第24話 予行演習

 坂を登って、住宅街まで戻るころには、指先の感覚がちゃんと冷えていた。

 さっちょんの家は電気がついていて、窓からオレンジの明かりが漏れている。生活の色って感じがして安心する。


「ただいまー」


「おじゃまします」


 このやりとりも、もう何回目かわからない。

 それでも毎回、玄関に入るとき少しだけドキってする。人の家に入る緊張って、本来はずっと残るはずなんだよね。残ってないの、ちょっとおかしい。たぶんおかしい。でもそれが今の普通。


「きいちゃんもあがりな〜寒かったでしょ〜」


 って奥から声がして、私は「おじゃまします」ともう一回言う。


 さっちょんのお母さんはもう、私を後藤さんって呼ばない。普通に「きいちゃん」って呼ぶ。これ、もう懐に入ってるんじゃないかって思う。ほぼ家族じゃない? そんなことある?


 二階の部屋に入ると、いつもの甘い匂いがする。柔軟剤とシャンプーと、あとほんの少しだけフルーツガムみたいな香り。


 さっちょんはコートをベッドに投げて、マフラーを外してから、私の方に手を差し出した。


「はい、こっち」


「なに?」


「手、冷たいでしょ。温っためる」


「いいよそんなの」


「いいから。きいちゃんの日の準備だから」


「まだ早い!」


「予行演習だよ」


「予行演習って……」


 文句を言いながら、でも私は素直に手を出す。

 それを包まれる。両手で。指と指ごと、温められる。


 こういうのを、冬だから、で誤魔化せるのって今だけだ。

 寒いっていう理由があるから、こうやって平気な顔で触れていられる。手を包んで当然、って顔をしていられる。


 この先、春になったら? 夏になったら?

 理由は消える。生ぬるい夜の風の中でも手を重ねてたら、それはもう寒いからとか言えない。


 その未来のことを想像した瞬間、胸がきゅっと鳴った。

 怖い。でも、見たい。

 このまま線を曖昧にしたまま、春とか夏まで行けるのかな。

 それとも、どっかで名前を言わされるのかな。


 私か、さっちょんか、どっちかが。

 たぶん、逃げきれない。

 それでも、私は逃げたいフリをするんだろうな。


 親友だからってまだ言いたがるんだろうな。安全なところに居たいから。

 でも、今日の私の胸の動きは、もう安全地帯のそれじゃなかった。

 だって今私ははっきり思ってる。


 24日は、私の日。

 それって、もう、そういうことでしょ。



    ***



 冬になった商店街は、ちょっとだけ嘘っぽい。

 普段は八百屋と文房具屋と床屋しかない通りに、いきなり電球のイルミネーションが巻かれる。電球はそんなに数がなくて、ぱらぱらって感じなんだけど、暗くなるのが早いからそれでも目立つ。


 あと、どこからともなく流れてくるクリスマスソング。ちょっと古いやつ。店のCDを引っぱり出してそのままなのが分かる。正直サビの音が歪んでる。

 でも、それでも。なんか少し浮く。


「寒い〜!」


 さっちょんが、両手を口元に当てて、ふーふーって息を吹きかける。白い息が手の上に溜まって、すぐ消える。


 私は指先をポケットにつっこんだまま、その横を歩いてる。

 商店街の端っこの、雑貨屋と文具屋の間にある小さいバラエティショップ。


 キーホルダーとか、安いアクセとか、柄ソックスとか、そういう中学生とか高校生のポケットマネーの世界の店。

 入口に風除けのビニールカーテンが掛かっているタイプ。


「入ろ」


 さっちょんが言う前に、私はビニールを片手で押し上げた。

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