第33話 そろそろ帰らなきゃ


 十時すぎ。


 部屋に戻って、二人でベッドに座っていると、テレビの音が下の階から小さく聞こえる。

 外はもう真っ暗。海側の方から来る風の音は遠くて、ここまでは届かない。カーテンの隙間から入り込む街灯のオレンジが、部屋の中に一本の線を作ってて、その線がベッドの端まで伸びてる。


 さっきまでケーキ食べてたテンションが、ちょっと落ち着いたあとみたいな静けさ。

 眠い。というか、頭の芯がふわふわしてる。

 楽しいのと安心の後に来る、いい意味での気だるさ。

 こういうときの眠気って、たぶんすごく危険。理性がめちゃくちゃ甘くなる。


「きいちゃん」


「んー」


「ちょっとだけ、こうしてていい?」


 言われるより先に、さっちょんの頭が私の肩に乗っかった。

 さっきよりも、重い。ちゃんと預ける重さ。


 私は反射で、彼女の肩にそっと自分の頬を寄せた。

 髪の匂いが今日一日ずっと一緒に居たせいで、さっきより少しだけ私の匂いも混じってる気がしている。


「ねえ、さっちょん」


「ん」


「年、変わっちゃったら、どうなんのかなってちょっと思った」


 口が勝手に動いた。

 本当は言うつもりなかったのに、眠気と温さで、頭の中の声がそのまま口に落ちた。


「年?」


「うん。今年が、終わってさ。お正月とか来てさ」


「うん」


「なんか……リセット、みたいになったらやだなって」


 言ってから、心臓のあたりがぎゅっとなる。

 冬休みって、毎年ちょっとだけ非日常になる。

 授業もないし、クラスの空気も一回ばらばらになる。


 そうなったとき、今日のことも冬の特別イベントって箱に勝手に入れられて、なかったことみたいにされるの、ほんとに嫌だって、私は今ハッキリ思った。

 さっちょんは、私の肩に顔を寄せたまま、少しだけ考えるふうに息を吸った。


「ならないよ?」


 即答だった。


「なんでわかんの」


「わかるもん」


「それ説明じゃないっていつも言ってるじゃん……」


「だって、私たちには年とか、そういうの関係ないし」


「……関係、ない?」


「ないよ。カレンダーの都合で終わるんなら、それただのイベントじゃん」


「うん」


「これイベントじゃないもん」


 その言い方があまりに真っすぐで、私の喉の奥がきゅっと痛くなった。

 涙がジワっときた。目の奥が熱い。うっかり泣くな。

 今ここで泣いたらたぶん思った以上にバレバレになる。


「イベントじゃないの?」


「うん、違うよ」


 その言葉は、未来形だった。未来形で、確定形だった。

 来年もいるよって、直接的じゃないけど言われた気がして、「この先も一緒にいるのが普通になるんだよ」って、そう言われた気がして。

 涙が、一滴落ちた。


 肩に乗ってる彼女にバレないように、と思ったけど、無理だった。近いから。


「……泣いてる?」


「泣いてない」


「うそ」


「今のは目薬」


「目薬ってことにする?」


「して」


「うん。じゃあ目薬ね」


 目薬ってことにしてくれる優しさが、さらに涙腺を刺激してくる。これまた泣く。

 さっちょんは、顔を上げずにそっと言った。


「ね、きいちゃん」


「ん」


「来年も、ちゃんと優先していい?」


 教室で「クリスマスはきいちゃん優先だからなあ」って冗談っぽく言ったときと、今の優先は意味が全然違う。

 あのときはネタだった。教室用だった。


 今のはもう、宣言だ。約束をこっそり結んでる音がした。


「……うん」


 私は、それだけで喉がいっぱいになった。


「うん、いいよ」


「よかった」


 さっちょんの声が息に交じって、私の首元に落ちる。温かい。くすぐったい。心臓に悪い。


 それと同時に、年越しが怖くなくなった。

 年が変わるのが、急に続きに見えた。途中で切られるんじゃなくて、そのまま先に延びていく道だって。


 私は、涙がまた落ちるのを誤魔化すように、さっちょんの髪に顔を埋めた。

 指先で、彼女の手をぎゅっと握る。指と指が、もう当たり前みたいに絡む。

 これが、うちらの親友の形、ってことにして平気なわけがない。


 でも、まだその言葉を変える勇気がないのも、事実だ。

 だから今はまだ、名前はつけない。

 つけないまま、二人で同じ方向だけは見てる。


 年が変わっても、これは続くよって、お互い既にそこに同意してる。

 それで十分だった。


「……そろそろ帰らなきゃだね」


「やだ」


「やだって言っても帰らないと」


「やだ」


「帰らなかったらうちの母に殺される」


「それもやだ」


 私は笑いながらも、胸がぎゅっとなった。

 私だって帰りたくない。今日をずっとループしていたい。

 それでも、ちゃんと帰る。


 ちゃんと帰れるのも、ちょっと誇らしかった。だって私たちは、また次があるってわかってるから。

 立ち上がって、マフラーを首に巻く。


 白いふわふわが、首筋を包んで、体温が一瞬で逃げなくなる。

 鏡に映った自分が、いつもの私じゃないみたいに見えて、でもちゃんと私で、ちょっと照れた。


「似合う」


 すぐ後ろから声が落ちる。


「……ありがと」


「うん。可愛いよ」


「最後の最後でそれ言うの反則だから」


 玄関に降りるとき、さっちょんはいつものように「また明日ねー」じゃなくて、ほんの一瞬だけ私の袖をぎゅって握った。

 ほんの一秒。本当に一秒だけ。


「気をつけて帰ってね」


「うん」


「ちゃんと連絡して」


「する」


「今日、ありがとね」


「こちらこそ」


 ドアを開けると、外の空気は冷たい。鼻の内側がきゅっとするくらい。

 でも、首元が温かいから肩をすくめずにいられる。


「じゃあ、また」


「うん。また」


 この「また」は、明日のまた、だけじゃない。

 来年のまた、までちゃんと含んでる。そう感じた。勝手にだけど、感じた。

 私は階段を降りて、冷たい空気の中に出る。


 白い息が、夜の街灯でふっと浮かんで、すぐに消えた。

 歩きながら、首に巻かれた白いマフラーをぎゅっと握る。


 今日言われた言葉が、また頭の中によみがえる。

 胸の内側が、いっぱいになった。

 温かいのでいっぱい。涙が出そうなのでいっぱい。


 私は歩きながら、小さく笑った。

 これはもう、親友って言い訳するには無理がある。

 でも、まだ親友って言い訳するのが、私たちにとっては一番やさしい。


 でも、絶対これ、ただの親友じゃない。

 冬の夜道を一人で歩きながら、私はそのことをもうはっきり知ってしまっていた。

 そして少しだけ、新年が怖くなくなっていた。

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