第20話 四人での勉強会:試される秘密
八月の太陽がアスファルトを容赦なく照りつけ、逃げ水が揺らめく午後。俺たち四人は、エアコンが効いた彰太の部屋で、分厚い参考書と睨み合っていた。受験という現実が、じりじりと肌を焼くような焦燥感を伴って、刻一刻と近づいてきている。しかし、この部屋に充満しているのは、学業への不安だけではなかった。それは、友情という名の薄氷の上で繰り広げられる、危険で倒錯した緊張感だった。
彰太の部屋は、彼の潔癖な性格を映し出すかのように、塵一つなく整頓されている。床に置かれた剣道の防具でさえ、まるで神聖な儀式道具のように、決められた場所に静かに鎮座していた。その清廉な空間の中心で、彰太は、恋人である文香の隣に座り、一心不乱に数式を解いている。彼の真剣な横顔は、一点の曇りもなく、ただひたすらに、文香との輝かしい未来へと続いていると信じている者のそれだった。その無垢な信頼が、俺の胸を、冷たく、そして鋭利な刃物で抉る。
俺の隣には、菜月が座っている。彼女は、一見すると英語の長文問題に集中しているように見えるが、その大きな丸い瞳は、時折、鋭い光を放って俺と文香の間の空間を監視していた。彰太の家での勉強会で、俺が不用意にラブホテルでの出来事に触れそうになったあの日以来、菜月は「秘密の守護者」としての役割を、より一層、強く自覚するようになっていた。彼女の指先が、時折、神経質にシャーペンの芯を出し入れする音が、この部屋の張り詰めた空気を象徴しているかのようだ。
そして、その緊張の源は、彰太の隣に座る文香だった。彼女は、数学の問題が分からないという口実で、頻繁に席を立ち、俺の背後から「佑樹君、ここ、教えてくれる?」と、甘く、そしてか細い声をかけてくる。その度に、彼女の豊満な胸が、俺の背中に柔らかく押し当てられ、シャンプーの清涼な香りが、俺の思考を掻き乱した。
「ああ、この問題か。これは、この公式を使えば……」
俺は、努めて冷静な声を装い、彼女のノートに視線を落とす。しかし、俺の意識は、背中に感じる彼女の体温と、耳元で囁かれる吐息に完全に奪われていた。彰太がすぐそこにいるという、絶対的な禁忌。その背徳感が、罪悪感と共に、俺の下腹部に、鈍く、そして熱い興奮をもたらす。
文香は、俺が解説する間、その身体をさらに密着させてきた。彼女の黒髪が、俺の首筋をくすぐる。その指先が、俺の肩に、まるで偶然を装うかのように、そっと触れた。その微かな接触が、俺の全身の神経を逆撫でし、血流を加速させる。俺は、自分の顔が熱くなっているのを自覚し、悟られまいと、必死で参考書に視線を固定した。
その時だった。
「あー! もう、わけわかんない!」
菜月が、わざとらしいほど大きな声で叫び、手にしていた英単語帳を机の上に叩きつけた。その乾いた音が、部屋の静寂を破る。
「うるさいぞ、菜月。集中できないだろう」
彰太が、眉をひそめて彼女を諌めた。
「だって、彰太! この問題、意味不明なんだもん! ねえ、佑樹、ちょっと手伝ってよ!」
菜月は、そう言って、強引に俺の腕を掴み、自分の席へと引き寄せた。その瞳の奥には、「いい加減にしろ」という、文香に向けられた剥き出しの嫉妬と、俺への明確な警告の色が浮かんでいた。彼女は、この歪んだ三角関係の主導権が、文香に奪われることを、断じて許さないつもりなのだ。
俺は、菜月のその強引さに、内心で安堵しながらも、彼女たちの間で弄ばれる駒になったかのような、屈辱的な無力感を覚えていた。
文香は、菜月のあからさまな妨害に、一瞬だけ、その表情を凍りつかせた。しかし、彼女はすぐにいつもの穏やかな微笑みを取り戻すと、静かに彰太の隣の席に戻った。その瞳の奥で、冷たい炎が揺らめいたのを、俺は見逃さなかった。彼女たちの間の戦争は、もはや水面下のものではない。それは、彰太という、何も知らない観客の前で繰り広げられる、静かで、しかし熾烈な陣取り合戦だった。
休憩時間、彰太が「飲み物を取ってくる」と言って席を立った、ほんの数分の隙。文香が、落とした消しゴムを拾うふりをして、机の下に屈み込んだ。そして、彼女の冷たい指先が、俺のジーンズの太腿を、這うように、ゆっくりと撫で上げたのだ。
「っ……!」
俺は、息を呑んだ。机の下の暗闇で、親友の恋人から、これほどまで大胆な愛撫を受けるという、倒錯的な状況。彼女の指は、さらに内側へと進み、硬くなり始めた俺の欲望の根源へと、近づいてくる。
「何してんだよ、お前……!」
俺は、声にならない声で、彼女を制止しようとした。しかし、その声は、快感への期待で震えていた。
その時、菜月が、机の下のその光景に気づいた。彼女は、信じられないものを見るかのように目を見開き、そして、怒りに顔を歪ませると、文香の肩を強く掴んで、無理やり引き剥がした。
「あんた、いい加減にしなよ!」
「……あら、ごめんなさい。消しゴムが、変なところに転がってしまったみたい」
文香は、顔色一つ変えず、そう言ってのけた。
その直後、彰太がトレーにジュースを乗せて部屋に戻ってきた。
「どうしたんだ、二人とも。顔が赤いぞ」
彼の無邪気な問いかけに、俺たちは、誰一人として、まともな返事をすることができなかった。
この綱渡りのような日常は、いつまで続くのか。俺は、この密かな興奮と、心臓を締め付けるような罪悪感の中で、ただただ、時が過ぎるのを待つことしかできなかった。秘密を共有するという緊張感は、俺たちの友情を、確実に、そして静かに、破滅へと導いていた。
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