2、嫌な予感


 歩き始めたのはいいのだが、完全に距離を見誤っていた。

 変わり映えのない景色のまま、草原をかれこれ一時間ほど踏み締めているが、一向に街へと近づいた実感は無い。

 今だに街全体が視界に収まったままだ。

 街までの距離を軽く見計らっても、体力が底をつくのには充分だろうな。


 伸びていた背筋もすっかり丸くなり、変わり果てた態勢。我ながら情けなく思うが、しっくりくる。

 そんな姿を見かねたルリアが呆れ顔に声をかけてきた。


 「……ちょっとノイル?もう疲れたとか言わないわよね?」


 「あぁ、見ての通り疲れたよ」


 当然のように答えるとルリアは深いため息を溢した。


 「嘘でしょ?まだちっとも歩いてないのに。情けないわねぇ」


 「だってよぉ……」


 そこで言葉を止めた。これ以上の発言は格を下げるだけだからな。

 それと、歩きながら話している内に気づいたことがある。それは、ルリアがはっきりとものを言うタイプだということだ。

 不思議と悪い気がしないのは悪意がないからなのだろうが、間違いなく本心だ。


 だがルリアのストレートな言葉のおかげで急激に距離が縮まった。もはや、長年連れ添った間柄のように波長や空気感が形成されて来つつある。

 俺の中では既に、当初の悲しげな美女の姿はすっかり塗り替えられている。


 「どのみち街まで行かない限りは襲われちゃうかもしれないんだし、頑張らないと」


 「そりゃ、そうなんだけどさぁ……」


 ルリアの言う通り、今は幸い能獣に遭遇していないがいつ襲われてもおかしくは無い状況。

 そんな事は言われなくても分かってる。でも疲れたんだ、どうしようもない。

 俺は首を落として緑を見つめた。足取りは鈍い。

 その姿勢のまま足を進めていると、視界の端に突如とつじょ嫌なものが映り込んだ。


 「うわっ……」


 全身に悪寒が走り、咄嗟に唇から惨めな声が漏れた。

 俺を追い越して前を歩いていたルリアが足を止めて振り返る。


 「どうかしたの⁈」


 警戒するルリアを見ながら足元に指を差す。


 「……これって」


 そこに転がっていたのは、骨だ。

 食い荒らしたように散らかっているため、何の骨かは判断できない。

 僅かに残った肉が表面に薄く張り付いており、腐敗は進行しているがまだ新しいといえる。

 周囲に留まる鼻根を握るような悪臭は空気をも腐らせているようだった。

 それを目にしたルリアは瞬時に辺りを確認する。だが、生物の影らしきものは見当たらなかったのか短剣に添えていた手を下ろした。


 「……大丈夫でしょ。近くにいたらとっくに襲われてるだろうし」


 「それも、そうだな……」


 そう口にしたルリアだったが、黙って天を仰いだ。その姿はどこか不穏な空気を纏っているように映った。

 この時の沈黙はやたらと全身の感覚が敏感になり、服が肌に触れる感触までもが気になった。


 (骨を見つけただけ……。大丈夫……)


 何とか自分に言い聞かせる俺にルリアは視線を向けて「行こっか」と、再び歩き始めた。

 それからはしばらく神経を張り巡らせていたが、この危機感ですらも時間と疲労を敵に回せば自ずと薄れていった。

 今では定期的に首を落とし込んでは持ち上げるの繰り返し。その都度、変わり映えしない景色にがっかりするばかりだ。

 俺は懲りずに弱音を漏らし、ため息を垂れ流した。

 するとルリアが足を止めて、うんざりしたように振り返る。


 「もう、仕方ないわねぇ……」


 そう言って目的地の方向へと指さした。


 「あそこに見える大っきい木で休憩挟んであげるから、頑張って歩きましょ」


 その木は街との中間地点にある大樹だ。しかし、ここから見ると小指サイズに映る。


 「なんか……遠くないか?」


 俺は少ない言葉の中に様々な不満を込めた。

 既に疲弊した俺が望むのは今すぐの休憩だが、ここらは窪みになっているため能獣の発見は遅れる可能性がある。なのでそんな贅沢は言わないが、流石にルリアの指定した大樹は体力的に厳しい。

 すると、しびれを切らしたルリアはフードの影から鋭い眼差しを飛ばした。


 「……なに言ってるの?今の状況分かってるわよね?こんな装備で能獣と遭遇しちゃったら、さっきの骨みたいにされちゃうのよ?だからいち早く街に行かないといけないの。分かるでしょ?」


 俺の怠そうな態度と、鬱陶しい弱音を相手し続けていたルリア。相当我慢していたのか、徐々に言葉に怒りが見える。


 「ただでさえ歩くペースが遅いから全然街に近づけないのに……。頑張らないなら休憩取り消してもいいんだからね?」


 その発言は、今の俺にとって最も攻撃力がある。休憩が無くなるのだけはまずい。


 「いや、すまん。冗談だ……!よし、気合い入れて行くか!」


 俺は最悪のケースを避けるため、誤魔化すように空元気で再び歩き始めた。そして、思っていたよりも体力が残されていたことに気づいた。


 「まったく……調子いいんだから」


 それからは、ルリアから定期的に貰える細やかな応援を受け取りながら、太陽が照りつける丘陵をしばらく歩き進めた。

 そして、ようやく休憩ポイントである大樹に辿り着いた。


 「あぁぁ……やっと着いたぁ……」


 「ね?意外と近かったでしょ!」


 すでに疲弊ひへいし切っている俺はルリアとの感覚のズレにすら触れること無く、早々に木陰へと体を沈めた。

 草原は意外にも柔らかく冷んやりとしていて、俺の疲れ切った体を優しく受け入れた。文句なしの天然ベッド、とまではいかないが充分最高だ。

 俺は腕をまくり、頭の後ろで組む。これだけで唯一無二の枕が完成だ。素肌は少しチクチクするが気にするほどではない。そして、改めて大樹を見上げた。


 「でっかいなぁあ」


 表面をうろこのような木肌で覆い、自然の曲線を描きながら堂々と伸びる幹。その上から自由に広がる枝葉は、照りつける日差しを楽に防いでくれている。休憩にはもってこいのスポットだ。

 すると、その大きさに見合った葉が優雅に俺の真横へと舞い降りた。

 その葉を手探りに拾い上げて顔の前に運ぶと、顔がすっぽりと収まった。視界が緑一色に染る。


 「ルリア見てくれ!葉っぱもこんなデカいぞ!」


 そう言ってルリアに葉を探す。だが、反応は期待していたものでは無かった。


 「……あぁ、うん。そうね!」


 その表情は、影が掛かったようで作り物みたいだった。さほど珍しいものでは無かったのだろうか。

 そんなことを考えてつい固まっていると、ルリアが掻き消すように言葉を足した。


 「今はなんでも新鮮だもんね!」


 (やっぱ、あんまり珍しく無かったのか……。ガキみたいな反応しちまった……)


 俺は言葉に困り、黙ってその葉を近くに捨て腕を組み直した。

 ルリアは静かに根元まで歩き、ようやく腰を下ろして元気な体を休める。


 それからは静かな時間が流れた。

 俺は目を閉じて、自然の音を楽しみながら休憩を満喫。土や草の香りが鼻先に触れてくるが、それもまた心地良い。

 すっかり危機感を置き去りにして自然に溶け込んでいると、柔らかな風が眠気を運んで来た。

 俺は恥ずかしげもなく大きな欠伸。このまま吸い込まれるように眠りたい。

 意識が飛びそうになるが、俺は僅かな危機感を奮い立たせて睡魔に必死で抗った。

 すると、突然頭上の枝葉が掻き乱れ、雑な音が鼓膜を刺激した。


 (———まさか⁈)


 その瞬間、俺の意識は現実へと強引に戻された。

 平原のど真ん中———不自然な音。

 この状況で真っ先に頭を過ぎるのは一つしかなかった。

 途轍もなく嫌な予感だ。

 俺は勢いよく瞼を持ち上げ、瞬時に音源に視線を飛ばす。


 (おい……嘘だろ……)


 最悪な予感は、見事に的中した。

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