空白の記憶と度々旅する創造世界

小夜新成

1、空白の記憶


 まぶたを容赦なく貫通する光で俺は目を覚ました。


 眉間にしわを寄せ集めながら重たい瞼を薄く持ち上げる。すると、即座に枝の隙間から陽光が青い瞳を焼いた。

 俺は瞬時に瞼を下ろし、手の平で覆い被せる。


 どれくらい眠っていたんだろう。

 朦朧もうろうとする意識の中、明確に分かったのはよく眠れたということ。そして、長い長い夢を見ていた気がする。

 だが、その内容はすでに曖昧になってきていた。


 (ずっと誰かと居たような……)

 

 優しく微笑む女性の記憶。

 俺は気になって必死に記憶を辿ったが、探れば探るほどに夢の記憶は奥深くへと遠ざかり、脳の外側へと抜け出したように消え去ってしまった。

 モヤモヤで心が染まる不思議な感覚だ。


 俺は再び瞼を持ち上げ、しつこく焼きつけてくる不愉快な木漏れ日を片手で遮りながら怠い体を起こした。

 真っ先に視界に映るのは緑溢れる平原だ。遠くには見える海はチラチラと陽光を反射させている。

 適度に吹く風は、俺の純白の髪とまばらに生えた木々を優しく揺すった。

 いつまでも眺めていたくなるような派手すぎない景色。心と自然が融合していくようで落ち着く。


 ———だが、見覚えはない。


 俺はすぐそばで寂しそうに立つ一本の木の陰で見渡すように首を右に回した。

 そこには平原から緩やかに連なって丘陵きゅうりょうが広がっていた。所々に散りばめられた大樹が目立つ。だが、その中でも圧倒的に俺の目を引いたのは、視界の奥で盛り上がった一際大きな丘の上を占領するかのように築かれた街だ。

 ここからは距離があり、小洒落た街の全貌が視界に収まる。


 「なんか……良いな」


 無駄に心の声を垂れ流した。近くには誰もいないし文句はあるまい。


 俺は少しばかりそんな景色を眺めていた。

 だが、見慣れない光景だからかあまり現実味は感じられずにいた。


 (———いや、待てよ……⁉︎)


 そこで俺はようやく違和感に気づく。

 なぜ”見覚えのない場所”にいるんだ、と。


 (ここで俺は、何を……。この世界は……)


 「ゔっ….」


 思考をさえぎるように突然ズキリと頭が痛んだ。これは深い眠りのせいだろうか。

 俺は右手で頭を抑えると同時に、必死に持ち上げていた重い瞼をあっさりと閉じた。


 ———俺はなんでここで寝ていたんだ……?えぇ、確か………ん?ってか、今までどこでどうやって生きて来たんだ?今までの記憶……記憶が……。


 これまでの人生が———空白になっていた。

 暗く、深い穴に落ちた気分だ。けれど、悲しくは無かった。

 きっと大切な何かを忘れているのだろうが、それが何なのかも分からないからだ。

 現状で分かることといえば、常識程度の知識と言語のみ。これは今使っている言語が通じれば、の話だが。そうなると、常識が通用するのかも怪しい。

 それともう一つ。今、最も注意すべき存在———『能獣のうじゅう

 知識にある奴らが実在するのだとしたら、遭遇することだけは避けたい。


 (大丈夫だ。最低限の知識はあるんだし……)


 不安を無理矢理に誤魔化した俺は、再び目を開いた。遠くを見ていたはずなのに、今では自分の掌。そして、微かに指が震えている。

 体はいつも正直だな。

 それからは、身につけている物をざっくりと確認したが、役に立ちそうな物といえば腰に差した一本の剣のみ。それ以外の持ち物は無く、身につけた服や靴はどれも古臭い。


 俺はしつこくため息を溢し、ぼんやりと平原を眺めた。

 それは落ち着く景色のはずだったが、今の俺には不安を助長させる材料になっていた。


 (これからどうしたらいいんだ……)


 そんなことを考えて、静かに時間だけが流れた。

 すると、楽に座り込む俺の左後方から強烈な視線を感じた。

 心臓が急激に縮まったような感覚を合図に、俺は咄嗟に首を左側へと勢いよく回した。


 「———っ⁉︎」


 その視線を放っていた正体。それは、一人の女性だった。

 少し距離の空いたところで前のめりに俺を凝視して座っている。


 黒いフード付きのローブを被り、腰には二本の短剣を差している。髪色がはっきりと分からない。見るからに怪しい格好だ。

 しかし、ローブ如きでは隠せない溢れんばかりの魅力を放っている。

 だが、勿体無いことに身につける衣服は俺と似たり寄ったりで、どれも古臭い。


 この状況で無視するわけにはいかないため、 俺はぎこちなくも声をかけた。


 「あ、えぇっと……」


 彼女の影に潜む赤い瞳とは確かに目が合っている。だが反応は無い。

 そして気づけば、吸い込まれるように目が離せなくなっていた。

 すると、彼女の瞳が涙を浮かべた。それからすぐに溢れ出した大粒の雫が静かに頬を伝う。


 「ぇ………」


 見知らぬ彼女の涙。それを見た途端、何故か胸の奥深くが苦しくなった。

 理由は分からない。だが、確かに痛む。

 すると俺の目にも涙が込み上げてくるのが分かり、それを奥歯で必死に堪えた。


 「あれ……。なんで泣いてるんだろ……」


 見つめ合う静寂のひと時の中で、彼女はふと我に帰ったかのようにそう言って、慌てて涙を袖で拭った。

 本人でさえ涙の理由が分かっていないようだ。


 「ごめんね。もう、大丈夫」


 俺の顔が心配しているように見えたのか、彼女はそう言って優しく微笑む。

 その表情はどこか懐かしく、安心できた。

 

 目覚めて間も無くだが、俺の感情は振り回されてばかりで戸惑いを隠しきれず、返す言葉も見当たらないまま沈黙していると。


 「……ここで何をしていたの?」


 彼女が問いかけてきた。俺は動揺を残したまま、ぎこちなく答える。


 「え、あぁ。それが……分からないんだ。なんでここにいたのか、思い出せない……」


 それを聞いた彼女は、視線を落とし込んだ。


 「……そっか。私と同じね」


 彼女はが小さく口にした発言に、俺は自分の耳を疑いそうになった。


 (———俺と、同じ……)


 記憶を失っているようだが、それなのにも関わらず彼女は至って冷静な様子だ。動揺しているのが恥ずかしくなるくらいに。

 それからは、目覚めてからの一連の流れと残された情報を詳しく共有した。すると、少し違う点が見つかる。

 それは、彼女がこの世界に”見覚えがある”という点だ。

 俺と同様に今までの生きてきた記憶はないが、この世界の記憶は鮮明にあるようで、近くの街もよく知っているという。

 話が成立している時点で、俺の扱う言語が通じることは確認するまでもないが、常識程度の知識が間違っていないことが確認できた。

 それと、恐れていた『能獣』が存在しているということも。


 (———それにしてもこんな偶然、あるのか……?何か企んでるとかないよな……)


 そんなことを考えて沈黙していると。


 「流石にここまで偶然が重なれば疑われちゃうわね」


 冗談混じりの発言だが、心を見透かされたような的確なタイミングだった。

 だが、俺に向けている優しい微笑みに悪意は感じられない。


 「いやっ、そんなことないぞ!」


 俺は正直に認めるか迷ったが、相手の悲しむ反応を恐れて必死に笑顔で誤魔化した。

 それに、本当に俺と同じ状況だとしたら疑うのはあまりにも酷い。


 (俺も疑われてたら……。やめよう———)


 自分と置き換えれば簡単だった。

 何より、知識がない状況では憶測すら立てられない。俺は気を取り直すように彼女に尋ねた。


 「そういえば、君。名前は?」


 「……」


 何故か彼女の表情は曇り、視線を下に落とした。


 「え……?もしかして、もう名前聞いてたか?」


 すると、さっきの反応を掻き消すように小さく両手を胸の前で振った。


 「あ、違うの。ごめんね!そっか、自己紹介がまだだったわね……!私はルリアよ!」


 「ルリア、か!俺はノイルだ!よろしくな、ルリア!」


 「えぇ。よろしくね、ノイル!」


 今更の自己紹介だったが、名前を呼び合うと一気に距離が縮まった気がした。しかし、危険な状況は一切変わらない。

 能獣が蔓延はびこるこの世界。よく見れば、そこらには能獣が踏みつけたであろう痕跡こんせきがちらほらと。それに、遠くにも動く影が点で見える。

 呑気にお喋りしていれば、いずれ能獣に襲われてもおかしくないだろう。


 「ここに居てもこんな装備じゃ危険だし、街に向かいましょ」


 危機感は共通して持っていたらしい。


 「そうだな」


 俺はすっかり重たくなってしまった腰を勢い頼りに持ち上げた。


 「そういや、リルアは何歳なんだ?ちなみに俺は十八だ!」


 実は序盤じょばんから気になっていた質問だ。


 「歳はあなたと一緒……」


 すると、彼女の声色が沈んだ。


 「それより私の名前。リルアじゃなくて、ルリアなんだけど?」


 フードの奥から圧を感じ、心臓が軽く走り出した。


 「あぁ、すまん。ルリアだったな!名前覚えるの苦手で……」


 「もぉ……。今回だけだから!」


 ルリアはそう言って微笑みながら、街に向かって歩き始めた。

 意外な一面が見れた。怒らせたら怖そうだ。


 俺はこの世界どころか、ルリアのこともすら知らないことだらけだ。今思えば、なんだかんだ話を進めてくれていて話しやすかった。涙で気の弱い女性に見えたが、俺よりも遥かに頼りになりそうだ。

 この関係はいつまで続くかも分からないが、最初に出会ったのがルリアで良かった。

 正直、かなり心強い。


 俺は、未知の世界と想像もつかない展開に期待と不安。そして、記憶を取り戻す”決意”を胸いっぱいに詰め込んで、すでに広大な平原を歩き始めたルリアの背を追った。

 空白になった記憶———いったいこの世界の何が俺達をそうさせたんだ……。

 すると、適度に吹いていた風がピタリと止まった。

 そして、前を歩くルリアが小さく呟く。


 「次こそ……」


 その言葉は突然吹いた強風に流され、どこかに消えた。けれど俺の心の奥底が妙にざわめいた。


 「……なにか、言ったか?」


 すると彼女は振り返り微笑んだ。しかし、言葉を残すことなく再び歩き始めた。

 その微笑みは俺に向けられたようで、遥か遠くを見ているような気がした。

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