第九章&第十章
第九章
紗代子が話しかけてきてわたしの目は手紙から離れた。まだ食べないのか、と聞いてくる。見れば皿の上の肉はかなり減っている。残りの多くはわたしの分、ということなのだろう。
まだ手紙の途中だし、まだお腹はすいていないからもっと食べてもいいよ、と言ってやると紗代子は恥じらいを帯びた笑みを見せた。実はもっと食べたかったの、なんだか食が進むのよ。おいしいからかしら、といって再び箸を伸ばす。わたしは彼女の言葉に理由のない戦慄を走らせながら文面に目を戻した。動機が激しくなる。来るべき結末に怖れているかのように。
話を生命の存続へと戻すよ。食べられたものは食べたものと同化する。その一部となるのだ。この考えはぼくに光明を、そして決定的な道筋を与えた。そう、会わなくても、交わらなくても同化する方法があるじゃないか。同化し、一つになれる方法が。
ここまで読んでわたしは思わずのけぞった。全身がガタガタと震え、歯の根も合わない。紗代子はどうしたの? と首を傾げながら口の中のものを噛みしめる。わたしは何も答えることも、声を発することすらできず逃げるように文面へと戻った。
この方法にはさすがにためらいを感じた。一つの禁忌を避けるべくもう一つの禁忌を犯さなければならない。しかしこの方法は時とともにぼくの心を魅了し、ためらいへと侵食していった。視界が狭まり、もうこれ以外に方法はありえぬ、と判断したとき、決意は固まった。
ここまで来るのに七年かかった。煩悶の苦しみを思えば長かったが、最終的な決断を下すのにこれだけの時間が必要だったのかも知れない。兄さんは進学して家を離れていたわけだから、地元に戻るまで待つ必要もあったしね。
そう、じつは上京先での兄さんの動向は多少なりとも知っていたんだ。父さんと母さんが亡くなって兄さんが家に戻ったこともね。思えば親不孝な息子だったが、こればかりは両親は理解してくれないだろうね。
上京先での動向を知っていた? ということは向こうで住んでいた地域の近くに弟がいたということか? さらには共通の知人でもいたのか、こちらが気づかぬまま遭遇していた、などといったこともあったのか? わたしは改めて衝撃を覚えた。こちらは弟の所在を知る手がかりは何一つ得られなかったというのに! 手紙の内容からは弟の底知れなさがうかがえるような気もしてくる。
兄さんが地元に戻り、ぼくの決意は決まった。まさに時は来たれりってやつだ。だが実行に移すには数多くの障害が立ちはだかった。ぼくは焦りながらもそれらを一つ一つ取り除いていった。
まず肉屋と知り合いになり、親交を結びつつ、金銭的、精神的援助を施し、貸しを作った。彼がぼくに忠誠に近い感情を抱くようになるに至るまで。
そう、ぼくはね、兄さん、けっこう成功したんだよ。経済的に困ることはないレベルくらいには。己の才覚と決意と覚悟さえあれば学歴や家族の支援がなくてもなんとかなるものなんだよ。ただ成功すればするほど紗代子の不在を痛感させられ、自分が中途半端な存在である現実をつきつけられることにもなったんだけど。
そしていよいよ実行の時がやってきた。ぼくは肉屋にすべてを話した。彼は驚き、怖れ、許しを求めたがもちろん許さない。これまでの親交と貸しを持ち出し、これはぼくの一世一代の事業だ。他に漏れるわけにはいかない。見返りはたっぷりと与えよう。しかし断ったら命はないと思え、自分自身の死を闇に葬ることができるのだから、お前の命くらいなんてことはないぞ、と脅迫し、ついに承知せしめた。
計画はこうだ。まずぼくは仕事を辞め、身辺の整理をし、知り合いとの連絡を絶って音信不通になる。下手に心配されてやれ事件にまきこまれたのではないか、などと余計な詮索をされないためにも少し時間をあける必要があったんだな。
そのうえで肉屋のもとへ行き、したためたこの手紙(今兄さんが読んでいるこの手紙だよ)を渡し、すべてを託すのだ。その後は肉屋がすべてをやってくれるだろう。彼の手でぼくにとどめを刺させるつもりだから、彼は罪から逃れるためには最後まで実行しなければならない。万一彼が土壇場で裏切ったときの対処もしてある。大丈夫だろう。
わたしはもう震えを止めることができなかった。紙を持つ手が震え、字を追うのも困難になる。紗代子がなにやら話しかけてきているがまったく耳に入らない。とにかく、とにかく弟の告白をすべて読まなければならない。必死に震えを抑えながら先を続けた。
これで兄さんに食べてもらうわけにはいかないわけがわかったろう。紗代子はこれを食べ、明日へのエネルギーにする。美しい髪を伸ばすのも、光沢を帯びた爪が生えかわるのも、新陳代謝で白く滑らかな肌が作られるのも、これを食べた栄養によるものだ。ぼくは紗代子と同化し、その美しさを磨くことに貢献できるのだ! 美しく生まれながら双生児として生を受けたため不完全な存在だった紗代子はこれで存在、美しさの両面において完全になれるのだ。ぼくと同化することによって!
第十章
最初は彼女と一つになるという結果だけを求め、この方法を選んだ。だが考えれば考えるほどこれは実に魅惑的で、官能的な試みであることに気づいた。兄さん、考えてみてくれ。紗代子がぼくのふくらはぎを食べれば、ぼくの足を舌を這わせることになり、胸の肉を食べればぼくの胸をなめ回す。舌を食べれば…これほど濃厚な口づけがあろうか? あまつさえ男の象徴とあっては…ぼくは古い考えの持ち主だった。兄さんと同じようにね。ゆえにいかに交わろうとも正常位以外の交わりをすることなかった。まして男の象徴を口に含ませることなど。だがこれをもってそれが叶うことになる。この上もない形で。妹の美しい唇が、舌が、ぼくの体を這い回り、噛みつく様を想像し、ぼくは惚悦感に浸った。これほどの快感、愉悦があろうか? ぼくは一日も早くその時を待ちわび、そしてそれは来た。
もう書くことはない。兄さん、ぼくは早く行動に移したくてうずうずしている。ぼくのことを軽蔑するかい? それももっともだ。だが仕方ないのだ。何度も言っているようにぼくと紗代子は一つにならなくてはならないのだから。わかってほしいとも思わない。
では、さらば兄さん。これから実行に移すことにする。迷惑ばかりかけた弟を許してほしい。だがこれは別れじゃないんだ。ぼくは紗代子の中で生き続ける。心の中だけではなく、体にも。できれば、時折紗代子の姿からぼくの姿を見てほしい。では・・・
別れは言わぬ 弟より
あまりに怖ろしい結末にわたしは茫然自失になっていた。これは…この文面は本当のことなのだろうか? 弟は本当に…それとも狂気の妄想なのだろうか? 文面から伝わってくる弟の紗代子への想いや彼が味わったであろう煩悶は決して妄想とは思えないが、あまりに狂気じみている。
どうしたの? 妹が何度目からの問いを発した。ぼくのただならぬ雰囲気に気遣わしげな表情を見せている。皿の肉はさらに減っていた。ぼくはかぶりを振り、努めて笑顔を見せながら、いや、弟は現状に満足しているようだ、と答えた。なんという奇妙で適切な返答だろう!
妹は少しほっとした顔をしてソーセージを頬張った。その姿はぼくはふと訊ねた。おいしいか、と。する妹はにっこり笑って答えた。
「ええ。とってもおいしい。直也からの贈り物だもの」
完
最後までお読みいただきありがとうございました!
ソーセージ @aizenmaiden
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