第5話 彼女はゾンビを躱しました

 茜が手にしたリュックはあまり大きくは無いが、ここにあるものを詰めることができる程度の容量はある。


「はい、『包帯』、『解熱剤』。『レトルト食品』に『ペットボトル飲料』。『乾麺』。『タオル』、『石けん』。『ベルト』に『財布』。こんなものですかねえ。あとは現地調達で。一応このゲーム、ゾンビサバイバルらしいですからね」


 リュックに必要なアイテムを詰め込み、彼女は立ち上がった。


「さて。この部屋を出るに当たって、越えなければならない壁があります。そう、お兄さんですね」


 そうして、彼女の前に立ち塞がるのは。

 昨日玄関ドアに埋め込んだ、新聞配達員のゾンビだ。


「お兄さんの動きは、昨日と同じです。目の前を通り過ぎてから、15秒後に階段を下りていきます。今回、私はその階段を、お兄さんの目を掻い潜って下りなければいけないので、タイミングはとてもシビアになりますねぇ」


 玄関扉に張り付いたまま、彼女は今日も変わらず、解説を続けていた。


「あ、ちょうど来ましたね。……すこし静かにしましょう。ここで叫ぶと、普通にバレますので。おや、お兄さんちょっとイメチェンしてますね。右手の裾、肩まで破ってワイルドアピールでしょうか?」


 配達員のゾンビは、生前の動作をなぞって隣の部屋に新聞を投函する。もちろん、新聞は持っていない。

 そして、投函が終わると踵を返し、階段に戻っていった。


「……13、14、15、行きましょう!」


 きっかり15秒。このタイミングで、配達員ゾンビは階段に入る。そのまま、階下に新聞を配りに行くのだ。

 茜は玄関ドアを『開け』、外に出てドアを『閉める』。

 そのまま『中腰』になると、階段に向けて歩き始めた。


「……あまり大きな音を立てなければ、お兄さんは反応しません。ゆっくり後ろを歩けば、ばれません。はい、大丈夫です。下の階に来まして……お兄さん、307号室に新聞を投函しに行きますので、その隙に303号室に入ります。位置は、私の503号室と同じですね。はい。今です……はい」


 そそそ、と中腰のまま彼女は移動し、303号室の扉を『開いて』中に入り、扉を『閉める』。


「……ゆっくり扉を閉めますね。……ここ、奥に住人が居ますので、これ以上音を立てないように。音を立てるとゲームオーバーです。前と後ろから挟み撃ちにされますからね」


 ちらり、と彼女が視線を向ける先。

 ベッドの上で、もぞ、と動く影が見える。


 ――この世界のゾンビは、生前の行動を繰り返す傾向がある。

 新聞配達員のゾンビは、新聞配達業を熱心に行っていたのだろう。だから、いつも同じルートを歩き、既に何も入っていない鞄から新聞を取り出し、新聞受けに新聞を投函しているのだ。


 そして、この部屋のゾンビも同じ。

 恐らく、引きこもりだったのだろう。


 雑多にゴミが散らかった部屋で、ベッドの上で蠢くだけのゾンビが、そこに居た。


「さて……はい、お兄さんが横切ったので……3、4、5、……」


 配達員が通り過ぎ、15秒。

 『中腰』のまま玄関扉を『開け』、ゆっくり外に出て『閉める』。


「ここ、中腰移動なので、さきほどより余裕はありません。ゆっくり急いで、階段まで……、ここでちょっと待ちますね」


 そして、茜は階段に入る直前で立ち止まった。

 その瞬間、配達員ゾンビが、階段の折り返しで少しだけ顔を上げる。


「丁度あそこで、お兄さんの視線が一瞬だけ、こっちを向くんですよねえ。いやあ、開発者は実にいやらしい」


 彼女はそうぼやきつつ、2秒止まってから階段に入った。


「さて、ここからお兄さんは2階の配達に入ります。配達先は複数あるので、その隙にこのまま1階に下りて、裏口から脱出しましょう。はい、正面玄関はゾンビが3体なので、潜り抜けるのは無謀です」


 そう言って、1階まで止まることなく階段を下りる彼女。そして、階段の出口で立ち止まる。


「実は、さっきの3階。部屋に入らずに1階まで下りることができるんですが、そうするとあの……あ、あのおばちゃんです。おばちゃんが階段前に陣取っている所為で、先に進めなくなるんですよね。で、お兄さんと挟み撃ちにされるっていう鬼畜仕様なんですよ。ええ、今なら先に進めます。あのおばちゃん、掃除中だと思うんですよね。モップ持ってないですけども」


 彼女の視線の先。

 そこには、まるでパントマイムのような動作をしながら、背を向けている年配の女性の姿があった。

 恐らく、その手にモップを持っているつもりなのだろう。

 見えないモップで床をこする動作を、ずっと続けている。


「ええと、もう少ししたら顔を上げるので、ちょっと隠れます」


 階段内に彼女が身を隠すと、清掃員がゆっくりと身体を起こした。そのまま、まるでバケツを持つかのように右手を動かし、コツコツと歩き始める。


「……3、2、1、はい。ここでゆっくりと、音を立てないように……」


 茜はささやきながら、階段から中腰で姿を現わす。


 彼女の視線の先で、清掃員ゾンビはバケツを置くような仕草をしていた。

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