第5話 自己の輪郭

 目の前の円柱カプセルの中では、特殊スキャナーで遺した記憶データーを抽出させた情報を基にホログラム技術により久遠悠里くおんゆうりの生前の姿を映し出していた。そっと璃空りくが近づくと彼女の姿は波打つように揺らぎ始める。それは璃空りくの意識が標本データとの再構築プロセスに入り始めたサインだった。


璃空りく……?」


 彼を呼ぶ声が聞こえてきた。鼓膜ではなく意識に直接響くような透き通る声に璃空りくの心臓が跳ね上がった。


「……悠里ゆうり?」


 透明な円柱のカプセル中で光の粒子に揺れながら悠里ゆうりはゆっくりと目を開いた。そして優しい笑顔を璃空りくに向ける。


「あなたはいつも、私を見守ってくれているのね」


 悠里ゆうりの声はまるで水面みなもに小石を投げた時にできる波紋のように、心の奥に広がっていく。それはデータ再生による音声ではなく、彼女の意識の残滓ざんし璃空りくの脳に直接語りかけてくるように。


「どうして……会話が成り立つんだ?君はもうこの世にはいないはず」


 動揺を隠せない璃空りく悠里ゆうりは悲しげに首を横に振る。その仕草は璃空りくの胸を締め付けていた。


「ここにいる私は、ただの記憶ではないの。あなたがくれた時間、言葉、想い……それが全部この中で生きているの」


 彼女の指が円柱カプセルの内側にそっと触れるように動く。透明な壁越し、璃空りくに近づこうとする。璃空りくも迷うことなく手を伸ばし冷たい円柱の外装に触れた。


 二人の指先は透明な壁一枚を隔てて重なる。隔たりから伝わる冷たさが、この奇跡的な状況を現実ではないと示唆しさするかのように。それでも彼女の存在だけで璃空りくの胸の奥は温かかった。


悠里ゆうり……君は今もこれからも存在し続けるよ。僕の脳裏にそして心に」


 璃空りくがそう呟くと同時に彼女は目を伏せる。その仕草は何かを隠しているようでもあった。


「ここは記憶標本館。私の存在はあなたの記憶とデジタルアーカイブの境界線にあるの。だから———」


 彼女はそっと目を開け璃空りくを真っすぐ見つめながら、表情を変えることなく静かに話し続ける。


「もし、あなたが誰かの記憶に刻まれた存在で、保存されたデジタルデータの一部だとしたら?」


 その言葉に璃空りくは驚き、心臓が飛び出しそうなくらい強く跳ねた。言葉を失い、自分の存在の根幹こんかんを揺るがす不安が背骨の奥からせり上がってくる。


「僕の人生が誰かの記憶?そんな馬鹿な!」


 その瞬間、展示室の青白い照明が一斉に明滅めいめつし、壁に飾られた無数の記憶パネルが次々とノイズを走らせた。まるで璃空りくの存在そのものがデータエラーを起こしたかのように。


 頭の中に浮かんだ幼い日の情景、学校で笑いあった友人たち、そして家族の顔。すべての記憶が古びたフィルムの傷のようにざらつき輪郭を失っていく中、悠里ゆうりの声だけが鮮明に耳に届いた。


璃空りく、あなたが今ここにいると感じている世界は、本当にリアルタイムに動いているのか、それともすでに終わった過去の出来事を誰かの記憶として追体験しているのか……あなた自身、区別がつかないのは仕方がないこと」


 璃空りくは今にも叫びだしそうになる。「そんなはずはない!!」と強く否定したかった。しかし水分を失った喉は張り付いたままで声が出せない。彼は震えながら展示ホールの壁にもたれかかりどうにか身体を支えていた。


(僕の人生が途中で僕自身の記憶データとなっているなんてありえない)


 展示ホールの空気が急激に冷え込み、足元が大理石の床ではなく深い闇へと沈んでいくような恐ろしい感覚に襲われながらも、璃空りくは最後の力を振り絞り透明な円柱カプセルの中の悠里ゆうりに問いかけた。


悠里ゆうり……いったい僕はどっちなんだ?君なら分かるはずだ!」


 悠里ゆうりは静かに目を伏せると悲しみに満ちた瞳で璃空りくを見つめながら、動かしようのない真実を告げようとしていた。

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