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1月 黎明特殊部隊
真っ白な雪が降る、とても寒い日だった。真新しい軍服に身を包み、緊張で指先が震える。腕に嵌められた装置が、感情の波を感知して警告音を鳴らした。
エレノア=アグネス。彼女が配属されたのは、研究都市ダイレイ区。このシズマという国では、感情の起伏が一定値を超えると、人は変異体(ミュータント)へと変貌してしまう。その為軍人には、感情の数値を可視化する装置の装着が義務付けられていた。 数値が限界を超えた時、鳴り響くアラームは周囲への警告であり、同時に“自分が人でなくなるかもしれない”という宣告でもあった。
廊下にけたたましく鳴り響くアラーム音に周りは警戒するが、エレノアの姿が変異する兆候は無い。感情が一定値を超えても変異しない、人間とも変異体とも呼べない人間、異形人。人間でも変異体でもない彼らを、人々は恐れ、戦力として保有する事によってこの国は成り立っている。今回エレノアが配属されたのは、その異形人で構成された小隊であった。
廊下の角を曲がり、もう少しで隊室に辿り着きそうだった時。突然外から爆発音が響く。突然の事で理解が追いつかないエレノアは窓の外を見て驚愕する。
「ミュ、変異体……!?なんで此処に……!」
緊張と恐怖がエレノアを支配する。相も変わらず警告音は鳴り響き、心臓は鼓動を早める。手には汗が滲み、エレノアの足は竦んでいた。自身の立場を思い出し、何とか外へ走り出したエレノアが見たのは、変異体が暴れ建物を崩壊させている姿だった。
(落ち着け落ち着け落ち着け……!何の為に訓練してきたの私……!!変異体を、倒す為でしょうが……!)
気持ちが焦ったままホルダーから銃を抜き照準を合わせようとするが、震えた手のせいで上手く合わない。変異体が、エレノアを視界に入れる。
「ひっ……!」
「グァァアアアアッッッ!!!」
変異体の咆哮が響く。積もりかけた雪に、エレノアの銃が落ちる。周りから警告音が響いているのを、エレノアは緊張から遠くなった耳で聞いていた。そんな時、軽薄そうな声が耳に届く。
「どいつもこいつも派手に鳴ってんなぁ。何回も見てるのに何で慣れねぇの?」
「え……?」
声の主の方へ顔を向ければ、煙草を咥え微笑んだままの男が双剣を手に立っている。警告音は無い。ただ散歩をしていたら野良猫を見付けたかのような気軽さで歩いてくる。非日常を日常だと認識し、何の異変とも思っていないようなその言動に、エレノアは本能的恐怖を抱く。
男は飛んでくる瓦礫を最小限の動きで避け、変異体へ近付いていく。
「あれ、新人ちゃんじゃぁん。こんな所で何やってんの?部隊室はあっちだけど」
微笑みながら言う男に、エレノアは困惑する。通常、人間は常に感情で数値が揺れる。心拍数のように、一定など有り得ない。しかし、目の前の男に付けられている装置はまるで壊れているかのように全く動かず直線を描き続けている。
エレノアが返事をしようとした時。変異体が男へ向かって拳を振り下ろす。しかしその拳が完全に振り下ろされる事は無かった。腕が宙を舞い、エレノアの後ろへ落ちる。どさりと鈍い音が鳴り、男は変異体の方へ振り向いて変わらない表情で声を掛ける。
「今道案内してんだけど、邪魔しないでくんない?うちの新人が怯えて声も出せないでしょーが」
とんっと軽い音が鳴り男が飛んだと思えば、瞬きの瞬間に変異体の首が落ちる。じわじわと崩れる変異体に見向きもせず、男はエレノアの前に戻ってきては銃を拾い上げて手渡した。
「歓迎会やる為にミナとルカが張り切ってたのに、こんな所で絡まれるなんて運が無いねぇ」
「……な、あの……」
「俺はレイモンド=カイオス。君の先輩。今日から特殊部隊―黎明―に配属されたんでしょ?」
レイモンドが先程と変わらぬ笑みを浮かべている。雪が積もってきたと言い、そのままエレノアを部隊室まで案内をする。その道中でさえ、レイモンドの装置は小さな波一つ付けず直線のままだった。
「ようこそ、小鹿ちゃん。今日から此処が君の職場だ」
そういったレイモンドが扉を開けば、中から三発の乾いた破裂音にエレノアは驚き腕から警告音が鳴る。エレノアが心臓を抑えつつ体を硬直させていると、レイモンドは隣で耳を塞いでおり部屋の中からは焦った声が掛かる。
「おぉい大丈夫か!?死んでないよな!?」
体格の良い長身の男、レンジ=ロッシュ。突然の警告音に驚いたようで、エレノアを心配している。
「馬鹿っ!ビックリさせすぎ!」
女性にしては高めの身長の女、ルナ=カルステッド。クラッカーを仕掛けた張本人であるレンジへ怒っているが、心配そうにエレノアの様子を伺っている。
「……ただのクラッカー。心配いらない」
小柄な少女、ルカ=フォルナ。表情は乏しく、手元のクラッカーを見せる。
「ま、こんな感じで煩いけど悪い奴らじゃないよ」
「……は、はぁ……よ、よろしくお願いします……」
レイモンドの言葉にエレノアは頷き挨拶をする。レンジから謝罪され、ルナに促され部隊室の奥へと進む。警告音は止んだが、体の強張りは未だに解けていない。
奥へ進むと、レイモンドから隊長は不在にしていると教えられ自己紹介の流れとなった。部隊室内に置かれているソファに五人で腰を掛け、レイモンド主体で話は進んでいく。
「さて、改めて。各自自己紹介といこう。知らない奴らに囲まれてちゃ、この小鹿ちゃんも震え上がってアラーム大合唱になりそうだし」
レイモンドが冗談めかしそうに笑えば、レンジが手を挙げ苦笑いを浮かべながら話し始める。
「いやぁ、さっきは悪かった!俺はレンジ=ロッシュ。レンジでいい。能力は障壁生成、攻撃からは俺が守ってやる!」
「よ、よろしくお願いします……」
太陽のように眩しく爽やかな笑みを浮かべ、握手を求められた為エレノアも手を差し出すが、体格と見合う力の強さに痛がると申し訳なさそうに手を離され、謝られる。
そんなレンジの頭を叩き、ミナが続く。
「私はミナ=カルステッド。ミナでいいわよ。ごめんなさいねこの馬鹿が。筋トレのし過ぎで脳まで筋肉なのよ。手、大丈夫?」
「は、はいっ……!」
「そう、良かった。私の能力は視界拡張。人や物を振動で捉えるから、索敵に向いてるのよ」
「おぉ……!よろしくお願いします……!」
「よろしく」
エレノアが目を輝かせ、挨拶を返す。その横からひょっこりと小さな手を上げルカが続いた。
「……ルカ=フォルナ。能力は残映。物の、記憶を見れる」
「か、格好良い……!」
「……ふふん。怪我したら、治してあげる」
褒められたルカはほんの少し機嫌が良さそうにし、どこからか取り出した聴診器を付けて呟く。その様子を見てレイモンドがルカの頭を撫で、説明を加えた。この部隊最年少ながら医学の知識に長けていると聞きエレノアはルカを先生と呼んだ。
その様子にエレノアはルカがレイモンドに懐いているのだと感じ、ほんの少し警戒が緩み、数値も落ち着きを取り戻す。
「じゃ、次は俺ね。レイモンド=カイオス。好きに呼んでくれていいよ。俺の能力は絶対に死なない。常時発動型で、確か隊長が不還って呼んでた」
「不死身って、事ですか……?」
「まぁ、そんなとこ。俺には還る場所がないんだって」
相変わらず変わらぬ笑みを浮かべているレイモンドの装置は、変わらずに直線だ。エレノアは感情に僅かでもブレが無いレイモンドの装置から目が離せずにいる。
そんな時、隊室の扉が開きレンジよりも高く体格の良い男が部屋へ入ってくる。無表情で冷たい目をしている男は、レイモンドの近くに来ると口を開く。
「……カイオス」
「あ、おかえり隊長」
「……嗚呼。それで、報告書は」
「あぁ、さっきの?まだ書いてないけど、今は小鹿ちゃんの自己紹介中だよぉ」
「……小鹿?」
レイモンドがエレノアを指差し、隊長と呼ばれた男は視線をエレノアへと移す。その見た目と圧に、部隊室には再び警告音が鳴り響く。
「……っ!」
「うわぁぁぁっ!?ごめんなさいごめんなさい!?」
「……っ、ふ……ははっ」
「おいおい……」
「すごい鳴るわね」
「……煩い」
エレノアの腕から鳴り響いている警告音に、隊長は驚くが、レイモンドが笑いながらその腕を引いて大丈夫だと言うように宥める。エレノアが深呼吸をし落ち着けば、数秒後に警告音は止まる。
再び静寂が訪れた隊室で沈黙を破ったのはレイモンドだった。
「このあまりにも圧が強い熊さんは俺達黎明の部隊長さん。ハイド=ヴァレンね。あとは自分で説明してよ、隊長」
「……先程は驚かせてすまなかった。ハイドだ。能力は天秤。全てを公平にする力だ」
「公、平……?」
「つまり、君の感情が高ぶって警告音を出した時、隊長が俺と君を天秤に乗せれば感情の波は通常値に戻る。全く動かない俺と、異常値の君なら相性は良い筈」
「な、るほど……」
ハイドの能力について首を傾げたエレノアに、レイモンドが補足していく。物事の全てを公平に均衡を保つ力は、異形人にとって救いの力なのだと認識する。
自己紹介を終えた後、ハイドから今後の説明を受ける事になる。エレノアの教育係としてレイモンドと組む事、宿舎ではルカと同室である事、そして定期的に行われる感情測定テストを受け次の戦いに備える事。
説明を終え、各自解散した時。レイモンドから行こうかと声を掛けられエレノアは隊室を後にする。
感情測定テストを受ける為、研究室へ向かう廊下を歩いている時。エレノアは先程出会った時に見たレイモンドの装置を再度見たが、数値は相変わらず直線を描いている。
「……あの、先輩って感情あります?」
「君には俺が無表情に見えてるの?」
「……いや、微笑んでいるように見えます」
「ならあるんじゃない?」
(そういう事じゃなくて……)
そう、エレノアから見たレイモンドは確かに微笑んでいる。しかし、その微笑みが自然に生まれたものではなくどうしても貼り付けたような異質なものに感じる。まるで機械が人の表情を真似し貼り付けているような、無機質な笑み。微笑んでいるように見えるのにエレノアはその笑みに恐怖を覚える。その完璧な表情管理が、逆に違和感を感じさせている。
「ほら、着いたよ」
「……あ、はい」
研究室βと書かれた部屋の前でレイモンドが立ち止まる。扉を開き、中には数人の研究員が書類や機材を手に感情測定テストの準備をしていた。
「俺達はこっち。まずは装置を付け替えるんだよ」
「付け替える……」
「ほら、こっちはより詳細に感情測定が出来る。快、不快、喜怒哀楽が心拍数みたいに表示される。それと、こっちの線が全体を通した揺れ」
レイモンドが装置を付け替え、小型モニターに映し出される数値を説明するが、全く揺れず心肺停止のように直線を描き続けるモニターに、エレノアは少々引いた表情で呟く。
「……揺れてないです、先輩」
「俺も自分のが揺れてる所見た事ない」
「……私のは、揺れすぎでは?」
「面白いねぇ」
「笑ってる場合ですか」
レイモンドがにっこりと微笑んでいるが、それもまた模倣のようで違和感がない事自体が違和感なのだとモニターを見れば理解する。確かに笑っているように見える。しかし、笑うのならば喜びか楽しさのメーターが揺れるはず。それが揺れないと言う事は、数値に現れない程の極僅かな感情なのか、本当に模倣しているだけの偽物の表情なのだ。しかし、エレノアはレイモンドの表情をどうしても嘘だとは思えなかった。だからこそ、異質で違和感なのだ。
「カイオス兵とアグネス兵、モニタールームへ」
「あっ、はい……!」
「はぁい」
緊張しているエレノアの返事と相対に、気怠そうに返事をするレイモンド。モニタールームへ移動し、大きなスクリーン以外何も無い白い部屋で椅子に座らされる。腕に装着したローラー付きのモニターを引き摺り、並べられた椅子に座る。少しすれば、映像が流される準備として室内が暗くされた。
「ではまず、恐怖テスト。映像から目を離さないでください」
無機質とも感じる研究員の言葉を聞き、エレノアの数値は緊張を表す波が形成されている。それと反対に、レイモンドの数値は相変わらず直線のままだ。
モニターに映し出されたのは、変異体が暴れ街を破壊し、人々を襲う映像だった。恐怖と焦燥感を感じ、異常値を叩き出したエレノアのモニターは警告音を鳴らす。恐怖で息が荒くなり、冷や汗が垂れ、逃げ出したいと思えどテストから逃げ出す事は許されないと、何とか理性でその場に留まる。
映像が終わり、数値の確認をする為休憩が挟まれた。やっと終わったと安堵したエレノアは大きく深呼吸をし、隣に座っているレイモンドを見る。視線に気付いたレイモンドは頬杖をついており、そのまま首を傾げて先程と変わらない表情でエレノアを見る。
「どうしたの?」
「……数値、動きました?」
「見ての通りだよ」
相変わらず直線を描くだけのモニターに機械が壊れているのではないかと疑うが、研究員達が変えないという事は故障ではないらしい。レイモンドの表情は変わらず微笑んでいるが、この状態で微笑んでいる人間は明らかに可笑しい。
エレノアの困惑と動揺により再度警告音が鳴った。
その様子にレイモンドはクスクスと笑うが、モニターに映し出される数値は直線のまま。後ろにある別室で研究員達が何やらバタついているが、目の前の男に恐怖し、困惑と動揺の感情を持っているエレノアには関係がない。まるで表情の見本を見ているかのような違和感を感じ、エレノアはレイモンドから視線を外すと、深呼吸をして気持ちを落ち着かせ次のテストを待った。
テストが終わり、結果を纏めた研究員達が小声で確認し合っているのをエレノアは耳だけを傾け聞いていた。
「アグネス兵は全ての映像で異常値を叩き出しているが変異化の予兆は無いな……」
「逆にカイオス兵の方は全てにおいて一定。一切乱れのない直線だぞ……」
「上層部へ連絡はするが、どう説明したものか……」
「完全に異常だ、あの二人は」
異常。研究員の言葉がエレノアの心に突き刺さる。聞かれていないと思っている研究員達は好き勝手言うが、エレノアは自身を異常だと思いたくなかった。見たものや触れたものに感情が揺れるのは当たり前の事だ。感情を押し殺し、死んだ様に生きるのは嫌だった。それなのに隣で装置を付け替えている男は感情の起伏を一切観測出来ない異常さを持っている。そして、聞こえているであろう後ろの会話にも全く興味を示していない。
「さ、そろそろ行こうか。まだまだやる事は沢山ある」
「あ、はい……!待って下さいよ!私まだ迷子になります……!」
「早くおいでー」
研究室を出ていく二人を見送った研究員達は、新たな化け物が生まれたとして上層部への報告を急いだ。
NO TITLE 【】 @kuhaku_00
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