第六話 「橋番三人組の誉れと生臭い謎」
🏮新太郎定廻り控え帳
第六話
「橋番三人組の誉れと生臭い謎」
一. 橋番の恨みと、大福の珍事
天保元年、秋の半ば。
江戸城大手門の橋番詰め所。
小野寺平八、三木与一、岡本仙之助の橋番三人組はその日も中沢の家臣、小田への恨み節で頭がいっぱいだった。
「仙之助さんよ。中沢の御家中の威光を傘に着やがって、あの小田の横暴は許せねぇ」と、小野寺平八が声を荒げる。
三木与一は手の中にある「生臭い大福」を握りしめた。
彼の愛する吉野屋の大福が、小田の武士の理屈による理不尽な威圧で客を奪われ、店が窮地に立たされているからだ。
三木与一にとって吉野屋の大福は、自身のささやかな日常の幸せそのものであった。
岡本仙之助も、「金に困った旗本のくせに、庶民のささやかな楽しみまで踏みにじるたぁ、筋が通らねぇ」
と、珍しく顔を曇らせた。
この「下らないかもしれないが切実な怒り」が、この日のすべてのきっかけとなる。
その日の早朝。旗本・中沢壱岐守頼正が徒歩で登城する際に足元の段差につまずきその瞬間、懐に押し込んでいた紙包みがパサリと音を立てて足元に落ちた。
中沢が慌てる中、三木与一の懐から転がり出た大福がその紙包みにザラリと触れてしまうという珍事が発生。
中沢は大福を払いのけ、急いで紙包みを掴んで懐にしまい込んだ。
橋番を一瞥もせず、逃げるように走り去った。
三木与一は大福に付着した紙包みの油分のようなものを指先で嗅ぎ、顔をしかめた。
「なんだか、魚の干物のような、生臭い匂いがするぞ!俺の大事な大福が!」
夜、岡本仙之助は、この「大福が生臭い」という可笑しな出来事と、「贔屓の店をいじめる武士の転倒」を誰かに話したくて居ても立ってもいられず、一膳飯屋「のりひょう」で旧知の豊田磯兵衛に笑い話として語った。
豊田は、旗本の懐が生臭いという言葉に、極秘の捜査情報との繋がりを直感し顔色を変える。
二. 筆頭同心の判断と、探索の開始
翌朝。豊田は「のりひょう」の出来事を真鍋新太郎に伝える。
「白瓜。旗本の中沢壱岐が落としたのは、海産物の匂いがする紙包みだ。これが不正な賄賂の証拠である可能性は高い。だが、それが具体的に何なのか、そして紙が生臭い理由が分からん」
新太郎は、額に皺を寄せた。
「豊田様。その謎を暴くことが、次の手立てとなります。私は中沢の最近の行動を聞き込みで探り並行して、豊田様には札差の裏帳簿を再検証して、中沢の不正な取引の流れをもう一度辿っていただくことを御願いいたします」
筆頭同心・豊田磯兵衛は、新太郎の進言に深く頷く。
「うむ。白瓜、お前の推理は的を射ておる。では、そのように動く。私は関根と裏帳簿を洗おう。お前は中沢の行動を追え」
豊田は筆頭同心として正式に指示を出し、関根と裏帳簿の検証に没頭した。
三. 包みの正体と不正の解明
聞き込みと再検証の結果が「のりひょう」で再び集約される。
豊田は裏帳簿の検証から、中沢が深川の廻船問屋から定期的に「荷為替の控え」を受け取っている事実を突き止めた。
「白瓜、この荷為替の控えそのものが不正な金の受け取りの証拠だ。だが、紙が生臭い理由は分からん」
新太郎が「はっ」として何かに気付き口を開いた。
「豊田様。その謎が解けました!」
新太郎は、煮しめの匂いが漂う中、推理の結論を述べる。
「あの包みの正体は、不正な金の『引換券』である、『荷為替の控えの原本』に違いありません。そして、紙が生臭い理由は、廻船問屋が、海産物の匂いが付いた金子をそのままその控えの原本で包んでいたからです!金は匂いを吸収します。金子に付着した海産物の匂いが、控えの紙に移ったのです!」
四. 決意と控え帳の記録
荷為替の控えの原本こそ、中沢の不正の動かぬ証拠である。
豊田はその筆頭同心としての権限をもって最終確認する。
「よし。白瓜、お前の推理に間違いはない。この橋番の報告と荷為替の控え、そして柴田屋の裏帳簿をもって、中沢と柴田屋勘兵衛を結ぶ生きた証拠が揃った。いよいよ事を動かす時だ」
新太郎は深く息を吐いた。
自宅に戻り、控え帳を静かに広げた。
『五、橋番三人組の偶然の功績を記す。三木与一の愛する大福を脅かした小田の理不尽な威圧への義憤が、全てのきっかけである。中沢が落とした包みの正体は、不正な賄賂に包まれていた「荷為替の控えの原本」。
筆頭同心・豊田磯兵衛の指示の下、橋番三人組のささやかな怒りが、幕府の闇に光を当てた。』
新太郎の筆は旗本の不正と、最下級の役人の義侠心を、克明に記録し続けた。
(第六話 完)
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