第4話

あれは、昨年のクリスマスの出来事だった。

僕は毎年、世界中の子供たちにプレゼントを配っていたのだが、その中で、特に気に掛けている小さな男の子がいた。彼は重い病にかかり、学校にも行けず、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。

世界中には病気で苦しむ子供はたくさんいる。それでも、なぜか僕は彼のことが気になり、毎晩、トナカイを連れ出し、様子を見に行ったのだ。サンタクロースが特定の子供をひいきするのは良くないことだとわかっていた。それでも、彼とは特別な絆のようなものを感じていた。

部屋から一歩も出られない彼には、友達もいなかった。もしかしたら、友達という概念すらなかったかもしれない。そんな中、唯一心を通わせられる存在がサンタクロースだった。サンタクロースに願い事をすると、その思いが通じ、クリスマスの日に自分の一番ほしいものを届けてくれる。その話を聞いた男の子は、毎日願い事を僕に話すようになり、やがて、願い事だけでなくさまざまな話をするようになった。僕も心の中で応え、二人の絆は少しずつ深まっていった。

ところが、12月に入り寒さが一段と増した頃、彼の体調が突如悪化し始めた。

僕は24日の夜に、とびきりのプレゼントを持って彼の家に向かうことを約束していた。楽しみにしていたプレゼントを渡せば、きっと元気を取り戻すだろう——僕はそう信じていた。勝手に、彼の喜ぶ顔まで想像してしまうほどだった。

だが、そんな期待とは裏腹に、男の子の体調はますます悪化し、24日の朝、いつものベッドの上で静かに息を引き取った。

僕は、あの子にプレゼントを渡すことができなかった。

あれほど楽しみにしていたプレゼントを、どうして1日でも早く持って行かなかったのか。もし、24日より前に持って行っていれば、あの子を喜ばせられたかもしれない。結果は変わったかもしれない。あの男の子を救えたかもしれない――。

そんな後悔に、心が張り裂けそうだった。

サンタクロースは、24日の夜にしかプレゼントを届けられない。それがサンタクロースの掟のひとつ。僕には、どうしようもできない、逆らえない掟なのだ。

自分は、子供に夢や希望を与えられる絶対的な存在だと思っていた。そして、あの小さな男の子も、きっとそう信じてくれていたはずだ。しかし、僕はその子に夢を与えられず、命を救えなかった。

いや、その子だけではない。世界中には、夢や希望を求めている子供たちがたくさんいる。戦火の下で怯えて暮らす子、重い病気に苦しむ子、貧困の中で毎日お腹を空かせている子。そんな子供たちに、僕は何ができるのだろうか。年に一度、ささやかなプレゼントを届けるだけの自分の役割に、意味はあるのだろうか――。


川島は気が付くと、店の出口を出てすぐ近くのベンチに腰を下ろしていた。少し目眩がしていた。

あの男の子が亡くなった直後は、自分の無力さを嘆き、過去にも未来にも絶望していた。もう二度と立ち直れないのではないか——そう思っていた。

だが、そんな自分を救い出してくれたのは、やはり子供たちの笑顔だった。

世の中のすべての子供を幸せにすることはできない。けれど、サンタクロースの訪れを心待ちにしてくれている子たちがいる。

そんな子たちに、ほんの小さな笑顔を届けられる。それで十分じゃないか。

今の川島は、そう思えるようになっていた。

川島は静かに目を閉じ、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。

ちょうどその時、座っていたベンチの隣に誰かが腰掛けてきたのを感じた。

それでも川島は目を閉じたまま、自分の呼吸に意識を集中させ続けた。

しばらくすると、目眩も何とか収まり、そろそろ部屋に戻ろうかと目を開けた瞬間、

「おい、次元。」

ドスのきいた声が聞こえた。声の方向と距離感からして、隣に座っている人物のものだろう。しかし、川島はそれが自分に向けられた声だとは思わなかった。

川島は特に気にせず、ベンチからゆっくりと腰を上げた。

すると再び、

「おい待て、次元」

今度は明らかに、自分に向けられた声だとわかった。

「は、はい?」

川島は警戒心とともに横を向いた。

「お前、次元だな」

低くしわがれた声から想像していた印象とは、随分と違う男の姿がそこにあった。年齢は20歳前後か。鼻筋のすっと通った、いわゆるイケメンタイプだ。細身のブラックジーンズにボタンダウンの白いシャツ、白いスニーカー。そして腕には、真っ白なGショックが眩しく光っている。

「僕…ですか?」

川島は目眩の余韻の残る頭を必死に奮い起こし、問いかけた。

「そうだ。お前に話しておるんだ」

眉間にしわを寄せ、男は真剣な顔で答えた。

「あの…人違いじゃないですか?」

「いや、間違いない」

川島には、この町に知り合いなどいない。これまで誰の記憶にも残らないよう行動してきたのだ。この男は、誰か別の人物と勘違いしているのだろう。

「僕は、ジゲンなんていう名前じゃないですよ」

川島は口早にそう言い、その場を離れようとした。

すると、その男は歩きかけた川島の背中に問いをぶつけてきた。

「お前、ソリなんて何に使うんだ?」

川島の全身が、一瞬にして凍りついた。その場で動けなくなり、自分の行動や会話がどこからか見られていたのだと直感する。

男は、さらに口を開いた。

「お前、最近変わった行動ばかりしてるじゃないか。」

川島はゆっくりと振り向き、恐る恐る男の顔を見た。

「な、何のことですか?」

動揺は声にも態度にもにじみ出ている。

一体この男は何者なのか。

どこかで会ったことがあるだろうか。川島は必死に記憶をひっくり返すが、それらしい人物は浮かばなかった。

「今日の昼も、動物園でトナカイにブツブツなんか言っとったな」

このホームセンターの中だけでなく、朝から後を付けられていたのか?

自分はどこへ行くにも周囲を確認していたし、今日だって怪しい人物などいなかったはずだ。この男は、一体…。

「ど、どこまで知っているんですか?」

「どこまでとは、どういうことだ?」

「つまり、僕の正体のことを…」

「何を言っとる。お前のことなら、何でも知っておるわ」

「そんな…。いつから…?」

「何をとぼけとるんだ!お前らのことは、ずっと昔から追っかけ回してきたんだ。わからんことなどないわ!」

「お前ら…?」

川島はパニックになりかけたが、ある言葉に引っ掛かった。お前らとはどういうことだろうか?もしかして、サンタクロースは自分以外にもいるということか。いや、そんなはずはない。

とにかく、この男が何者なのかを突き止めなければ…。

「僕の後をつけて、動物園にも行ったんですか?」

「そうだ」

男は川島の目を見て、真っ直ぐに答えた。

「同じバスに乗ってですか?」

「バスには乗っておらん。タクシーで後ろからつけていった。バスになんか一緒に乗っておったら、お前に気づかれるからな」

「でも…、どうして動物園で声を掛けなかったんですか?もしここ最近ずっと僕の後をつけて来ていたのなら、どうしてもっと前に…」

川島は恐る恐る、自分の疑問をぶつけた。

「お前が次元だということはすぐにわかった。5日ぐらい前に偶然、商店街を歩いているお前を見つけて、それから尾行した。だが、なんせお前の行動が不思議なもんばかりだったから、少しの間、様子を見とったんだ」

「不思議って、ど、どんなところが?」

「どんなって、毎日動物園にトナカイを見に行くし、幼稚園や小学校に行って子供たちを遠くから眺めてニヤニヤしているし。そういや、おもちゃ屋にもよく行ってたな」

全て知られてしまっているのか——川島は思わず背筋が凍るのを感じた。

「あなたは、一体誰なんですか?」

「今さら何を言ってるんだ。俺は銭形だろうが。とぼけるんじゃない!」

ゼニガタ? それでこっちはジゲン? それって、もしかして——。

川島は怖れと混乱で思考がまとまらなかったが、なんとか会話を続けた。

「それで……あなたは一体どうしたいんですか? 何が望みですか?」

その問いに、若い男の瞳がわずかに曇った。眉根にさらに深い皺を寄せ、重々しく言う。

「俺を手伝ってほしい。ルパンの仇を討ちたいんだ……」

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