興梠の檻

空城祈志

興梠の檻

 私は物心がついた時から目が見えなかった。しかし私がそれに気付くことはなかった。世界に光があるということを、教えてくれる者はいなかったからだ。私はそれになんの疑問も持たなかった。


 私は一つの部屋にいた、広いか、狭いかなどはわからなかったが、私が生きていくには十分な広さだった。食事は毎日同じ時間に、同じ場所に置かれ、多くもないが少なくもない量であった。食事についても何一つ不自由はなかった。


 目が見えない私は常に耳を澄ませていた。常に美しい音を探していた。それ以外にすることはなかったからである。だが時折聞こえる風の音や、雨水の音以外(その時は風や雨のことも知らなかったが)私は美しいと思える音はなかった。いつもは何の音なのか分からないが、うるさく、雑で、高く、低く、とても美しいとは思えない音が響いていた。

 

 私はそれらが何を意味するのか分からなかったが、それを教えてくれる者はいなく。私は雑音の世界で耳を澄まし続けていた。


 ある日、目が覚めるといつもの雑音は聞こえなくなっていた。あの雑音が聞こえなくなったことを喜んだが、今度は何の音もしなくなった。私は音によって世界とつながっていたことに気が付いた。そう、音が聞こえなると私の存在が否定されたのと一緒なのだ。私は気が狂うかと思った、あの忌々しく思っていた雑音が恋しくなり、時には私は死んでしまったのではないか、と思ったぐらいだ。

 

 そんな時、歌声が聞こえた、その歌は私が今まで聞いたどの音よりも美しかった。私はそこで、まだ生きていることに気が付いた。そしてその歌に聞き惚れていた。

まるで風のようで、鈴のようで、雨のようで、澄んだ空のような寂しげな歌だった。(とはいっても、この時はそんな単語を知らなく、ただただ美しいと思っていた)


 私は毎日その歌を聞くために生きるようになっていた。歌は夜の間、聞こえ続けた。歌の聞こえない昼に眠りにつき、夜の前に起きだして、歌が聞こえるのを待つ。歌が聞こえ始めたら、すべてを忘れてその歌に聞き入っていた。


 私はしだいにその歌を口ずさむようになった。意味も分からない歌だったが、とにかく真似て歌いだした。(実はそれが私の初めて出した声であることに私は気が付かなかった)私の歌は、今に思えばひどいものだったが、私は真剣に歌っていた。昼も眠らずその歌の練習をするようになった。


 私はしだいに歌がうまくなっていった。夜は“歌声”に合わせて歌い、とても気持ちよかった、“歌声”も私の声を認めてくれたらしく、歌は重なり、我ながらとてもうれしかった。初めて聞いた時、寂しい歌だと思ったが、二人で歌う歌はとても楽しげな歌となっていった。“歌声”はしだいにいろいろな歌を歌いだすようになった。私はそれらの歌をすべて覚えて、歌えるようになっていた。“歌声”は時に話しかけてきたが、残念なことに私にはその意味が分からなかった。


「     。」

「     ?」

「     。」


……本当に残念なことに、私がこの意味を知ることになるのは、とても、とても先のことになった。

 ある夜、私と“歌声”は、今までに聞いたことがない歌を聞いた、その歌は低く響き、震えるような歌だった。私はこんな歌もあるのかと感動した。そして私達は、はじめて歌ったあの歌を、歌い返した。風のように、空のように。我ながらとても美しく歌えた。

 響く歌を聞いた時、すごいと思ったが、私は私達の歌声を聞いた時、私達にかなう歌はないと思った。それほど私達の歌はすばらしかったのだ。

 その日から毎晩、いろいろな歌が聞こえるようになった。激しい歌もあれば、大勢で歌う歌や、悲しげな歌、踊りだしそうな楽しげな歌もあった。だけどどの歌よりも私達の歌の方が優れていた。私達が歌い終わると、向こう側で感嘆の声が感じられた。私は有頂天になっていた。歌でかなうものなどいないと思っていたのだ。


 だから私は気が付かなかったのだ、“歌声”が、少しずつ、少しずつ小さくなっていることに。

 ある夜“歌声”が話しかけてきた。

「         、       。」

「    、    、    。」

「    、   。   ……」


私はその言葉の意味が分からなかったが、“歌声”は歌を歌い始めた。今までに聞いたことがない、とても寂しい歌だった。私はそれを一回聞いて、覚えて、歌った。

だけど“歌声”はもう歌を返してくれなかった。


「        、  」


その言葉の意味を私は知らなかった。

 その日から、私がどんなに歌を歌い上げても、“歌声”は聞こえなくなった、私は今まで覚えたすべての歌を歌った、それでも“歌声”は聞こえなかった。

 私はしだいに歌を歌わなくなった。あの“歌声”があって、私の歌は美しいものになっていたのだ。そして“歌声”は私にとって、何よりも大切なものだということに気が付いた。失った後に気が付いても、何も意味がない。絶対に失ってはいけないものだった。それが分かった時、すべては遅かった。


 あれからどれだけ時間がたったのだろう。歌わなくなってから時間の進みがおかしくなったようだ。毎晩さまざまな歌が聞こえたが、私はそれに歌を返す気力がなくなっていた。そのうちに歌は聞こえなくなった。

 私は常にあの歌声を思い出していた。絶対に忘れてはいけないと思っていたからだ。夢の中ではあの歌声がそのまま聞けた。私はいつしか眠って時を過ごすようになった。

 そしてある晩、私は冷たい風を受けて起き上がった。部屋の中にいるので、風など吹くはずがないのだが、心地よい風が吹いてきた、その風に乗って、かすかに歌声が聞こえた。私はその歌のする方へと歩き出した。しばらく歩き、私は生まれ過ごした、あの部屋から出ている事に気が付いた、歩いていると私は草や石につまずき転んだ。目が見えないためであるが、私はどろどろになりながらも、歌の聞こえる方へ歩いた。

 そこは小さな野原だった、そして大勢の歌声が聞こえた、全員がバラバラに楽しそうに歌っていた、だけどあの“歌声”は聞こえない。一人が近づいてきてなにかを聞いてきた。

「       」


言葉は分からなかったが、意味は通じた、彼は、歌を歌わないかいったのだと。

私は歌声が最後に教えてくれた歌を歌い始めた。とても寂しく、とても悲しい歌だった。

 歌を歌っていた大勢の者は歌うのをやめ、皆が私を見つめていた、冷たい風が私の歌声をすくいあげ、空に響き渡った。歌い終わると、空が割れるかと思うほどの拍手が響いた。

 さっき話しかけてきた者が言った、

「    !   !!    、    。」

そしてまた拍手が響き、口笛が鳴った。

どうやら私は、彼らに認められたらしい。


 それから私は大勢の者に囲まれて少し少し言葉を覚えていった。今なら“歌声”の話しかけてきたことが分かる。

“歌声”が最後に教えてくれた歌は、旅人が別れを悲しみ、置いて行った、盲目の恋人を想う歌だった、“歌声”が私のために歌ってくれた歌だと分かった時、私は生まれて初めて涙を流した。


私が歌った、最初の歌の歌詞を仲間は教えてくれた。、

「空を越えてツキに行こう、君と一緒なら空もとべる。」そんな歌詞だった。

私は仲間に尋ねてみた、ツキって何かを

「月は世界で一番きれいな星さ、空の中にポツリとあって、何よりもやさしく光る。秋の夜空のこの季節が一番きれいなんだ」

私は空を見上げた、もちろん何も見えないが、私は想像した、世界で一番美しいというものを、それはあの“歌声”と重なって、私は、やはり涙を流した。








コオロギの檻

昔、中国でコオロギを飼い、一番きれいな箱に入れて、一番きれいな声で鳴くコオロギを競う貴族の遊びがあった。負けたコオロギは殺して、鳴かなくなったコオロギは逃がしていたという…

ただそれだけのお話

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興梠の檻 空城祈志 @sorashiro-kishi

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