第40話 朝から彼女ムーブが過ぎるんだが……

 ――寝た気がしない。

 いや、正確には“目を開けた”だけで、心と体は今もな寝たがっている。


「……死ぬほど眠い……」


 昨夜の地獄のような甘々状況を思い出して、脳内で枕を殴りたい衝動に駆られる。

 寝相密着、寝言“大好き”、柔らかさ各種……そりゃ寝られるわけがないよ。


 ふと、気が付くとベッドの上には、俺以外の気配はもうなかった。


「……あれ、柊木さん?」


 布団の上には、整えて置かれた、あのジャージ が、礼儀正しく並んでいる。


「……丁寧すぎる」


 俺はつきながら立ち上がり、リビングに向かう。


 そして、そこで見た光景で完全に目が覚めた。


「~♪ んふふん~♪」


 制服にエプロン姿の楓が、鼻歌交じりに朝食を作っていた。


 光が差し込むキッチン、湯気の立つ味噌汁、焼ける卵の香り。

 そのど真ん中で、振り返った彼女の笑顔は。


「おはよ、悠太君っ!」


 とびっきり眩しかった。


「っ……!」


 心臓、今の俺を殺す気で跳ねた。

 いやマジで今の笑顔、反則級。


「……お、おはよ……」

「どうしたの? 顔赤いよ?」

「いや、その……別に……」


 めちゃくちゃ動揺してるせいで声がおかしい。

 楓は首を傾げながら、ひょいっと近づいてくる。


「風邪はもう治ったの? ……ちょっと失礼」

「え、ちょ――」


 楓の手がおでこに触れた。


 ひやっとした手。

 すっと近づく顔。

 距離ゼロのまん丸の瞳。


「ん、大丈夫そう。良かったぁ」


「……っ」


 俺の心臓は、さっきからずっと致死量ギリギリ。


 楓はまるで気づいていないように満足そうに微笑む。


「はい、席ついて。朝ごはん出来てるよ!」

「……お、おう……」


 机に座ると、目の前に置かれた朝食は卵焼き、味噌汁、ちょっと焼きすぎのシャケ、野菜。

 ザ・和食って感じだ。


「もしかして全部……?」

「うん、せっかく泊まったんだし、作ってあげるのが筋でしょ?」

「……いや、それ彼女のムーブじゃ……?」

「え、何か言った?」

「い、言ってない言ってない!」


(いやでも待て。これ、どう考えても……彼女じゃんね?)


 エプロン姿で鼻歌、風邪の心配、手作り朝食、距離感ゼロのボディタッチ。

 このコンボはもう……。


「悠太君?」

「ん?」

「……ちゃんと食べてる?」

「食べてるって」

「ほんとに?」


 じぃ~~っと俺を覗き込む。


 距離が近い。

 近すぎて、昨日の密着を思い出して死ぬほど心臓が苦しい。


(これ……昨日の“寝言で大好き”とか、あの抱きつきとか……全部込みで……俺、耐えられるの?)


 そんな疑問が脳の片隅に浮かんだ、そのとき。


「ねぇ、悠太君」

「な、なに?」

「……今日も、よろしくね」


 なんでもない“挨拶”みたいに言われたその言葉に、

 俺の心臓はまた、派手に暴れた。


(ああもう……これ以上されると……ほんとに、惚れてしまう)


 朝食の味はとんでもなく優しくて、だけど胸のざわつきは一切落ち着かなかった。








 朝食を終え、制服に着替えて玄関で靴を履く。

 そして扉を開けた瞬間。


「悠太君、行こうか」


 そこに、すでに楓が立っていた。


 え? なんで待ってんの?

 普通に先に行ってると思っていたんだけど……。

 そう思っていた矢先……。


「ほい」


 手を繋がれた。


「!?」


 完全に指を絡める“恋人繋ぎ”というやつである。


「ちょっ、柊木さん!?」

「なに?」

「なに、じゃなくて! 手っ、繋いでるからっ!」

「うん、繋いでるよ」

「そこじゃない!」


 俺は慌てて手を引こうとするが――


「だーめ」


 ぎゅっと握られた。


 しかも、握力が地味に強い。

 まるで“逃がさない”という意思が手の温度から伝わってくる。


(……いやこれ、どういうつもり!?)


「ねぇ悠太君」

「な、なに」

「……いや?」


 またあの上目遣いで見てくる。昨夜ベッドの中で見せたあの眼差しだ。

 ダメだ、その眼差しは俺に効く!


「……別に嫌じゃないけど! いやじゃないけど!! でもこれはまずいって!」

「なにが?」

「見られたら……その……噂されるだろ!」

「ふふん、別にいいよ?」

「よくないよ!」


 


 そんな話をしているうちに学校へ近づいてきた。

 案の定学路の生徒たちが振り向く。

 目が合うとヒソヒソやってる。


「……あれって柊木さんじゃね?」

「え、手……繋いでね……?」

「藤原だったよな? なんであんな仲良さそうに?」

「いや普通に彼氏じゃね?」


 聞こえてくる声が完全に実況。


(……終わった。俺の学園モブ生活、ここで終了のお知らせ)


「なぁ柊木さん、本当に離した方が……」

「やだ」


 さらに追撃。


「……翔真にバレたらまずいって」


 言った瞬間、楓の反応が変わった。


「翔真は……もうどうでもいいもん」


 あっさり。

 淡々と。

 まるで“本当に吹っ切れた”みたいな口ぶりで。


「……え?」

「どうでもいいって言ってるの。聞こえなかった?」

「いや、聞こえたけど……」


 表情に曇りは一切ない。

 むしろ、晴れた空みたいにすっきりしている。


(……なんかあったのかな?)

 

 昨日の夜からこうなっていた事を見ると、昨夜何かあった事は事実だろう。

 まぁ、何があったかは俺はそれを知る由もないわけだけど。


 結局俺は、そのまま手を繋がれたまま校門をくぐることになった。


 これ、完全に付き合い立てのカップルじゃん。


(……まぁ、悪くはないけど……)


 噂話に囲まれ、ぎゅっと手を握られながら、俺は少しだけ顔を背けて、誤魔化すように前を向いた。


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