第4話 荒野の試験:剣と術式の融合
アインとリラが小屋を捨ててから一夜が明けた。二人は、リラが調達した騎士団の馬に跨り、荒涼とした「忘却の地」を北西へと急いでいた。
太陽が地平線から顔を出し、乾いた岩肌を金色に染め上げる。しかし、リラの表情は張り詰めていた。騎士団の追跡が、時間の問題であることを知っているからだ。
「賢者様、休憩を。この馬も、さすがに限界です」
リラは馬を岩陰に寄せ、水筒をアインに差し出した。アインは体力がなく、馬を降りるだけで息切れしている。
「ありがとう、リラ。…君は、騎士団を裏切ったという自覚はないのか?」
アインは問いかけた。騎士団の娘であり、忠誠心の強いリラにとって、この行動は人生最大の決断だったはずだ。
リラは、腰に下げた愛用の銀色の剣の柄を撫でた。
「私は、騎士団の『秩序』を護るために騎士になったのではありません。この世界と、そこに生きる人々を『護る』ために剣を振るうと誓いました。もし、団長たちのやり方が世界を滅ぼす結果に繋がるなら、私は迷わず彼らから離れます。それに…」
リラはアインに向き直った。
「…私には今、あなたから託された、新たな『力』を具現化するという使命があります。騎士団の規律は、その前では些細なことです」
彼女の瞳は、以前のような見習い騎士のそれではなく、強い決意と、内に秘めた知識の光を宿していた。
アインは満足そうに頷いた。「君はやはり、私の『知識の実行者』として最高の器だ。では、休憩中に一つ訓練をしよう」
アインは、リラが昨夜、脳内に受け入れた「古代術式文法」の基礎を復習させた。古代魔術は、論理の連鎖であり、一瞬の思考の乱れが、術式の崩壊を招く。アインは、リラに剣を構えさせ、剣技の『型』と魔術の『論理』を同時に展開する訓練を命じた。
「いいか、リラ。現代魔術の詠唱は、思考の補助輪だ。君はもう、言葉に頼ってはならない。剣を振るう際の呼吸、体幹の動き、剣先の軌道…その全てを、術式展開の『座標固定』とせよ」
リラは、アインの教えに従い、剣を振る。そして、脳内の知識を、剣を媒体として魔力に変換する。
(一の太刀。重心移動と共に、剣先の周囲に『空間座標固定(スフィア・ロック)』を展開!…二の太刀。踏み込みの力を、遠距離の『浮遊石(フロート・ストーン)』術式に転用!)
彼女が剣を振るたびに、周囲の石ころが微かに浮き上がり、または目に見えない隔壁に弾かれる。リラの動きは、剣士としての洗練さと、魔術師としての計算高さを見事に両立し始めていた。
その時、アインがハッとして空を見上げた。
「来たぞ、リラ。西の稜線だ。追手は…ボルグ副団長か」
リラは即座に剣を収め、馬を岩陰に隠した。西の稜線に、五名の騎士が砂煙を上げながら疾走してくるのが見える。先頭に立つのは、大柄で荒々しい風貌のボルグ副団長だ。
「ボルグ副団長。逃げ足は速いな、銀翼の裏切り者め」
ボルグは馬を止め、リラとアインを睨みつけた。彼の背後の騎士たちも、リラに向ける眼差しは冷たい。
「ボルグ副団長。私たちは世界を救うために必要な旅に出たのです。引き下がってください」リラは静かに言った。
「戯言を!あの男の得体の知れない知識に、我らが騎士団の秩序と、お前自身の未来を懸けるというのか!貴様の剣は、団長によって与えられた騎士の誇りではないのか!」ボルグは怒鳴り、剣を抜いた。
「この剣は、私が護りたいものを護るためにある」リラも静かに、しかし力強く剣を抜き放った。
「くそっ、聞く耳を持たぬか!騎士団の規律を破り、宝物を損壊させた罪、重いぞ!捕縛しろ!」
ボルグ隊が一斉に馬を降り、リラとアインに襲いかかった。
リラは、一歩も引かず、アインを背後に庇って剣を構える。四人の騎士が同時に襲いかかる。
「リラ!体幹を固定し、『三次元投影式』を使え!」アインが鋭い指示を飛ばした。
リラは、襲いかかる騎士たちの剣閃を、驚くほど冷静に見極めた。彼女の脳内では、騎士の動き、剣の速度、そして魔力反応が、正確な数式として瞬時に処理される。
(…空間座標固定を、時間差で三ヶ所に投影!)
リラが剣を低く払い、一瞬で三度の軌道を描いた。騎士たちは、リラの剣を受け止めるつもりで突進したが、その剣が触れるはずの空間で、彼らの剣が、「カキン!」という乾いた音と共に、何もない壁に阻まれた。
三人の騎士の剣が、リラの剣に触れることなく、空間に固定されて動けなくなる。
「な、なんだこれは!?」ボルグが驚愕に目を見開いた。
リラの剣技は、剣先が相手の剣を迎え撃つ直前、その僅か一ミリ手前の空間に、古代魔術の「座標固定術」をピンポイントで展開していたのだ。剣士としての極限の精度が、魔術の計算と完全に融合した、『魔導剣技(アーツ・ソード)』の誕生だった。
リラは、動きを止められた三人の騎士を飛び越え、ボルグに迫った。
「ボルグ副団長。あなたが騎士団の秩序に囚われている間に、世界は終わりに向かっています!」
リラの銀剣が、ボルグの頭上から振り下ろされる。ボルグは経験豊富な叩き上げの騎士だ。彼は即座に防御の構えを取ったが、リラは剣を当てる直前、魔力を放出し、『振動加速(ヴァイブレーション・ブースト)』の術式を展開した。
キンッ!
鋼鉄同士がぶつかり合う凄まじい音と共に、ボルグの腕を激しい衝撃が襲った。それは、リラの物理的な筋力ではない。魔力によって刃先が一瞬で微細な超振動を起こし、ボルグの防御を内部から破壊したのだ。
「ぐぅっ…!?この力、まさか…魔術と剣の同時展開だと!?」
ボルグは剣を取り落とし、驚きと混乱の表情で後ずさった。他の騎士たちも、得体の知れない力に恐れをなし、戦意を喪失した。
アインは、リラの背後でその戦闘を見届けながら、激しい動揺に襲われていた。
(この感覚…この剣の動きと術式の連鎖…私の中の『知識』が、まるで『記憶』のように共鳴している…!)
リラがボルグ隊を圧倒したその動きは、アインの脳内にある『次元固定術』の最終的な術式起動のシークエンスと、驚くほど一致していた。術式は、単なる知識ではなく、「身体の動きと魔力操作の連動」だったのだ。
アインの額に、また激しい痛みが走る。脳内で、巨大な魔方陣が組み上がる幻影を見た。
「リラ、もういい!騎士団に致命傷を与える必要はない。逃げるぞ!」アインは声を絞り出した。
リラはボルグの前に剣を突きつけ、静かに言った。「私たちは、あなた方を傷つけるために戦っているのではありません。どうか、団長に伝えてください。世界を護る道筋は、騎士団の砦の中にはもうない、と」
リラは剣を収め、アインを抱きかかえるようにして馬に跨った。二人の影は、北西の荒野へと再び溶けていった。
馬を走らせながら、リラは振り返った。「賢者様、大丈夫ですか?顔色がひどく悪い」
アインは、荒い呼吸をしながら、地図を広げた。地図上の特定の一点、大きな岩山の麓を指さす。
「ボルグ隊を圧倒した君の動きが…私の脳内にある、忘却された『次元固定術』の『鍵』を、わずかに解放したようだ」
「鍵?」
「ああ。修復に必要な『真の次元固定術』を完全に実行するには、膨大な魔力に加え、『鍵の場所』が必要だ。それは、古代魔術都市『沈黙の図書館』の手前にある、かつて私の前世のレオン・アルタイルが、力の封印を始めた場所…『嘆きの峡谷』だ」
アインは地図を強く握りしめた。
「そこに行けば、君の力をさらに高め、次の重要な術式を君の力にできるかもしれない。急ぐぞ、リラ。我々には、一週間もない」
ボルグは、崩れ落ちた騎士たちを横目に立ち上がり、剣が取り落とされた場所を、無言で見つめていた。リラの一撃が残した、地面の微かな焦げ跡。それは、彼らが知る騎士の技ではない。
「…団長。すぐに本部に報告しなければならない。あの男は、あの娘(リラ)を、我々の想像を遥かに超える『魔導兵器』へと変貌させている。今や、我らが敵だ…!」
追跡者であるはずの騎士団は、リラの圧倒的な力の前に、初めて深い恐怖と焦燥を感じていた。賢者と護り人の逃避行は、次の重要な局面である『嘆きの峡谷』へと向かう。
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