第2話 硬度への挑戦
ストーンクレストの街門を抜けてしばらく歩くと、雑草と岩が転がるだけの荒れ地が見えてくる。『土狂いの丘』。いつからか、街の子供たちがそう呼び始めたノアの私有地だ。
ノアは、その丘の中心に立っていた。パーティーから追放されたことなど、とうに記憶の彼方だった。彼の心を占めているのは、目の前に広がる無限の実験場への期待感だけだ。
「まずは、ここを拠点にしよう」
ノアはそう呟くと、足元の土を両手ですくい上げた。ざらりとした感触。小石と枯れた草の根が混じる、ごくありふれた土だ。農業には向かず、建材にするには粘性が足りない。だからこそ、この土地は安かった。だが、ノアにとっては宝石の山に等しい。
「始めよう」
彼はすくい上げた土を、目の前にこんもりと盛り上げた。そして、その土塊にそっと右手をかざす。
「【硬化(ハードン)】」
淡い魔力の光が、ノアの手から土塊へと注ぎ込まれる。土の粒子がぎゅっと凝縮され、表面が乾いた粘土のように色を変えた。ノアは指でそれを軽く叩いてみる。コン、コン、と鈍い音がした。脆い岩程度の硬さ。これが、今のノアが出せる【硬化】の限界だった。
「……まだまだだ」
彼は不満げに首を振る。そして、もう一度同じ土塊に手をかざした。
「【硬化】」
再び魔力が注がれる。だが、土塊に目立った変化はない。すでに一度固まったものに、同じ魔法をかけても効果は薄い。
「なら、やり方を変えるまでだ」
ノアの瞳に、探求の光が灯った。
「魔力の注入量を上げてみる。もっと、もっと強く……!」
三度目の【硬化】。今度は意識して、より多くの魔力を流し込む。ぶわりと魔力が溢れ、土塊がわずかに震えた。だが、硬度はさして変わらない。それどころか、魔力の消費量が跳ね上がっただけで、効率はむしろ悪化していた。
「……違う。ただ量を増やせばいいというものじゃない。問題は『密度』だ。土の粒子と粒子の間にある、目に見えない隙間。これを魔力でどこまで潰せるか……」
そこから、彼の狂気じみた実験が始まった。
同じ土塊に、角度を変え、魔力の波長を変え、圧縮するイメージを脳内で変えながら、来る日も来る日も【硬化】をかけ続ける。
「圧力を一点に集中させて……駄目だ、魔力が霧散する」
「波紋のように、中心から外側へ広げるイメージで……これも違う。表面しか固まらない」
「いっそ、土の粒子一つ一つを魔力でコーティングするように……!」
試行錯誤は際限なく続いた。朝、太陽が昇ると同時に実験を始め、昼食も忘れて魔法をかけ続ける。体内の魔力が空っぽになり、立っていられなくなって地面に倒れ込む。しばらく気を失い、魔力がわずかに回復すると、むくりと起き上がってまた手をかざす。その繰り返しだった。
街の農夫が畑仕事の合間に丘を見て、訝しげに呟く。
「おい、またあの男が何かやってるぞ」
「ああ、『土狂いのノア』だろ。一日中、土くれを睨んでるって噂の」
「気味が悪いな。こっちに来なきゃいいが……」
そんな声が聞こえてくるはずもなかった。ノアの意識は、完全に内側へと向いていた。彼の世界には、自分と、目の前の土塊しか存在しない。
何日が過ぎただろうか。ノアの顔は土埃にまみれ、着衣は泥で汚れきっていた。しかし、その瞳だけは、飢えた獣のように爛々と輝いている。
その日も、彼は魔力が尽きる寸前だった。視界がかすみ、指先が震える。だが、彼の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。
(……見えてきた)
何千回、何万回と繰り返すうちに、彼の感覚は常人のそれを超え始めていた。魔力を流し込んだ時、土の内部で粒子がどう動き、どう反発し、どこに隙間が生まれるのか。それが、まるで掌の紋を見るかのように、明確に感じ取れるようになっていた。
(足りないのは、力でも、量でもない。『流れ』だ。魔力を螺旋状に回転させながら、中心核に向かって収束させていく。全ての粒子を巻き込み、逃げ場のない渦の中で圧潰させる……!)
閃きが、脳髄を焼き尽くす。これが正解だと、魂が叫んでいた。
「……【硬化(ハードン)】ッ!」
最後の力を振り絞り、完成したイメージを土塊に叩きつける。ノアの手から放たれた魔力は、激しい渦を描きながら土塊に侵入し、その中心で眩い光を放った。
ゴッ、と地響きのような低い音がして、土塊が内側から締め上げられるように収縮する。大きさは一回り小さくなり、その色は濡れたような深い褐色へと変わっていた。
「……はぁ、はぁ……」
ノアはその場に膝をつく。魔力枯渇による激しいめまいと吐き気が襲うが、彼の視線は生まれ変わった土塊から離れない。
彼は震える手でそれを拾い上げた。ずしり、と今までの物とは明らかに違う重量感。爪で引っ掻いてみるが、傷一つ付かない。近くに転がっていた石を拾い、力任せに叩きつける。
カァンッ!
甲高い金属音が響き渡り、砕けたのは石の方だった。
「……ああ」
ノアの口から、恍惚のため息が漏れた。土塊の表面は滑らかで、ひんやりとした感触が心地よい。まだ理想には程遠い。鋼鉄には遠く及ばない、ただの少し硬い石ころだ。
だが、確かな一歩だった。誰も見向きもしなかった基礎魔法の、その奥深くへと続く扉を、彼は今、こじ開けたのだ。
「もっとだ……」
満足感は一瞬で渇望に変わる。
「もっと硬く。もっと強く。もっと、僕の理想の『土』に……!」
その呟きは、誰に聞かれることもなく、夕暮れの丘に溶けていった。彼の狂気の探求は、まだ始まったばかりだった。
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