第34話 これが天使と言われたヒロインの実力?

 目が覚めたとき、部屋の中がオレンジ色になっていた。

 気づけば、かなりの時間、寝ていたらしい。


「熱下がったかな?」


 体温計を脇に挟んでぼんやり待つ。

 ピピッと鳴って表示を見ると、37度ちょい。

 朝の地獄に比べれば、もう天国みたいな数字だ。


「よし……起きるか……」


 そう言って立ち上がろうとした瞬間、ピンポーン。


 玄関のチャイムが、やけに大きく響いた。


「……誰だよ、このタイミングで」


 身体を引きずるようにインターホンまで行って、モニターを覗き込む。


 そこに映っていたのは……。


「……え、柊木さん?」


 制服姿で、こっちをじっと見ている楓。

 

 慌てて鍵を開けると、扉がガチャっと開き、楓が顔を覗かせた。


「ちょっと! 大丈夫なの!?」

「だ、だいじょうぶ……まだ熱はあるけど……」


 そう答えた瞬間、楓の肩がふっと下がった。

 明らかにホッとした表情だった。


「よかった……ほんとに。学校でもさ、なんかもう……」

「なんかもう、って何?」

「いや、なんでもない!」


 なぜか語尾を切り捨てるように誤魔化してくる。

 楓、時々こういう妙に芝居がかった動きするよな。


「あ、これプリント。先生から預かってきたの」

「わざわざ持って来てくれたのか? ありがとう」

「うん。それで……」


 楓はプリントを俺の手に渡したあと、なぜかスッと靴を脱ぎ始めた。


「ちょ、ちょっと!? なんで上がるの!? 風邪移っちゃうぞ?」

「大丈夫。マスクも買って来たから」

「……そ、そうだけど」


 そう言って、マスクを付けた楓はキッチンへ入って行き、袋をガサガサ置いていた。

 

「おかゆ作るんだけど、お米はまだあるでしょ?」

「あ、あるけど」

「後、熱さまシートとポカリも買ってきたから」

「……ありがとう」


 俺の胸の奥が、じんわり温かい。

 体調のせいじゃない。


 楓が、わざわざ来てくれたからだ。

 でも、この感じは……なんとなく危険でもある。


「……なぁ、柊木さん」

「なに?」

「おかゆ、楽しみにしとく」

「うん。任せて」


 楓がキッチンで動く音が、妙に心地よかった。


「とりあえずソファで──」


 そう言って、俺はソファに座ろうとする。


「はいストップ」


 振り返ると、楓は腕を組んで仁王立ちしていた。

 完全に“説教モードのお母さん”のポーズだ。

 

「……へ?」

「へ? じゃないでしょ。病人はソファに座ってちゃダメ。寝てなきゃダメ」

「いやいや、もう大丈夫だよ」

「ダメ……風邪がぶり返したら困るでしょ!」


 ツカツカと近づいてきて、俺の腕を掴む。


「ほら、こっち」

「待って、俺もう立って歩いたし、そこそこ元気だって証明──」


 そうツッコんでる間にも、楓は俺を寝室まで引っ張っていく。


「ほら、ベッド入って」

「いやだから──」

「入って」

「……はい」


 なんだこれ。

 完全に“母親の圧に負ける息子”だ。


 楓は勝ち誇った顔で頷き、布団をかけてくる。


「よろしい。病人はこうやって大人しくしてるの。はい、“看病の基本その1”。覚えておいてね」


 楓は布団をきゅっと整え、俺の額に手を当ててきた。


「……まだちょっと熱いね。やっぱり寝てなきゃダメ」

「え!?」


 この人、何の躊躇もなく、おでこに手を当てて来てるんですけど!?


「あれ? なんかさっきより熱くなってきてるような」

「だ、大丈夫だから……」

「そう? じゃあとりあえず、ちゃんと寝てなさい。おかゆできたら持ってくるから」


 楓はドアに向かう前に、ふと振り返って言った。


「……悠太君が苦しそうなの、やっぱり嫌だからさ。お願いだから、大人しくしててよ」

「……」


 心臓が、なんか変に熱くなる。


「……わかったよ。寝とく」

「それでいいの。よくできました」


 そう言って楓は、ぽん、と軽くドアを閉めた。


 静かにリビングに戻っていく足音が遠ざかる。


「……なんだよあれ」


 寝室の天井をぼんやり見ながらつぶやく。


「ちょっと……優しすぎるだろ……」


 そして、気づいた。俺、たぶんめっちゃ嬉しいのだと。








 暫く、ベッドでくつろいでいると、ドアがコンコンと小さく鳴る。


「入るよー。おかゆ持ってきたよー」


 楓が、お盆を両手に器用にバランス取りながら入ってきた。

 

「ほら、起きて。背中クッション入れるから」

「あ、うん……」


 布団の角度を直されながら、俺は楓の動きに合わせて身体を起こす。

 楓は俺の隣に腰を下ろし、おかゆの器をそっと差し出してきた──が。


「……ん?」


 彼女の視線が横にそれ、ベッド脇の小さなテーブルで止まった。


「ちょっと」

「ん?」

「これ、なに?」


 楓が指差したのは──エナジードリンク。


「あ、いや……その、元気出るかなって……」

「……ふーん?」


 完全に“母親が息子の成績表を見つけたときの沈黙”だ。


「いやほら……とりあえず気合い入れるために……」

「風邪のときにこんなの飲んだらダメでしょ!」

「ご、ごめん!」


 怒ってる、完全に怒ってる。

 でも怒り方が“誰より心配してる人の怒り”だから、逆にキツい。


「まったく……。……罰!」

「え、罰?」

「うん。罰として──はい」


 楓はスプーンをひょいと取り上げた。


「え、いや、俺自分で食べられるから──」

「ダメ。エナドリ飲んだ罪は重いです」


 楓はむすっとしたまま俺の目の前へスプーンに載せたおかゆを掲げる。


「はい、あーん」

「いやいやいや、さすがにそれは──」

「ほら! あーん」


 楓はちょっと頬をふくらませ、完全に怒っている。

 あの表情で押されると……逆に拒否しづらい。


「……わかったよ。あーん」


 俺が観念して口を開くと、楓は満足げに小さく笑って、そっとスプーンを運んできた。


 口に含むと、中に広がるのは、ふわっとした優しい味の塩気。

 なんか……あったかい。


「ど、どう? おいしい?」


「……うん。優しい味。すげーうまい」

「っ……!」


 楓の表情がぱあっと明るくなる。


「よかった……!じゃあ、もっと食べてね。いっぱい作ってきたから!」


 それでも楓は楽しそうに、またスプーンをすくって俺の口へ運ぶ。

 俺も素直に口を開ける。


 食べるたびに、不思議と身体の力が抜けていった。


 楓の声も、湯気も、距離の近さも全部、妙に心地良かった。


 その後、お粥を食べ終わった俺は、スプーンを置いた瞬間に、楓に「はい、じゃあ安静タイム」と宣言された。


「ほら、布団かけるよー」


 この感じ。

 原作の“天使ヒロイン楓”の描写で、読者から『本当に天使』『こういう子現実にいない』と持ち上げられていた、あの優しさ。


 その“本物”が、いま目の前で俺に布団をかけてる。


 やばい。

 普通に心臓に悪い。


「……ありがとう、楓」

「え? なに急にしんみりしてるの?」

「いや……なんでも」

「ふーん……まあいいや。とにかく休んで。私はリビングにいるから」


 やれやれ、と肩をすくめながら楓は立ち上がる。


 そして、ドアに向かいかけて――なぜか一度だけ振り返り、俺の方をじっと見る。


「じゃ、ゆっくり寝なさい。おやすみ」


 そう言い残して、楓はドアを静かに閉めた。


 ――部屋が急に静かになる。


 その静寂の中で、俺はひとつだけ思う。


 これが、原作読者が“天使様”と呼んだ楓の正体か。


 冷静に考えてみれば、これ、惚れないわけがないだろ。


 ……いや、俺は惚れてないけど!

 そういう意味じゃなくて!

 その、天使だなって話であって!


 そう自分に言い訳しながら、俺は布団に包まれた。

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