第5話 嘆きの峡谷と、記憶の再構築
アインとリラが【嘆きの峡谷】にたどり着いたのは、ボルグ隊との戦闘から二日後の夕暮れ時だった。
峡谷はその名の通り、大地を切り裂いたような巨大な裂け目であり、谷底は濃い影に閉ざされていた。周囲の空気は重く、魔力が凝集し澱んでいる。まるで世界が深いため息をついているような場所だった。
「…これは、酷い魔力だまりですね。現代魔術では、一歩足を踏み入れただけで魔力酔いしてしまうかもしれません」
リラは馬を降り、銀剣を抜く。剣の刀身が、澱んだ魔力を吸い込むように鈍く光っていた。
アインは疲弊しきっていたが、その瞳には強い探求心が宿っていた。
「当然だ、リラ。ここは、私の前世であるレオン・アルタイルが、当時の世界の崩壊を防ぐために、自らの最も危険な『次元固定術』を封印した場所だからだ。この魔力の重さは、彼の嘆きの残り香だろう」
アインがそう言った瞬間、頭蓋の奥で再び激しい痛みが閃いた。今度は幻影ではなく、具体的な情報が脳内に流れ込んでくる。
(次元固定術の第一段階…【座標演算体】…峡谷の入口に、それを護るための『自動防衛機構(ガーディアン)』を設置した…)
「リラ、気をつけろ。この峡谷の入口には、私…レオンが、侵入者を排除するための防衛機構を起動させている」
アインが言葉を終えるか終えないかのうちに、峡谷の入口の岩壁が音を立てて崩れ、巨大な岩の塊が立ち上がった。それは、粗雑な人型でありながら、その巨体から発せられる魔力の波動は、追ってきた騎士団員数十人に匹敵する。
「岩の自動防衛機構(ゴーレム)ですか…!」
リラは冷静に状況を分析し、アインに下がれと目で指示する。
「賢者様、指示を。この敵は、ただの騎士団員とは違います。その動き、その装甲、全てを数式として把握する必要があります」
「いい心がけだ。このゴーレムの装甲は、古代の【対魔術硬化術】が施されている。生半可な魔術や、物理的な一撃では破壊できない。しかし、装甲には術式が埋め込まれており、その『核(コア)』は術式の中央に位置しているはずだ」
ゴーレムが重い足音を立てて、リラに向かって巨大な拳を振り下ろした。
リラは、大地を蹴って紙一重でそれをかわす。衝撃で巻き上がった砂煙の中、彼女は【魔導剣技(アーツ・ソード)】をさらに研ぎ澄ませた。
(一の太刀は、空間の固定に使う!…二の太刀は、軌道の計算!…三の太刀で、固定した空間の歪みを、ゴーレムの装甲術式にフィードバックさせる!)
リラの剣先が、ゴーレムの巨大な腕に触れる。
ズンッ!
ゴーレムの動きが一瞬、止まった。リラが展開した【空間座標固定】は、単に相手の動きを止めるだけでなく、ゴーレムの装甲全体に施された術式自体に、ごく微細な『論理矛盾(ロジカル・エラー)』を強制的に埋め込んだのだ。
「【魔導剣技】の応用だ、リラ!空間の歪みを利用して、術式の論理を崩壊させろ!核は装甲の裏、魔力の流れの集中点だ!」
アインの指示は正確だった。リラは、論理矛盾で僅かに機能が停止したゴーレムの腕を足場にし、一気にその巨体の胸元へと跳躍する。
ゴーレムは、自身の装甲に異常をきたしたことで激しく魔力を乱し、無差別に周囲を破壊し始めた。リラは、その激しい魔力の奔流の中を、細い銀色の軌跡を描いて突き進む。
「見えた…!」
リラが銀剣を突き刺した先は、ゴーレムの胸部、硬い装甲が僅かに開いた一点。そこから、青白い魔力の光が漏れ出ていた。
【振動加速(ヴァイブレーション・ブースト)】!
リラの銀剣が、再び超振動を始める。今度は、装甲内部の魔力核(コア)を直接狙った一撃だ。硬化術で護られた核は、内部から破壊され、術式が完全に停止した。
ガシャーン!
ゴーレムは、最後のうめき声と共に、バラバラの岩塊となって大地に崩れ落ちた。
リラは地面に着地し、荒い息を整える。戦闘は終わったが、彼女の顔には疲労と、新たな力を使った興奮が入り混じっていた。
「…やりました、賢者様」
「見事だ、リラ。君は、知識を完全に自分のものとした。あの動き…私が望んだ『護り人』の理想像だ」
アインはそう言って微笑むが、その顔は蒼白だ。ゴーレムの崩壊と共に、アインの脳内で封印が解かれたかのように、また新たな記憶の断片が鮮明になった。
(私…レオンは、この峡谷の岩盤に、もう一つの『鍵』を隠した。それは、次元固定術を実行するための、空間座標の『真の記録』…そして、その記録を開くには、**血統認証(ブラッド・サイン)**が必要だ…)
アインは、ふらつきながらゴーレムが崩れた場所へと近づいた。岩の残骸の中に、レオンが仕掛けたと思われる、古代の【魔力認証盤】が埋もれている。
「リラ。この記録を開くには、私の血統の認証が必要だ。しかし、今の私はただの人間。魔力もない。君の力を借りなければならない」
「どうすれば?」
「君の魔力は、私の【知識】を媒介として発動している。君の魔力に、私の『血の記憶』を刻み込む。そして、その魔力でこの認証盤に触れるんだ。そうすれば、次の【鍵】が手に入るだろう」
リラは躊躇なく、アインの言葉に従う。アインは自分の指先を噛み、一滴の血をリラの銀剣に垂らした。そして、リラの額に手をかざす。
「恐れるな、リラ。これは未来の鍵だ」
リラの瞳が、一瞬、深い青色に輝いた。彼女が認証盤に剣をそっと触れさせると、認証盤は静かに光を放ち、岩盤が大きく開いた。
その先には、古代の文献が収められた小さな石室が姿を現した。
「ここが、【嘆きの峡谷】の真の入り口…『次元固定術』の座標記録だ」アインはついに、安堵の息を漏らした。
二人は、次の試練へと向かうため、重い魔力を湛えた峡谷の闇へと足を踏み入れた。
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