわりと、茶色く見える。


「女を口説く時に使ってみろよ」  


 酔った山田が俺に腕を回し、熱に浮かされたように囁いたのを思い出す。     

 女がいない環境で、山田は姫と呼ばれていた。本人は嫌がっていたけどな。山田は先月、遠いルソン島で戦病死したらしい。  


 今、俺のいる機関室は海水で満ちようとしていた。甲板まで上るのは不可能だろう。  

 ああ、この海水に満ちた場所には月の光は届かない。なぜか脳裏に山田の顔が浮かんだ。


「月が綺麗ですね」


 やっと言えた言葉は、暗い夜の海に静かに沈んで消えた。

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月の海に溺れて 馬渕まり @xiaoxiao2

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