第11話

午後8時を少し過ぎた頃、シンデレラは喫茶店の窓と裏口の戸締りを確かめ、最後に入口の鍵を手にした。

店で働き始めてまもなく、店主のおばあさんから鍵を任されるようになった。それ以来、おばあさんは閉店時間の8時を待たずに先に帰るのが習慣になっていた。

この店で働くようになったのは、山田王子の勧めがきっかけだった。少しでも彼の力になりたい——その思いだけで、ここに通い始めた。

元々、おばあさんが一人で切り盛りしていた店なので、仕事はそれほど大変ではない。おばあさんもシンデレラの働きぶりに口出しすることはなく、尋ねれば何でも優しく教えてくれるので、これまでのところ難なく仕事をこなしていた。

ただ、朝の7時から開店前の準備を始め、夜8時まで働くというのは、さすがに体にこたえる。休みも店の定休日である火曜日だけだ。

かつて意地悪な継母に使用人のように扱われ、朝から晩まで働かされていた頃に比べれば、今の生活はずっとましなのかもしれない。そう思えば我慢もできる。

けれど、せっかく新しい王子様と一緒に暮らし始めたというのに、ほとんど会う時間がないのはやはり寂しかった。

山田王子の方は、寂しくないのだろうか。いや、きっと寂しいに違いない。けれど今は、彼も大変な状況にある。だからこそ、シンデレラもそれをこらえて頑張っているのだ。

外に出ると、涼しさを通り越して、少し肌寒さを感じる空気が頬をなでた。

今日は、山田王子が自転車で迎えに来てくれることになっていた。忙しいなか、夜道を一人で帰るシンデレラを心配してのことだ。

けれど、どうやら少し遅れているらしい。

シンデレラは店の壁にもたれ、軽く目を閉じた。そして、新しい王子様と初めてこの喫茶店を訪れた日のことを静かに思い出していた。



私たちは、あの路地裏で出会ったあと、近くの喫茶店に入り、簡単な自己紹介をして、お互いの境遇を語り合った。

その王子様は、山田王子という名前だった。

まず私が、父が亡くなってから王国内で起きたクーデターによって城を追われるまでの出来事を、一気に話した。

すると、山田王子は深刻な表情になり、少し間を置いてから口を開いた。

「実は……、僕も、もともとは、とある国の王子だったんだ。でも、君の話と同じように、王室の中の裏切りで両親を殺され、命からがら逃げてきたんだ。だから、君の気持ちは痛いほどわかるよ」

その瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。

私はこの王子様こそ、今の世界でたった一人、私を理解してくれる人だと思った。

王室の栄華から転落し、裏切りによって愛する者を失った者にしか、この痛みはわからない。

私は思い切って、それまで誰にも話したことのなかった“魔法使い”のことを話してみることにした。

「私が、お城の舞踏会に行けたのは、実は――魔法使いのおばあさんのおかげなんです。彼女が、ドレスも馬車も、すべてを魔法で用意してくれて……そのおかげで、私はあの舞踏会に参加できたんです」

山田王子は、驚いたように目を見開いた。

「ま、魔法使い……?」

「そうです。私が王女になれたのは、すべてあの魔法使いのおかげなんです。だから最近は、毎日のように彼女を探していました。もしもう一度出会えたら……」

少し言葉を詰まらせてから、私は続けた。

「殺された王子様を生き返らせて、そして、あのお城での生活を取り戻してほしい――そうお願いするつもりだったんです。」

山田王子は、しばらく沈黙していた。

まるで、遠い記憶を思い出そうとしているかのように。

そして、低い声で、ぽつりと呟いた。

「……その魔法使いを、僕も知っている」

「えっ、本当ですか?」

「ああ。僕もその魔法使いにはお世話になった。かつて、僕の窮地を救ってくれたことがある。」

「やっぱり……本当にいるんですね!その方は今、どこに?」

山田王子は少し間を置いてから、静かに言った。

「……その魔法使いは、もう亡くなったよ」

私はショックのあまり声が出せなかった。

この世の最後の光が消え、世界が暗闇に包まれていくように感じられた。

「どうして……?」

私はかろうじて声を絞り出した。

「あの…、ええと…、あの魔法使いはとても高齢だったんだ。そして、彼女には子どもがいなかった。彼女が死んでしまい、この世から魔法が消えてしまったんだ、永遠にね」

私は息をすることさえ忘れ、ただ涙をこぼした。

もう、あのお城での優雅な生活、愛する王子様との生活は二度と戻らないのだ…

「僕も同じだよ。あの魔法使いに、亡くなった両親や王国を取り戻してほしかった。けれど――もう、誰も頼れない」

彼の声が、どこか遠くの鐘のように響いていた。

「落ち着いて聞いて、シンデレラ。僕は自分の力で王国を取り戻す。そして、僕が再び王子に戻ったとき、君を王女として迎え入れる。君はまた、お姫様になるんだ」

「私が……お姫様に……?」

「そうだよ。だから、僕と一緒に暮らそう。そして僕を支えてくれ。いいね」

言葉の意味を理解する前に、胸の奥がふわりと温かくなった。

誰かに必要とされることが、こんなにも甘いものだったなんて。

「……はい」

私は、ただ、ぼんやりとした意識のなかでそう答えていた。



シンデレラが喫茶店の前で5分ほど待っていると、山田王子が自転車に乗ってやってきた。

「遅くなってごめんね、シンデレラー。ちょっと秘密の会合が長引いちゃって」

王子は、自分の王国を取り戻すため、かつての腹心の生き残りと密かに会合を開き、時には戦いに向けた資金調達なども行っているという。シンデレラが喫茶店で働き得た給料も、その資金として使われるのだった。

シンデレラはすぐに自転車の後ろに乗り、王子のアパートへ向かう。

家に着くまでの間、王子の背に頭をもたげ、その温もりにそっと浸った。

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