第1話:平凡と違和感

放課後のチャイムが鳴り響く。


松永美咲(15歳)は、反射的に顔を上げ、窓の外の明るい光を見た。筆箱を鞄に放り込み、平凡で退屈な、しかし美咲が強く望む日常の中にいた。


「美咲、また寝てたでしょ」


隣の席の碧斗あおとが呆れたように声をかける。彼の横顔には、同年代の少年らしからぬ、どこか張り詰めたような緊張感が常に漂っている。


「寝てないよ、瞑想。未来永劫続くこの世界に、心と体をシンクロさせてたの」美咲はいつもの台詞でごまかした。


「そりゃ大層なことだ」碧斗あおとは苦笑する。「一葉いちようなら、図書室だぞ。難しい顔して、またあの九ノくのかいの古文書でも読んでるんだろ」


「そっか…」美咲の胸が軽く跳ねた。


一葉いちよう。美咲の初恋の相手であり、どこか憂いを帯びた瞳を持つクラスメイト。彼と碧斗あおとは、美咲には見せない共通の翳りと、ある種の覚悟を共有しているようだった。彼らが九ノくのかいに属し、自らの命を削る禁呪法を継いでいることを、美咲は知る由もない。


美咲は教室を出て、水道で手を洗おうとした。冷たい水が、指先に触れた瞬間、脈打つような違和感を覚える。


(あれ?水が…何か、騒いでる?)


蛇口をひねると、水は急に激しい水圧で噴き出し、美咲の手を強く打った。彼女が驚いて手を離しても、水は止まらず、轟音を立てて吹き出し続けた。


「何これ、水道管破裂!?」


数秒後、水圧は急に収まり、蛇口は静かになった。


「…最近、ホントに水道の調子が悪いな。古い学校だからかな?」


美咲は首を傾げた。これが、彼女の強い感情に呼応して無意識に発動した水龍の力『水圧』の最初の暴走だとは、知る由もなかった。


その頃、学校の屋上には、二つの影がいた。臣下である水守 迅(みずもり じん)と、滄海 禊(おうみ みそぎ)だ。


「ちっ、今の水圧、危なかったな。また無意識か」迅が舌打ちした。


じん。龍神様はまだ覚醒の途上だ。能力が感情に呼応するのは当然のこと」みそぎは冷静に答えた。「しかし、この水流の力は本物。急いで保護せねば、叢雲むらくもに見つかるか、九ノくのかいに狙われる」


「わかってる。急ぐさ。だが、龍神様は普通の高校生でいたいと願っている。どうすれば、この過酷な使命を受け入れさせるか…」


みそぎは静かに頷いた。その瞳の先には、美咲が帰宅する方向とは別の路地裏で、話し込む一葉と碧斗あおとの姿があった。


街の路地裏。


「…時間が無い。叢雲むらくもの勢力は、すでに辰砂しんしゃの指示で行政中枢に手を入れ始めている。これ以上、龍の残滓を野放しにはできない」


一葉いちようは冷たい目で言い放った。その手首には、一瞬、青白い禁呪法の紋様が浮かび上がった。彼らが属する九ノくのかいは、自らの命を削りながら龍の因縁を断とうとしている。


一葉いちよう…だが、もし、その龍が、悪意ではないとしたら?」碧斗が苦しそうに尋ねる。


「関係ない。龍は龍だ。あれは、災厄の器に過ぎない。僕たちの運命を、短命の宿命に変えた災いの元凶だ」


美咲の無自覚な力と、彼らの背負った悲劇的な使命が交差した瞬間、物語は静かに、しかし確実に、動き始めていた。

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