『愛音』其之伍
愛音さんに再開したのは三日後のこと。
場所は私が一人でおにぎりを食べた公園、時間はお昼の少し前を指定し、御幸さんを通して呼び出していただきました。調べると、白潟公園という名前だったようです。
先日は桜も綺麗に咲いていましたが、三日の内に雨が降ってしまい、ほとんどが散ってしまった様子。儚さに思い馳せつつベンチで待っていると、湖面に沿う歩道の向こうから愛音さんがやってきました。服装は先日と同じでしたが、頬に大きな湿布を貼っておられました。
「ごきげんよう。それ、どうされたんですか?」
「ちょっと荒っぽいオジサンに当たっちゃってさ、よくあることだからヘーキ」
私が自分の頬を指差し問いかけると、愛音さんは視線を反らして面倒臭そうに答えます。やはり、御幸さんの見立ては当たっていたようです。
「それより、ご飯は? 奢ってくれるんじゃないの?」
「お話が終わったら、なんでもご馳走させていただきます。兎にも角にも、こちらにお座りくださいな」
ベンチの桜を払ってハンカチを敷き、ポンポンと誘いますと、愛音さんはハンカチを私の手に返して、そのまますとんと座られました。
肩を並べますと、視線の先は波が打ち寄せる宍道湖。
今日はお天気も良く、湖面がキラキラと輝いて見えます。
「綺麗ですね。琵琶湖に比べると少し潮の香りがします」
「お腹減ってるから、簡潔にお願い」
「それでは、世間話は省略して本題に。先日、御幸さんに告白しました」
「へ?」
ポロリと転がるように返ってくる間の抜けたお声。
横目で伺いますと、ポカンと口を開いて驚いておられるご様子でした。
「見事な玉砕でした。ホテルのお食事に誘って、夜景を見ながら想いを告げたのですが、仕事柄、恋人を作るつもりはない、大和撫子と恋仲になるわけにもいかないと断られてしまいました」
「ありゃりゃ、カンペキに脈ナシじゃん」
「ええ、本当に。でも、こういう時に仕事や立場を言い訳にされるのは悔しかったので、私の夫になれば仕事の心配はありませんと提案してもみたのですが、あくまでフリーランスの探偵を続けたいと、これも断られてしまいました。
当たって砕けろとはいいますが、見事に粉々です。今日、愛音さんへの連絡を頼むのもかなり気まずかったんですよ?」
「嘘……っぽくはないか、マジなんだ?」
「大マジです」
人生で初めての失恋でした。
その日は色んな感情が入り乱れ、ホテルのお部屋でわんわん泣きましたが、私にも保険がありました。清一郎に当たって砕けた桔梗さん。花々しく失恋を遂げた後の、あの方のカラリとした態度を思い出すと、早々に立ち直ることができました。
お月ちゃんにも失恋後の関係修復方法と、メンタルケアをレクチャーしてもらっています。お陰でこの通り、心に傷を負いながらもピンピンしています。
「そんなわけでして、私に弱みはなくなりました。脅しはもう通用しません。純粋に二人でお話をしましょう」
「そこまでされちゃ仕方ないか。失恋に免じて話は聞くけど、帰る気はないからね」
「同じ話を繰り返す気はありません。説得には応じていただきます」
「どうやって?」
「事実をお伝えするだけです」
「聞きたくないなぁ」
「目を反らしてはどこへも行けません。向き合ったとしても同じです」
そっと愛音さんの手を握ると、自然と互いに互いを向いて、視線が合いました。不安や諦めが垣間見える大きな瞳を真っすぐに見ながら、告げます。
「私たちは同じです。崩国という冠、大和撫子という冠。それから逃れることはできません。冠を身に着けている限り、どこにも行けないのです」
「比喩でごまかさないでよ。どこにあるの、それ」
愛音さんは私の手を振り払い、視線を遠くへ投げました。
「貴女の躰に、私の躰に」
「そりゃ知らなかった、初耳だね」
「以前、愛音さんは私の髪を褒めてくださいましたね、私も愛音さんや他の崩国さんの美貌には驚かされるばかりです。
躰に宿る美は無償ではありません。研磨にも維持にもお金がかかります。そのお金の出所は、私たちの場合、少し特殊です。私の場合は代々の大和撫子が築いてきた功績と期待の上に、愛音さんの場合は日々のお役目といつか訪れるかもしれない有事のために、お国が予算を割いています。
私や貴女の姿形はお役目の為に育まれ、守られているのです。美は力。責務の為に与えられた力を、個人的な願望の為に使うことは許されません」
「私は崩国に生まれたかったわけじゃないし、守ってくれと頼んだ覚えもない」
「私も、大和撫子に生まれたいと望んだわけじゃない。そうありたいから支援してくれと頼んだこともありません。ですが生まれてしまい、かくあれと育まれてしまいました。その過程で得た様々な恩恵をないがしろにするのは、不義理です」
「正論だね。私たちは夢見ちゃいけないんだ?」
「いいえ、それは否定しません。ですが、別の道に進みたいなら通すべき筋を通さねばなりません。今の貴女はそれからも逃げています。逃げて、逃げて、迷子になっています」
「私らには自由がないんだもん。そりゃ逃げもするよ。それって悪いことかな? 誰かを傷つけたり、詐欺を働くつもりもない。それでもダメなの?」
「駄目ではありませんが、無駄です」
「はっきり言ってくれちゃってぇ、どうして無駄なの?」
「貴女も私も、この世界にいる誰であっても、今ここにいる自分以外、何者にもなれないのです。愛音さんは島から逃れたにもかかわらず、春を売ることを続けています。それがなによりの証拠です」
私にとっては、告白の場に高級なホテルを選んでしまったこと、それがお国から過保護を受けている大和撫子である確かな証拠でした。
場所を変えたところで結末は変わらなかったでしょうが、もう少し、御幸さんの価値観に寄り添うべきだったのかもしれません。
頭の上にはまだらに花の残る葉桜。
雨で流れなかった強い花弁も、湖に吹く強い風に負け、ハラリと落ちて愛音さんの髪に絡まります。それをそっと取り上げて、また風に流し、言葉を続けました。
「このまま逃げた先に何が見えますか?」
「戻って家畜みたいに扱われて、何になるの?」
「家畜にはさせません。崩国にここまでかかわり、その扱い方に怒りを覚えた身です。今はまだ力が及びませんが、この生涯をかけて、変えて見せるとお約束します。
自由とはいかないまでも、それぞれの恋路が許され、父親の選択が許され、夢を見て追うことが許されるように、大和撫子の名をかけます」
一拍子、二拍子、数秒、十数秒、数十秒、沈黙が続きました。
吹く風は強く、散る桜と共に髪をなびかせます。打ち寄せる波音は絶え間なく、優しく耳をくすぐり、沈黙を柔らかく包み込むようでした。高く昇った日は風の冷たさを打ち消すように暖かく、もうそろそろ正午と、時計の代わりに告げていました。
「焼肉」
深い深いため息と共に、愛音さんが呟きます。
「食べ放題じゃないやつ食べ放題。それで騙されてあげる」
愛音さんはぴょんと跳ねるように立ち上がり、屈みこむように私を覗き込んで、ニッコリと悪戯気な笑みを浮かべました。
ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー
愛音さんに焼肉を奢った二日後のお昼。
今度は封結院に頼らず、私たちの手で直接、愛音さんを琵琶湖の島に帰しました。いまだ連絡のつかないぬらりひょんに頼らずとも、柊さんに直接お願いすると、あっさり迎えの船を出してもらえました。
そのついでと言えば聞こえが悪くなりますが、柊さんを再び訪ね、お茶をいただいています。
「度重なり、なんとお礼を申し上げてよいか、本当にありがとうございました」
「なんの、大切なお友達のためです」
戻った愛音さんは、今頃お姉さまたちにキツく叱られているのだとか。もう手荒なことはしないようにと口添えしておきましたので、それ以上の折檻はないでしょう。
「封結院にも、愛音が戻ったと伝えました。どうやら、桔梗と三葉も数日中に戻してくれるようです」
「ほう? それは良かったです。残るは椿さんだけですね」
「いいえ、あの子はもう、戻らないでしょう」
柊さんは視線を伏せ、寂しげに呟きました。カクリと首を傾げる私。
「どうしてでしょうか?」
「どうしても、です」
柊さんは、はっきりとした強い口調で言います。
「一人だけ許しては愛音さんや三葉さんに示しがつきません。無事であるなら私が連れ帰ります。事情を聞かせてください」
「お心遣い、感謝申し上げます。本当に……本当に身勝手ですが、不義理を承知の上で、お断りすることをお許しください。大和撫子様には、お話することができません」
柊さんは額を畳に擦り付け、辛そうに、言葉を絞り出すようにして言います。慌てて頭を上げるようお願いすると、瞳は潤み、目尻は赤らみ、今にも涙が零れそうなお顔が持ち上がります。
「女の涙は卑怯です。力になります、話してください」
「どうか、お許しください。今は貴女様にお話しすることができないのです。崩国を代表し、それだけがお伝えできる全てでございます」
私に話すことができないのが、話せることの全て。それを頼れば、二、三の仮説に思い至ります。残念なことに、どれも悪い仮説、悪い予感です。
「承知しました。もう聞きません。その代わり、桔梗さんたちが戻られたら、もう一度この島に招待していただけませんか?」
「ええ、もちろんです。どのような娘がお好みでしょうか? 集めておきます」
「いいえ、そういうは結構です」
今度は私がキッパリお断りすると、柊さんは小さく笑ってみせました。
ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー
崩国の口から話せないなら、大本の封結院です。
滋賀からの帰り道、電車で戻るつもりでしたが、船から降りたところには栞葉さんが待機していました。
久々の再開を喜び、車に乗せてもらいます。御幸さんの運転を経験したためか、栞葉さんの運転技術が極めて繊細で丁寧であることに初めて気付きました。車が高級であることも助けているのでしょう。
ありがたく思いつつ、後部座席から栞葉さんに問いかけます。
「桔梗さんと三葉さんが島に戻れるようですね。椿さんには何があったのでしょう?」
沈黙を挟み、運転を続けながら栞葉さんが答えます。
「撫子様には、お話しできません」
またそれ。
「それは封結院としてですか? 栞葉さん個人としてですか?」
「両方ですが、心情としては後者寄りです」
ふむ、なるほど?
だんだんと悪い予感が現実味を帯びてきます。
「撫子様にお話すべき大切なことが、他にあります」
私が次の質問を投げる前に、栞葉さんが言葉を紡ぎました。
「はい、なんでしょう?」
「走りながら、顔を背けてお伝えすべきことではありません」
「帰ってからでもいいですよ?」
「では、そうさせていただきます」
滋賀から京都までの道中は、栞葉さんの結婚話を掘り返してつつき回しました。
どんな殿方だとか、どこまで進んだのだとか。ほんの一時間半、和やかなガールズトークを楽しみ帰宅しました。落ち着いてお屋敷に戻るのは、ずいぶん久しぶりな気がします。
「おトメさんはまだ戻っていないようですね。私がお茶を淹れましょう。居間でお話を聞かせてください」
「それでは、お言葉に甘えます」
鍵のかかったままの玄関を開け、お台所でお茶を淹れて居間まで運び、栞葉さんと向かい合って座りました。重たい話と見えて、栞葉さんはぎゅっと身体を縮めています。
「ふたつ、お話があります」
「はい、お願いします」
「ひとつは、私のことです。結論から言うと、異動することになりました。これまでのように、お傍にいることが叶わなくなります。別の者が代わりを務めることになるでしょう」
「そんな……まさか、今回のことで?」
「いいえ、以前から撫子様への肩入れが過ぎると、封結院には良く思われていませんでした。確かに決定打になったのは今回のことかもしれませんが、遅かれ早かれ、そうなっていたと思います」
幼少期から私の運転手兼、護衛兼、封結院のお目付け役として側にいてくださった栞葉さん。
彼女との別れは大きなショックでした。しかし、以前に結婚を聞いた時、覚悟したことでもあります。それが早まっただけと思い、平静を保ちました。
「承知しました。長年のお勤め、ご苦労様です。栞葉さんにはお世話になるばかりでした。感謝の言葉が尽きません」
「いいえ、こちらこそ、撫子様にお仕えできて幸せでした」
栞葉さんも私も大人びた言葉と所作で堪えているものの、想いは溢れ、お互いに声が震えていました。もう五歳も若ければ、大泣きして抱き合っていたことでしょう。
そうならなかったのは、良いことなのか、寂しいことなのか。
「異動先はどちらに?」
「地方の調査係にと言われましたので、辞表を叩き返すつもりです。今年中ではないとお伝えした話が、今年の話になるかもしれません」
「あら、ではマジで結婚ですか」
「はい、そのつもりです。いずれ、夫を紹介しに来ます。その時は友人として」
「大歓迎です!」
朗報を聞いて寂しさが吹き飛びました。栞葉さんが幸せになってくれるなら何も文句はありません。今から旦那さんの顔を見るのが楽しみです。
「では、二つ目のお話を。こちらは覚悟して聞いてください」
「はい、ではちょっと待って下さい」
大きく深呼吸し、浮いた話に弾んだ心を鎮めます。
心を無に。
何を聞いても防御できるよう、めいいっぱいに覚悟を決めて、「どうぞ」と促しました。栞葉さんにも硬い覚悟が必要だったのか、少し間を置いて、じっと私の目を真っすぐに見据えて、唇を開きました。
「おトメさんが、亡くなりました」
【三章『愛音』、終幕】
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