第35話 寝落ちって怖いよね

side楓


 部屋のドアを閉めた瞬間、私は……。


「……なにしてるの私っ!!」


 声は出さなかったけど、内心で絶叫していた。

 顔が一気に熱くなる。たぶん、りんごみたいになってる。


 いやほんと、あれは……あれはやりすぎじゃなかった!?

 あんな“母親モード全開”の自分なんて、翔真以外に見せたことないのに。


「うわぁぁぁ……」


 キッチンに着いた私は、お盆をそっと置き、頭を抱える。


「だって……エナドリ飲んでたんだもん……」


 つい口に出してしまった。


 さっきゴミ箱に見つけたエナジードリンクの缶。

 見た瞬間、胸の奥が“カチン”ときて、気づいたら過保護スイッチがオンになっていた。


 あれを飲むってことは、無茶してたってことで……

 ……それに、弱ってる悠太が可愛かったのも、正直ある。


「いやいやいやいや、何を言い訳してるの私!?」


 また自分にツッコミを入れる。

 こういう時だけは、私の脳内会議は全会一致で“恥ずかしい”に決まる。


 とはいえ。


「でも……元気そうでよかった」


 その気持ちだけは、本音だった。


 私は手を動かしながら、洗い物を片付けていく。

 お粥の鍋を洗い、まな板を拭いて、コンロの火の周りを軽く掃除して。


 習慣なのか、体が勝手に動く。


 次に、冷蔵庫を開ける。


「えーっと、作り置きは……うん、ちゃんと食べてる」


 タッパーの量が減っているのを確認して、ほっとする。


「カップ麺は……減ってない。えらい」


 なんで私、母親みたいなチェックしてるんだろう。


 でも、やめられない。

 だって心配なんだもん。


 片付けを終えて、私はダイニングチェアに腰を下ろす。


「ふぅ……少し休憩して帰ろう」


 スマホを手に取り、少しだけ画面を眺める。

 SNSを開いて、流れてくる動画や写真を適当にスクロールする。


 頭の端っこでは、さっきの悠太の顔が浮かぶ。


「……ほんと、弱ってると可愛いよね、あの子」


 自分で言って、また顔が熱くなった。


「いや違う違う違う! これは親心! そう、親心!」


 そう言いながらも、心のどこかで――

 “じゃあなんでこんなに胸が落ち着かないの?”と、自分に刺さる。


 でもまあ、とにかく今は休憩。

 立ち上がったり心配したりで、思ってるより疲れていたみたい。


 椅子にもたれ、ゆっくり息を吐く。


「……ちょっとだけ、ここで休もう」


 帰る前に、もう少しだけ。

 もう少しだけ、あの優しい気配の残る家で、ひと息つきたかった。








 目を開けたら、もう体のだるさはだいぶ軽くなっている。


「……あれ、柊木さん、帰ったよな?」


 さっきまで俺を寝かしつけていた彼女の姿は部屋にない。

 時間もたっぷり経った気がする。


 ベッドから上半身を起こし、ふらつく足でリビングへ向かう。


 そして、俺は固まった。


「……いや、帰ってないやん……」


 ソファの上。

 そこには、完全に電源の落ちた楓が、すやすやと寝ていた。


「え、なんで寝てるの……?」


 突っ込む相手はどこにもいない。

 ただ、目の前にあるのは、疲れた顔で静かに寝息を立てる楓さん。


 しかも座ったまま寝落ちしたらしく、上半身は横向きで、膝が少し崩れて、スカートの隙間から水色が見えた。


「うわっ……!」


 瞬間、俺は秒速で顔をそむけた。

 いやほんと、心臓に悪すぎる。


(見てない、俺は何も見てない……!)


 念仏のように唱えながら、震える手で肩をつつく。


「楓さん、起きて……?」

「ん……ぅ……」


 もぞ、と身じろぎして、ゆっくり目を開ける。


「……あれ……悠太君……? 寝てなきゃ……。……え? 私……寝てた……?」

「寝てた。完全に」


 楓さんはハッと起き上がると、スマホの時計を見る。

 

「ちょ、ちょっと待って! 時間……!」


 スマホの画面を見た彼女の顔色が、みるみる変わる。


「終電……終わってる……!」


 わかりやすく絶望している楓さん。

 なんというか、その……すごく珍しい姿だ。


「ど、どうしよう……タクシー……いや、遅いし……」


 慌てて両手をバタバタさせる様は、まるで溺れてる小動物みたいだ。


 俺はしばらく迷って、深呼吸してから口を開いた。


「……あのさ」

「え?」

「泊まっていく……?」

「っ――」


 楓さんの目が、びっくりしたみたいに大きくなった。

 一瞬、頬が赤くなって、その後すぐに視線をそらす。


「……い、いいの……?」

「いや、帰れないでしょこれ。夜遅いし、危ないし」

「……そ、それは……うん……」

「だから、その……泊まれば?」

「……」


 楓さんは、胸の前で両手をぎゅっと握って、考えるように俯いた。


 そして……。


「……しょうがない、よね。じゃ、じゃあ……お邪魔します……?」


 そう言った顔は、少しだけ恥ずかしそうで、でもどこか安心したようで。


 俺の心臓に、無事ダイレクトアタックが決まった。


(……これが、原作で“天使様”って呼ばれたヒロインの破壊力か……)


 俺はぼんやりそう思いながら、泊まる支度をする楓さんを横目に、この夜、絶対に眠れない自信が湧き上がってきていた。

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