End1
目が覚める。
辺りを見渡す。
いつもと変わらない自分の寝室の光景だ。
ただ一つ、布団のちょうど腹の上辺りにナイフが置かれていることを除いては。
恐る恐るナイフを見つめる。
ナイフは鈍く銀色に光っていた。
その光は己を飲み込みそうな狂気的な美しさを持っていた。
ナイフを手に取りますか?
Yes
No
「Yes」
その美しさに魅入られてナイフを手に取った。
それは手に吸い付くかの様によく手に馴染む。
己の心の奥底の渇望が膨れ上がった様な気がした。
どうする?
部屋の外に出る
クローゼットを開ける
ベッドの下を見る
「クローゼットを開ける」
何故か気になったのでクローゼットを開けた。
中には、量産型だが質の良いスーツ一式が入っていた。
これを殺しますか?
Yes
No
「No」
いや、だめだ。これがないと仕事に行けない。
そう思い、ナイフを持った手を下ろす。
これを着ますか?
Yes
No
「Yes」
そうだ、会社に行かないと。
早くしないと遅刻してしまう。
着慣れたスーツの袖に手を通す。
自分は普通の会社員だ。
毎日上司からの指示を受け、働くだけの指示待ち人間だ。
普通の会社員というのはそういうものなのかもしれないが。
自分には愛する妻と息子がいる。
だが、最近はまともに顔を会わせていない。
朝はやく、家族がみんな寝ている時間に家を出て、家族がぐっすり寝ている時間に帰ってくる。
毎日そういう生活を送っているからだ。
だが、世の中の会社員はみんなそうであるはずだ。
ああ、家族と一緒にピクニックでも行きたいな。
だが、そんなことを夢見る余裕も自分にはない。
今日も山のような仕事が割り振られているはずだからだ。
ただでさえ、自分は上司に殴られるぐらい仕事が遅い。
早く会社に行って仕事をしなければ。
首にならずに、家族を養うために。
早く、早く、早く。
スーツを着た。
そしてまたナイフを持って部屋の外に出る。
ナイフを持っていないと何故か落ち着かない。
部屋の外には、丸い半透明の薄く光る何かがいた。
よくよく見ると球の中に趣味という文字が浮かんでいる。
あなたの目の前に趣味がいる。殺しますか?
Yes
No
「Yes」
ナイフを球めがけて振り下ろす。
大した抵抗もなく、パリン、と球は割れてキラキラとした破片となり消える。
早く会社に行かなくてはいけない。
そして仕事をしなくては。
納期が迫っている仕事があったはずだ。
こんなものを気にしている暇はない。
そのまま急いで階段に行って降りる。
降りた先には睡眠がいた。
殺しますか?
Yes
No
「Yes」
ナイフで刺すと球は砕け、やがて消えた。
睡眠?そんなものは要らない。
取らないと眠くなる?
眠くなったとしてもカフェインさえあれば眠気は飛ぶ。
寝ている間も時間は止まらない。
時間は進み続ける。
睡眠をとっている間、一体誰が仕事をすると言うのだ。
そのまま進み、リビングを通り抜けようとした。
また邪魔な奴がいる。
自家製のお弁当と書かれた球がいた。
殺しますか?
Yes
No
「……Yes」
ナイフを振り下ろす。
球は粉々に砕け散り、パラパラと舞う。
それは涙の様だった。
こんなお弁当は要らない。
これを食べるのにどれだけの時間がかかると思っているのだ。
確かに生きるためには食事は必要だが、そんなものはカロリーメイトやエナジードリンクで十分だ。
わざわざ時間をかけて食事を作り、それを更に時間をかけて食べる理由が分からない。
一分一秒も惜しい。
早く仕事をしなければ。
俺がいなかったらあの仕事は誰がやるのだ。
足を早めて廊下を通り、玄関へと至る。
そこにいたのは家族と書かれた球だった。
家族を殺しますか?
Yes
No
「Yes」
力を込めてナイフを振り下ろす。
家族?カゾク?
そんなものは、そんなものは要らない。
家族にかまけて仕事をしなければ同僚や後輩、会社に迷惑をかける。
損害も生じるかもしれない。
家族を仕事より優先することなどできない。
刃に当たった球は呆気なく割れ、ポロポロと崩れていく。
息子の笑顔が瞼の裏にちらついたが、それもやがて消えた。
深呼吸をして息を整える。
もう自分が仕事をするのを邪魔するものは何もない。
壁にかけてある靴べらを手に取り革靴を履く。
壁に立てかけてあった黒い鞄を手にとって、ナイフを玄関に置いてある戸棚の上に置く。
ナイフを置いた隣には、白い靄のかかった写真立てがあった。
はて、ここには何の写真が飾ってあっただろうか。
まあ、気にしなくていいだろう。
これは会社には必要のないことだ。
鍵を開け、扉を開く。
さあ、会社に行こう。
時間は有限だ。
End1 社畜
「働くために働く。働くために生きている」
by 社畜
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