第1話 泡って肌にいいって聞いたんだけど!

森の匂いが、湿った風に乗って鼻をくすぐった。


目を覚ますと、木漏れ日が髪を照らしていた。


寝癖が、……ひどい。


(わたくし、今どんな顔してますの? 寝癖で貴族失格ですわ。)


鏡の代わりに、小さな池に映る自分をのぞく。


枝葉が揺れるたび、水面のわたくしもゆらりと揺れた。


「……顔はいい。けれど、髪が戦場ですわね。」


その独り言に、近くの草むらがざわめいた。


「お、おい、見ろよ! 天使が倒れてる!」


「違うっす兄貴、あれ……光ってるぞ……!」


二人の青年が飛び出してきた。


どちらも旅装束、手には木剣。


(人間ですのね……! よかった、魔物じゃなくて。)


わたくしは慌てて立ち上がる。


しかし、寝癖のせいで前髪が右方向に見事な角度を描いていた。


兄と名乗る方が息を呑む。


「お、お怒りだ……! この気迫、まさか女神様!?」


弟らしき青年がうなずく。


「天使様……ごめんなさいっす! 寝てるとこ覗くなんて……!」


「違いますの、これは寝癖ですの!」


思わず声を上げたけれど、どうやら届いていないらしい。


二人は勝手にひざまずいて祈り始めた。


(ちょ、やめて。恥ずかしい。髪が暴れてるだけなんですのに!)


「わたくしは、ただ……整えたいだけですの。」


「整える……世界を……ですか?」


「いや、髪を、ですわ。」


会話が噛み合わない。


どうしてこうなりますの。


兄のガルドが涙ぐみ、弟のライクが震えている。


「清潔の御言葉……!」


「この地を洗い清めに来られたんだ……!」


「いえいえ、そんな大それた……って、もう聞いてませんのね。」


二人の中ではもう“聖者降臨”らしい。


ありがたいけど、寝癖をなんとかしたい。


わたくしは深呼吸して、話題を変えることにした。


「それより、あなた方は……何をしておられたの?」


ライクが答える。


「泡実の群生地を探してるんっす。魔物に囲まれてて危険なんすけど、泡実が取れれば一財産っす。」


(泡実? あの泡立つ果実……ここの世界にも?)


思わず身を乗り出した。


「泡って肌にいいって聞いたんですの!」


「姉貴、今……討伐宣言した!?」


「泡実の魔物退治だ! 聖者様が直々に戦われる!」


「ちょ、違――! ただの洗顔料ですのに!!」


けれど、もう遅かった。


森の奥へ、兄弟は叫びながら駆け出していく。


「清潔の姫が泡の悪魔を討つぞー!」


残されたわたくしは、ため息をひとつ。


(違うんですの。わたくしはただ、スキンケアしたいだけなのに。)


風が、枝を揺らした。


どこかで小鳥が鳴いている。


「……ま、行くしかありませんわね。」


腰のあたりで光がきらりと弾ける。


どうやら魔力の残滓らしい。


きっとまた誤解されるに違いない。


(まあいいですわ。洗ってこそ、美。)


そう呟いて、わたくしは泡実の森へと歩き出した。


「……洗顔料ですのに。」


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