迷惑メールがいい加減嫌になったから、酔った勢いでアドレス変更してみた結果

山吹祥

アドレス変更しました。登録お願いします。

 学生の頃は早く大人になりたい。

 そう思っていたけれど、いざ社会人になってみれば楽しいことは何もなかった。


 いや、初めの頃は新鮮だったし仕事をこなす上司を見て「余裕があってカッコいい」「大人って感じ」とか思っていた。

 けれど、現実は辛かった。それは幻だった。想像が見せた幻想だった。


 余裕があるように見えたのは、蓄積された疲労のせいで省エネモードだっただけ。学生の頃と違い、夜の睡眠だけでは回復が追い付かないのだ。


 そもそも月六日しか休みがないのがいけない。完全週休二日をすべての会社に求めたい。そんな法律を作ってほしい。



 ……欲を言えば、五日働いたら五日休みたい。が、それは贅沢だろう。



 大人に見えたのだって、実際はキラキラが失せただけ。幼稚な精神性のまま体と小狡さだけが成長。作られた笑顔の下では、子供以上に陰湿で手の込んだ足の引っ張り合い。自分の成績のためなら他者なんてどうだっていい。


 うんざりだ。


 今日だって貴重な休日、しかも年に一度しか取れない二連休の一日を生贄にして、新たな犠牲者こうはいを歓迎する飲み会に強制参加だ。


 後輩くんがおじさん達の過去の栄光ぶゆうでんを真剣に聞いて回る姿は、なんだか眩しいよ。

 つい目を背けちゃう。


 え? 「野田先輩は余裕があってカッコいいですね!」だって?


 ははは、キミはいい子じゃないか。そんなキミにはアドバイスを授けよう。




「今すぐ転職した方がいいぞ――」




 カッコいい先輩こと俺、野田のだむらさきが贈るありがたいアドバイスで、呆けた顔した可愛い後輩をタクシーに押し込む。


 俺は歩いて帰路に就き、途中立ち寄ったコンビニでアイスを買って帰宅する。


 自宅が隣の駅でよかった。

 終電を逃しても30分歩けばベッドで寝られるからな。


 そうやって職場と6帖一間のアパートを行ったり来たりするだけの日々の繰り返し。

「あの頃は楽しかったんだな」と今さら気付き、そう思い返す度に気付けば35歳になっていた。


 つるんでいた友人は田舎に残り、仕事ばかりの生活だから当然新たな出会いも少ない。

 少ないとか見得張ったけど、皆無だ。


 休日は寝て過ごすだけで、誘いの連絡なんて今日みたいな呼び出しくらいだ。

 連絡をくれるのは職場関連を除けば、迷惑メールだけ。

 毎日毎日、消してもブロックしても何十通も届くメール。


 憎き迷惑メール。


 ほら、今も消したそばから……――――




 いい加減にうっとうしい。




 朝起きて削除。適当なタイミングで削除。寝る前に削除。

 なんだこの無駄な作業。


 色々なサイトに登録し、もはやどのサイトで今のアドレスを使用しているかも不明だ。

 ログインできなくなったら面倒だな、とか後回しにしていたが、地味にストレスになっていた。


 うん、今すぐ変えよう。


 俺はこの時、

 古き懐かしい思い出深くもある『アドレス変更しました。登録お願いします』を十数年ぶりに行う決意をした。


 そうと決まれば早速行動だ。

 新しいアドレスは……Kouhaigakawaiiでいいだろう。


 昔みたいにアレコレ頭悩ませていたら眠ってしまいそうだからな、適当だ。


 家族、学校、部活、アルバイトなど――グループに分けて一斉送信。


 昔は同時に5人とか10人、はっきり覚えていないけど、確か一斉送信の上限がそれくらいだった。今は便利になったものだ。



 シャワーで居酒屋臭を洗い流し、少し冷静になった頭で猛省。


 現在、深夜。


 迷惑が過ぎる。

 これでは俺が迷惑メールそのもじゃないか。


 取引先は、そもそも私用と社用で携帯を別けているから問題ない。

 けれど、旧友たちは……あ、うん。


『指定先が見つかりません』ばかりだな。


 嬉しいやら悲しいやら……。


 今は、通話も無料でできるメッセージアプリが主流だからな。

 一々『アド変しました』なんて送ることも減るよな……


 寝よう。


 俺を癒してくれるのは奮発して買ったちょっといい枕だけ。

 明日も早い。掃除をしたいからな。

 そう決めて瞼を閉じたのに、薄い皮膚を越えてくる照射光が。


『登録しました』


 返事だ。相手は……


「吉野、か――」


 吉野桜。

 高校生の頃に勤めていたアルバイト先の後輩だ。

 そして……吉野はまるで迷惑メールみたいなやつだった。


 吉野は俺より1年後に入社した後輩だ。

 教わった業務の復習も兼ねて、教育係に任命された。

 バイト先は年上しかいなかったし、初めての後輩ということもあり嬉しかったことを覚えている。


 吉野は図書室にいそうな物静かな印象で、仕事の合間にありのまま印象を伝えてみたら「昼休みは図書室で過ごす」と、実際にそうだった。


 けれど、いざ会話を重ねてみると俺が抱いたイメージはガラリと変わっていった。

 吉野は鋭い観察力や独自の視点を持っていて、扱う言葉もとても巧く、案外おしゃべりでウィットに富んでいた。


 俺は何度も笑わせてもらったし、取るリアクションも一々大袈裟で話していて心地がよかった。


 普段、表情が乏しい分、笑うと意外に可愛かったり……そんなことはさておき。

 仲は良かったが、アルバイトを辞めてからは自然と疎遠になっていった。


 そんな淡い思い出に懐かしみを抱きつつ、『登録ありがとう』と返事する。

 するとすぐに、


『アド変とか懐かしい。一瞬、夢でもみているのかと錯覚した』


 念の為、頬をつねってみるが――痛い。

 俺が、夢を見ているわけではないようだ。


(野田)『遅い時間にごめん。起こしたか?』

(吉野)『アイス食べていたから平気』


(野田)『こんな時間にか?』

(吉野)『そ。遅くまで働いたご褒美に』


(野田)『なるほどな』

(吉野)『それに今日は土曜日・・・だから』


 吉野が返した土曜日の文字を見て昔を思い出す。

 俺と吉野のシフトが唯一被る土曜日のことだ。

 バイト上がりに決まって隣の薬局に寄り道してアイスを食べていた。

 じゃんけんで負けた方がパピコを買い、パキッと半分にして食べる。

 食べ終われば、各自好きなアイスを購入してから話を再開させる。

 時間にしたら15分くらいの短いものだけど、大人になってから思い出した回数はダントツで吉野との時間が多いかもしれない。


(野田)『懐かしいな。今食べていたアイスはパピコか?』

(吉野)『パピコは暫らく食べていないかなあ』


(野田)『あんなに好きだったのに?』

(吉野)『一人だとね』


 アイスを食べる吉野はいつも幸せそうで、本当に好きなんだなって思っていた。

 何より、自分の分を食べ終え、それから俺が食べるアイスを狙うくらいだったから、パピコを一人で食べられないことを疑問に思った。


(野田)『あの吉野……


 吉野、そう打ち込んだはいいが、結婚して名が変わっているかもしれない。

 まあ、その時は訂正が入るだろうと考え続きを打ち込む。


(野田)『あの吉野も食が細くなったんだな』

(吉野)『違う。アイスならいくらでも食べられる』


 否定もないということは、少なくとも吉野と呼んでいいのだろう。


(野田)『ならどうして?』

(吉野)『一人で食べてもなんでか味気なくて。きっと、野田がいないせい』


 普段からトキメキとは疎遠な生活をしていたせいだろうか。

 数年ぶりにドキッとしたかもしれない。


(野田)『昔だったらドキッとしたかもな』

(吉野)『野田は相変わらず素直なやつだなあ』


(野田)『そっちこそ相変わらず生意気な後輩だな』

(吉野)『実はわたし気付いていたよ』


(野田)『突然なんだ?』

(吉野)『その前に、わたしがよく言っていたこと覚えている?』


(野田)『なんだっけ?』

(吉野)『アイスを食べて一番幸せだと思う瞬間』


 ああ、なるほど。思い出した。

 吉野は寒い日によく「コタツで食べるアイスが一番美味しい」と言っていた。

 けれど、当然コタツは外にないから、俺はよく吉野にコタツ代わりとされていた。

 つまり、吉野が言いたいのはコレなのだろう。


(野田)『アイスを持っていた手は冷たいけど』

(吉野)『野田ウォームはあたたかい~』


 初冬に流れ出す某有名な広告と野田のNにかけて、そんなことを口ずさみ、常に温かい俺の手で暖を取ってきた。

 それで、当時の俺は何てことない顔していたが、初めの頃は手を取られる度にドキドキしていた。


(野田)『で、何に気付いていたんだ?』

(吉野)『手を握る度、野田がドキドキしていたってこと』


 やだ、恥ずかしい。

 けど、昔ならいざ知らず。今の俺はあの頃からみたらおじさんだからな。

 慌てる必要はない。


(野田)『俺の純情を返せ』

(吉野)『お客様、クーリングオフ期間は過ぎておりますよ? それに……』


(野田)『それに?』

(吉野)『純情とは、純粋で無邪気なことを表しますけど……必要?』


 まあ、大人になった今はそこまで必要でもないのか?

 周りは汚い大人ばかりだからな、たちまち喰われてしまうだろう。


(野田)『やっぱりいらないかも』

(吉野)『だよね。野田は今でも純情そうだから、返ってきても意味ないもんね』


 こいつ……。


(野田)『揶揄ってばかり、吉野はほんと生意気なやつだな』

(吉野)『ふぅ~!』


(野田)『うざ。ブロックするぞ?』

(吉野)『野田に冷たくされたわたしは誰から暖をとればいいの!?』


(野田)『知らん。ナトリさんがいるだろう』

(吉野)『お金で愛を買うだなんて、野田も大人になったね』


 ああ言えば、こう言う。

 あの手この手で揶揄おうとする、吉野は迷惑メールみたいなやつだ。


(野田)『つか、吉野も最初の頃は手汗ぐっしょりだったじゃん』

(吉野)『は?』


(野田)『実は吉野もドキドキしていたんだろ?』

(吉野)『うるさいなぁ。てか、野田は覚えている?』


 案外、押しに弱い吉野はよく黙る。そして、すぐに話題を変える。

 そんなやり取りも、きっかけ一つで昨日のように思いだせ、懐かしく感じる。

 何となく昔に戻ったと錯覚しつつ、


 二人だけでおこなったアイス総選挙や、

 当時題材にしていた恋愛と友情の違いについてや、

 互いに恋人の振りをしてみたこと、

 カラオケで喉が枯れるまで恋愛ソングや友情ソングを歌いまくったこと、

 同級生に煽られたとかで大人のホテルに入ってみたり。

 それをバカだったな、と俺と吉野は思い出話に花を咲かせた。


 切りのいいところで一旦歯を磨き、それからメールボックスを開くと。


(吉野)『ところで、野田は今でも面倒見がいいんだね』

(野田)『ん? どうしてだ?』

(吉野)『アドレスから何となくそう感じた』


 後輩が可愛い、とは読めるが……俺はただ、転職を勧めただけだからな。

 吉野の勘違いを正してもいいけど――


(中々にいい時間だ)


 まだもう少し話していたい気もするが、流石に瞼が重い。

 返事の都度、瞼を開け、やり過ごしていたが限界かもしれない。


(野田)『ところで今はどこに住んでいるんだ?』

(吉野)『今は神奈川の藤沢だけど、どうして?』


(野田)『俺も今は鎌倉在住』

(吉野)『へー? お隣だね?』


(野田)『今日はもう眠いし、また今度食事でもしながら話したい』

(吉野)『……アド変といい突然だね』


 しまったな、後日改めて連絡すると言って終わらせてもよかった。

 急激な眠気で判断を誤った。


(野田)『ダメならいいんだ。忘れてくれ』

(吉野)『……考えてもいいけど』


(野田)『食後はそうだな、久しぶりにパピコを食べよう』

(吉野)『ん、それならいいよ』


(野田)『決まりだな。日時は改めて』

(吉野)『分かった。おやすみ、野田。久しぶりに話せて楽しかったよ』


(野田)『おやすみ、吉野。俺も楽しかったし、会える日も楽しみにしている』


 まだ酔いが残っているのかもしれない。

 どこか頭がふわふわとする。

 けれど、久しぶりにいい夢が見られそうだ――気分よく意識を手放したのだが。


 俺と吉野は気付いていなかった。


 このメールは、アルバイト仲間へ一斉送信したことから始まっていることを。

 とんでもない羞恥に襲われるとも知らず、俺は呑気に眠りに就いてしまったのだ。




 起床後。時間は昼前。

 俺は寝惚けながらも、昨夜のやり取りを確かめるために携帯を開く。

 アドレス変更の形跡が確かに残っていた。

 つまり、俺が吉野を食事に誘ったことは夢じゃなくて現実だ。


 なんだろうか。

 異性を誘って恥ずかしがる年齢でもないが、そこはかとなく気恥ずかしさを覚えてしまう。


 まあ、いいや。

 吉野に連絡をするか……って、やけに未読が多いな。

 俺が寝落ちした後にでも吉野が送ったのだろうか。

 それにしても――――



「――――は?」



 開封と同時に、一瞬で目が覚めた。何故なら、



『寝起きから胸焼けなんだけど』


『オレ、これから仕事なのにな』


『昔の二人の仲は知ってたけどさ、まさか何もなかったとは知らなかった』


『お前らこの歳になってまだ両片思いやってんの?』


『拗らせすぎでしょう』


『わたしは久しぶりに旦那誘ってデートしようって思った』


『結婚式は呼んでくれよ』


『真夜中にイチャイチャと……幸せになる迷惑メールもあるんだな』


『次の休日にオレもアド変するって決めた』


 他にも、久しぶりに集まろうとワチャワチャ盛り上がった様子の元先輩方。

 俺はそれらに一旦無視を決め込み、


「ふー…………」


 溜め息を吐き出し二度寝を決め込み、夕方になってから吉野へ連絡した。

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